第84話 拳に宿る力
翌日。
想定通り、古竜のいなくなった山々は昨日よりも随分と進みやすいものになっていた。ときおり白岩のモンスターと遭遇することもありはしたが、それらはすべて偶発的で、一行の足取りに影響を与えるほどのものではなく。また、元々ほぼ存在しないのかはたまたネビリュラを避けているのか、『岩巌古竜』の眷属ではないモンスターなどは姿を見せることすらない。
早朝から夕刻までの日のあるうち、速い足取りで進めるだけ進んだ、その夜。標高という点ではもう折り返しに入った辺り。風は少し強いが、切り立った岩場に師弟の拳で窪みを作り、そこで身を寄せるようにしてテントを二つ。例によって魔人の女は近くに転がされている。
そんな、やはり火のない夜の時間に、ファルフェルナはふと切り出した。
「──ときに我が弟子よ」
「なんですの?」
「古竜との戦いから気になって、少し様子を見ていたのですが」
「ええ」
「貴女の拳、私の拳とは別のものになりつつありますね」
「……え、型が崩れちゃってますの?」
師匠からの思いがけない言葉に、ユリエッティも少しばかりたじろいでしまう。現状唯一の弟子としては中々にショックな指摘。しかしファルフェルナのほうは責めるでもなく、むしろ興味深そうに口角を上げていた。
「いえ、拳術としてはまったく瑕疵なく、傲握流のそれそのものです」
「ではいったい……?」
「古竜の頭を潰したときに、何か魔法を破壊したと言っていましたよね」
「え、ええ。今にして思えば、キシュルがあの竜に施した隷属の魔法だった気がするのですけれども」
「私もそう考えています。そして、老成した竜を完全に意のままに操る魔法などというものは、一般的なテイムのそれを遥かに凌駕している」
「それはまあ、そうですわよねぇ」
「おそらくは、古い古い魔法でしょう。現代のよりもずっと野蛮で凶悪な、呪いとすら称すべきもの。そのレベルの魔法を砕くことは、私の拳では不可能です」
「確かにアレは、人類種同士がもっとバチバチ争ってた頃の魔法に近い気配がありましたね」
独り言の声音でチェリオレーラもどこからか同意。当然ながら聞こえているそれに頷きながら、ファルフェルナが告げる。
「つまり、こと魔法への干渉という点において、我が弟子の拳はすでに私を凌駕していると見て良い」
「……そ、そうなんですの?」
言われたユリエッティのほうは、あまりピンときていない様子だったが。ムーナやネビリュラなどはそもそも傲握流を“よく分からないけどなんかすごい拳術”程度にしか捉えていないため、なにも言えることがなく。代わって、多少は覚えのあるヴィヴィアが疑問を口にした。
「わたしは、ファルフェルナさんの拳こそ竜の体を一撃で砕くほどのものだったと記憶していますが」
「あれはシンプルな膂力によるところが大きいです。勿論、外殻強化の魔力に干渉しつつ、ではありましたが」
「……成程」
それはそれでおかしいのでは、などという突っ込みはいまさら入れない。
とにかく、キシュルはエルフと魔人の血を併せ持った超長命の者。本人も“長く生きていれば色々とできることがある”だのとのたまっていた。その魔法、古く強力なそれを砕くことができるのは現状ユリエッティのみなのだと。すっかり芋虫状態が定着した魔人の女を指しながら、ファルフェルナが太鼓判を押す。
「あとはまあ、コレの体に施されていた魔法を補助する魔法的処理。それもまた、現代のエンチャントなどとは様子の異なるものでしたが……我が弟子は砕いてみせた」
「……正直、あまり実感は湧きませんけれども」
まだ遠く及ばないとはいえ、師をも凌駕する力が宿っている。自分の拳を、ユリエッティには不思議そうに眺めていた。
「話を聞く限りでは、精霊様がなにかしてそうな気もするんですがねぇ」
「ピィっ!?」
と、不意に水を向けられ、チェリオレーラが悲鳴をあげる。弾みで体が一度点滅し、それでもって居場所までバレる始末。昨日の厳かな雰囲気はなんだったのかと問いたくなるほどにいつも通りの様子だった。
「チェ、チェリオレーラは何もしてませんよ!? 我ら精霊は観測する者であって干渉する者ではないのですっ! 推しは眺めるだけ!!」
「……その言い分は、いい加減に無理があると思う」
「本当なんですってっいやもう確かに会話しまくったりしちゃってますけどもっ、でもでもそもそもチェリオレーラのほうからてゃになにか、例えば力を与えるだとか、そういうのはほんとにできないんですって! そういう存在じゃないんですって! 観測者!! 推しの人生全部眺め隊!!」
「必死だな」
ネビリュラにムーナにと続けざまに揶揄され、ますますもって慌てだすチェリオレーラ。その様子はまるで、無実の罪を着せられたかのようですらあり。いやまったくもって罪などではないのだが、ともかくひたすらに、本人は関与を否定し続ける。
「とはいえ、チェリオレーラの声に応じて力が高まっていたような場面は、確かにあるわけでして」
例えば『風倪竜』との戦闘、例えばキシュルからの夜襲。前例は二つ。
「アレは本当にただ叫んでるだけです!!」
であればただ、叫びに応じてユリエッティが気合でなんとかしているということなのか。それはそれで不明瞭な話だと、皆が揃って首を傾げた。
「となるとあれですかね。大衆演劇で言うところの、やたら野次を飛ばす追っかけとそれで演技に身が入る役者……みたいな感じですかね」
「ヒィーっ、ちがっ……! チェリオレーラはそんな厄介精霊ではっ……!! うごォっ……!!」
「うごォっ……?」
ついには妙な悲鳴まであげ始めたチェリオレーラから、これ以上なにかを聞き出すこともできそうになく。にぎやかな精霊をおもしろおかしく思いつつも、ファルフェルナは改めて、瞳の見えない視線でユリエッティをしっかりと見つめる。
「ともかく。力を有しているという、それを自覚することです。そうすれば、無自覚に勢い任せに振るうよりもよほど役に立つ。そうでしょう?」
「……違いないですわね。気付かせてくれて感謝いたしますわ、師匠」
「ふっふ。そう、私は師ですからね」
得意げに豊かな胸を張るファルフェルナ。
その師とともに古竜を屠ったその瞬間、思い返してみれば確かに、自らの意思で常以上の力を引き出した感覚もあった……気もする。それを忘れないようにと、ユリエッティは改めて拳を握りしめた。




