第85話 縁
ネルチャグシュッツ・キシュルが状況を察知したのは、ユリエッティらが“北端山脈”横断を目前にした頃合いだった。
果樹園の職員から“『岩巌古竜』の異変の調査に向かった管理責任者の消息が途絶えた”との報が入り。こんなときにと苛立ちつつも魔法で手繰ってみれば、まず『岩巌古竜』が絶命していた。それも、キシュルが直々にかけた絶対隷属の魔法が破壊された状態で。それから、果樹園管理責任者に施した魔法処理も同じく破壊されており、足取りを追うことができない。
「……まさか」
数ある国境関門のうち“不越大密林”付近にある一つ、その目前の街の宿泊施設にて。キシュルは苛立たしげに、自分のこめかみを何度も指で叩いていた。調度品めいて過分に整った顔立ちも、今はわずかばかり崩れて見える。
「…………」
古竜と管理責任者、特に前者に施していた魔法は並大抵のものではない。自分以外に解呪などできまいと、キシュルがそう断ずるほどに。にもかかわらず魔法は跡形もなくなっており、まるで破砕とでもいうべきそれに、キシュルは覚えがあった。忌々しくも王女ヴィヴィアを取り逃がした、あの夜襲のさいに。
「……山脈に踏み入ったのか」
バルエット・シマスーノからも情報を得つつ、あの女が修めた拳術については可能な限り調べてある。傲握流なる新興の流派がヨルド国内では──それどころかヒルマニアにおいても──まったく広まっていないのはほぼ間違いない。であれば今回の“北端山脈”での出来事もあの女、ユリエッティが関わっている可能性は高いだろう。とんとんとこめかみを叩くごとに、キシュルの脳内で思考がまとまっていく。
「見誤ったか……?」
護衛たちの実力からして、ヴィヴィアは“不越大密林”を通っての国境越えを目論むだろう、というのがキシュルの見立てだった。だからこうして政務を放り、替え玉に“元首ネルチャグシュッツ・キシュル”を任せ、国境近くの街に滞在している。大密林にも近辺の関所にも、そこへ至るあらゆる道程にも、人員は常に配備した状態。だというのにヴィヴィアは見つからない。その事由がまさか、もっとも危険なルート“北端山脈”横断を選択していたからだとは。
「……ッチ。あの女、危うい橋を渡る」
竜も管理者も下したということは、ヴィヴィアは無事なのだろう。とはいえヒヤリとさせられる。タイミングからしてもう山脈横断を成し遂げている可能性すらあり、もしもヒルマニア国内に入りこまれているとなれば、いかなキシュルといえども完璧な追跡は難しい。
「……まあ、いいだろう。ナルグ」
「はい」
すぐにも思考を切り替え、そばに控えていた側近を呼ぶ。どちらにせよ、最終的な行き先は分かっている。そこへ至る前に捕らえたかったが、こうなってしまえばもう待ち構えたほうが確実だろう、と。
「王室へ伝えろ。そちらへ向かう、出迎えは不要だとな」
「は」
遠話器を操作し始めたナルグには目もくれず。キシュルは一度ため息をつき、懐から小さな密閉袋を取り出した。中にはわずかばかり、何色にもきらめく白い髪の毛が。
「まったく、本当に逞しいお方ですね。ヴィヴィア様は……」
うっとりとそれを眺めながら、キシュルはそう独りごちた。
◆ ◆ ◆
「──またしても迷惑をかけてしまいましたわね、クレーナ」
「とんでもありません、ユリエッティ様」
かつて主従であった頃にも似たやりとりをする、二人の女。ユリエッティと、元側仕えの侍女クレーナ・イングルトが再会したのは、ユリエッティら一行が無事に“北端山脈”を越えた直後のことだった。
「まさか、ヴィヴィア殿下が共にいらっしゃるとは、思いもしませんでしたが」
「驚かせてしまってすみません、わたしのほうからも謝意を」
「恐縮でございます。むしろ、このような窮屈な護送となってしまい申し訳ありません」
「いえ、助かりました」
貨物輸送型(の中ではかなり小型な)魔動車の荷台の中、ユリエッティ経由で顔見知りでもあったヴィヴィアとクレーナが顔を見合わせる。確かにがたごとと揺れる貨物車の荷台は、一国の王女を乗せるには相応しくない空間ではあるが……とはいえヴィヴィア本人にしてみれば、ここまでの旅路を鑑みればむしろ贅沢なほうであり、また、迅速かつ目立たずに移動できるという点でも好ましい。
クレーナの側仕えが運転するその車両の中、貴族王族たちのやり取りに次いで、ファルフェルナが得意げに笑う。
「ふっふ、繋がりというのは作っておいて正解ですね」
