第83話 臨むべき使命
そうこうとしているうちに日も傾き、一行は少しだけ歩を進めてからテントを広げた。
ファルフェルナが持ち込んだものには第二、第三テントへの哀悼の意も込めて第四テントの名が授けられ、ネビリュラの第一テントと並んで二つ、岩陰に隠れるように設営されている。気温は低いが風は優しく、この時期と標高でなら降雪も滅多にない。
「──しっかし、キシュルがろくでもないのは改めて分かったけどさ」
火は熾さず、ランプの灯りに照らされて。携帯糧食とスープを申し訳程度の熱の魔法で温めて食べる。
円形に身を寄せ合う一行の傍らには、果樹園管理責任者の魔人の女が転がされていた。さすがに逃がすわけにも殺すわけにもいかず、キシュルの悪行の証人として王都まで連れて行かれることが決まったその女は、毛皮で全身を簀巻きにされ、目・耳・口も塞がれている。
食事と用足しのとき以外は常にその状態という人道的にかなりギリギリな扱いではあるが、王女がそばにいることを考えれば致し方のないことでもあった。常にユリエッティかファルフェルナが担いで運び、何かあっても即座に鎮圧できる態勢。もっとも、体に施されていた魔法を補助する魔法的処理もユリエッティに破壊され、なによりも師弟への恐怖を植え付けられたその女に、抵抗しようなどという気力は残っていないようだったが。
「何が目的でヒルマニアにこんな嫌がらせ……なんてレベルじゃないけど、やってくんだろな。侵略? みたいな?」
すでに魔人の女の口から、彼女の部下たちへと“調査のため現場に数日残る。果樹園の管理は通常通りに”と伝えさせている。まあすぐにも怪しまれるだろうが──そもそも女曰く『岩巌古竜』の死はやがてキシュルにも感知されるとのことだが──、ともかく多少の時間は稼げるという算段。統率者である古竜を排したユリエッティたちに、岩肌のモンスターどもが挑んでくることももうない。あとは少し足を早めて、一気に山脈を横断するだけ。
急く気持ちを温かなスープで鎮めながら、ヴィヴィアがムーナへと言葉を返す。
「もう随分と長い間、ヒルマニアとヨルドは二国という形で調和を保ってきました。今さらそれを覆すのは、大きなリスクも伴うはずなのですが……」
「大陸統一の覇を唱えるだなんて、今日日の舞台演劇でも流行らない話ですわ」
文献すら限られる遥か古い時代には、いくつもの小国がぶつかり合う乱世もあったらしいのだが。その末にヒルマニアとヨルドが残り、争いは終わり、大陸に平定がもたらされた。それはもう、今から数百年前といった程度の話ではない。本当にキシュルがヒルマニアへの侵略や支配を目論んでいるのだとしたら、その長い長い、破る必要もない平和を破るということ。
「……でも実際に行動を起こしてる。ヒルマニアで人が減ってるのを見て、欲をかいたとか」
「もっと人口減らして、力を削いでー、的な?」
「にしたって、正直良い方法だとは思えませんけどね。こういう、後々にまで影響が残るやり方は」
「ええ、本当に……」
仮にヨルドがヒルマニアを侵略したとして、結局のところ、民の数が減ってしまえば国土の管理は行き届かなくなる。何よりも両国の血が交われば、ヒルマニア国民を蝕む生殖機能の低下が、ヨルドの民にまで波及することになる。むしろ今の厳しい出国制限があるからこそ、“果実”の影響はヒルマニア内だけに収まっているとすら考えられた。
「いくら我が国が弱っているとはいえ、侵略という選択そのものが賢いとは言い難い。そのうえで、仮にそれを目論んでいるのだとしても、方法がまともではない。本当に、キシュルという男は何を考えているのか……」
分からない。そしてだからこそ、恐ろしい。
ともかく今できるのはヒルマニアに伝えること。国王すら彼の影響下にある恐れはあったが……それでも“果実”の件のような、国への攻撃に等しい所業を知れば黙ってはいないだろう。
「それにしても、選んだルートにこれほどの悪行が隠されていようとは……すごい偶然というか、ある意味幸運ではありましたわね」
話のひと区切りにと、ユリエッティが苦笑を浮かべ。
「偶然なんかじゃありませんよ」
そして応えたのは、チェリオレーラだった。
「……?」
精霊の側からの明確な返答。いまだ珍しいそれに、静かな口調に、ユリエッティも耳を傾ける。
「てゃ、考えてみてください。すべててゃの選択なんです。今ここに至るまでのあらゆる行動は、てゃ自身が自分の心に従って決めたことなんです。この山脈に踏み入ったことすら、偶然ではなくてゃの意思なんです」
「わたくしの、意思……」
それはそうだ。選択は常に自分の意思で行ってきた。
シマスーノ家から追放されたときから、いやその前からずっと。どんな愚かな選択も、それは自分が決めたことなのだと、それだけは確信を持って言えた。それに今、永く長きを生きる精霊が頷いている。
「それらの連なりが、てゃをここまで連れてきたのです。あの小童の悪しき騒乱を誅し、てゃの生まれた国に変遷を齎す、それこそがきっとてゃなのだと。その道筋と力と意思が揃ってこそ、星の巡りが満ちたのだと。チェリオレーラは思うのです」
いつものような騒がしさとは違う、けれども饒舌なチェリオレーラ。だからこそいつもよりその意図が伝わる。それがキシュルへの憤りから来るものだと、皆が肌身に感じていた。そのうえでムーナが、少しだけ面白くなさそうに顔をしかめる。
「……それはアレか? 運命だとか宿命だとか、そういう類のやつか? 生まれたときから決まってたって?」
「……そうかもしれないし、そうじゃないかもしれません。ただ、てゃの騒乱の気配は、幼い頃からそれはそれは色濃いものでした」
「ふっふ、それには同意できますね」
「……生まれたときから人生が決まってるってのは、あんまり面白いもんじゃない気がするけどなぁ」
「……確かに、そうかも」
ネビリュラも小さく頷く。ムーナと二人、特異な生まれによって険しい道を歩んでいた彼女たちにとっては、あまり嬉しい話には聞こえない。
「いえ、ムーナ」
しかし反して、ユリエッティの声はどこか喜びすら孕んでいるようで。見守るヴィヴィアもまた、同調するように目尻を緩めている。
「使命に身を捧げられるというのは、わたくしにとってはある意味で幸せなことなのですわ。それが望まぬものではないというのなら、なおさらに」
貴族という生まれ持った使命、それに殉ずることができなかったがゆえに。自分にも成すべき道があるのだと、そう思えるのは決して悪いことではない。だからユリエッティは微笑んでいた。
「わたくしには貴族たり得る資質がありませんでしたわ。国に仕えより良くする、その使命を全うできなかった。けれども今こうしてヴィヴィアを守り、ヒルマニアを蝕む悪行を暴くことができるというのならば。それはきっとわたくしにできる、精一杯の奉公なのですわ」
「……まだ気にしてたんだな、それ」
「ええ、まあ」
ただ国を出た程度では捨てきれなかった後悔の燻りが、ユリエッティの中で臨むべき使命へと昇華されようとしている。であればと、これ以上は水を差すような女ではなかった。ムーナも、ネビリュラも。
「……そういうもんか」
「ええ、そういうもんですわ」
「本人が気にしてないんなら、まあアタシはついてくわ」
「献身的ですねぇ。我が弟子ながら恐ろしい魔性です」
「うっせ。アンタもそれにヤられたクチだろが」
「ふっふ、まさしく」
「…………ワタシは、勝手に置いていかないのならそれでいい」
「いやオマエのそれもけっこう危ないと思うけどな……」
「ええ、ええ。いまさら離したりなんてしませんわよ。最後まで付き合ってもらいますわ」
恨むのなら、こんな女についてきた自分自身を恨むのですわ〜……などと、おどけたようにユリエッティが言えば、各々が各々の笑みを浮かべ。夕餉はもう少しだけ、状況に似合わぬ穏やかな空気の中で続いた。芋虫状態の虜囚が転がっていることを除けば、だが。