「ええまったく。おかげでこうして、恩を返す機会を得られました」
「本当に、助かりましたわ」
「あざっす」
かなり不敬寄りな礼を述べるムーナの頭部は今、大きな獣人種用耳当てが装着されていた。獣耳を覆い、エルフ耳を隠すそれは、以前ヒルマニアにいた際に付けていたものと同じ役割を果たしている。
「……」
なお、そのムーナの耳当てを作ったネビリュラは丸くなって寝たふりをしていた。本人の案でテイムモンスターということになっている彼女をクレーナが探るような目で見たのは、顔を合わせたその瞬間のみ。なお、テイムの虚偽申告は言うまでもなく違法である。
……ともかく、ユリエッティ一行が懐かしきヒルマニアの地を感慨深く眺める……暇もなく貨物車に詰め込まれたのは、ファルフェルナの功績によるところ。
「どこで縁が繋がるか、分からないものですわねぇ」
「まさしく、我が弟子の足跡を追っていた甲斐があったというもの」
ファルフェルナがユリエッティとムーナによるテトラディ討伐を知り、事件から一年後の被害者たちの追悼式典に足を運んだ折に。これまたユリエッティを介して既知であったファルフェルナとクレーナは久方ぶりに顔を合わせ、ユリエッティについて語らい、遠話器の波形を登録しあった。そうしてできた繋がりをファルフェルナが遺憾なく利用した結果がこの状況。
「まあこう言ってはなんですが……領地まで戻って先方に引き継げば良いとの事でしたので。ある意味で気楽なものです」
「ええ、あとはその先方と、わたくしたちでなんとかしますわ」
その言葉は、裏を返せばなんの詳細も──なぜ王女ヴィヴィアがいるのか、なぜあの“北端山脈”を越えてきたのか、目耳口全身を拘束されている魔人の女は何者か、ヒルマニアにも広がっているユリエッティ指名手配の報はどういうことなのか、その一切を説明しないということでもあったが。それがお互いを守ることにも繋がるのだと理解するクレーナは、かつての主人にして恩人へ必要以上に問いかけることはしない。今はだた、命を救われた恩義に報いるときなのだと。
ユリエッティもそれをありがたく申し訳なく思い、であればせめても明るい空気になればと、努めて話題を変えた。貨物車に記されていた文言、“クレーナ家事その他代行業”について。
「しかしクレーナ、なんだか面白いことをしているようですわね?」
「ええ、はい。最初はただの、個人的な……そう、慈善活動のようなものだったのですが」
クレーナは実家に戻って以降、イングルト邸の家令のみならず市井の女にもあちこちと手を出しまくっていた。その中の一人、貧しく身寄りもなく、イングルト家の富を目当てに近づいてきた少女が、けれども愛憎と嫉妬と自らの振る舞いの惨めさとの板挟みの末に狂いかけ、弾みでクレーナを刺し殺そうとしたのは、テトラディ事件から半年と経たないうちのこと。
「だから言ったではありませんの、諌め方を身に付けろと」
「ええまったく、面目次第もありません」
「笑い話で済むことなんすかねそれ」
「……」
ドン引きするムーナとネビリュラ(寝たふり)を尻目に、クレーナの話は続く。
ともかくその凶行は寝所で誰にも見られないまま未遂に終わり、けれども、少女にとっては生きるにも窮するその問題の根本を放置することもできず。刃物を持ち出すほどにクレーナを愛してしまった少女に、いまさら金を渡せばそれで解決などというわけもなく。ではせめてもと、侍女の真似事などをさせ食い扶持を稼ぐ能力を身に付けさせたのが、ことの始まりであった。
「それが気付けば、就労に窮する女性を集めて侍女としての作法技能を叩き込み、商会や余裕のある市民家庭に短期ハウスキーパーとして斡旋するような形態に……」
思いのほか事業として軌道に乗ってしまったのだと、クレーナは笑っていた。今ではイングルト邸の隣に自身の事務所兼自宅を構えるほどまでになったのだと。もとより彼女は公爵家令嬢の側仕えを長年勤めた女。侍女としての技量も高く、また時には新人を教導することも、率いることもあった。それがこのような形で役に立つとは、本人も思っていなかったが。
「まあ何にせよ、真っ当に働いているようで良かったですわ。って、わたくしが言えたことではありませんけれども」
「ユリエッティ様は、随分と波乱万丈な人生を送っていらっしゃるようで」
「ふふ、ええ本当に」
話せること、話せないこと。全てをひっくるめて近況を報せ合うかつての主従二人は、穏やかな笑みを浮かべていた。




