第82話 なんとしても
遠目に様子を窺っていたネビリュラとヴィヴィアも、三人のもとへと戻ってくる。背に乗った警戒態勢は解かないまま「……怖い」「……ええまあ」等々呟く二人を見やりつつ、ユリエッティは右拳を握っては閉じていた。
「殴った瞬間に何か魔法を砕いた感触がありましたが、ムーナの言っていた違和感と関係があるのでしょうか?」
「……魔法?」
返事をしたのは、ムーナではなくファルフェルナ。微笑を引っ込めて、心なしか真面目な声で問い返す。
「外殻が有する魔力的補助、ではなく?」
「ええ、それ以外にもう一つあったではありませんの。委細不明なうちにわたくしと師匠で砕いてしまいましたが」
「……我が弟子よ。私の拳では──」
「っとちょい待ちお二人さん、誰か跳んでくるぞー」
「っ!」
「大丈夫、キシュルじゃない。アイツより魔法の練度が低い……何回かに分けて跳んでるなこれ」
ムーナは古竜の死骸を目で指し、これを印に跳んできていると示す。言葉通り、すぐに誰かが現れるということもなく。エルフの耳を震わせ魔法を捉えるムーナの姿に、ファルフェルナは感心したように頷いた。
「よく分かりますね」
「空間跳躍にはもぉー……何回も痛い目に遭わされてるからなぁ」
とくに先日の夜襲など、ユリエッティの活躍がなければそのまま全滅していた可能性が高い。いくら魔法の感知に長けるといっても、適切な対応ができなければ何の意味もないのだと思い知らされた。
キシュルの魔法を砕くほどの力は、ユリエッティの体力を大きく消耗するようだった。ユリに頼りきりでは駄目なのだ、そう痛感したムーナは密かに自身の内で、空間跳躍を感知した瞬間を何度も何度も反芻していた。どう警戒すべきか、どう動くべきか。手本にするのはたった一度の成功体験、テトラディを下したあの時のユリエッティの姿。
空間跳躍が来ると分かっていれば、感知から迎撃までが間に合った。ならばより鋭敏に警戒し、常に空間跳躍が来るものと思い、先んじて転移先とタイミングを完璧に把握し、そして──
「──ほいっ」
「──っ!? んなっぎゃぅえっ!?」
そして転移してきた魔人の女を、ムーナは背後から地面に叩き伏せた。
「ほぉー」
「流石ですわ、ムーナ!」
「キシュル相手にも通用すれば良いんだけどな」
言いながら背中へ馬乗りになり、両腕を抑え、ついでに頭も地面に押し付ける。岩もむき出しの山肌に頬を押し当てられて、魔人の女はくぐもった声をあげた。装いは所属も分からぬ無地のローブ、けれどもそれゆえに、ユリエッティにとっては見覚えもあり。加えて精霊が「なんかコイツからも小童の嫌な気配が……」などと囁くものだから、容赦をする理由もなく。
「なんなんだっ!? 誰だ貴様らはっ!!!」
即座に全身を縛り、魔法による抵抗を感知したそばから壊し、ユリエッティ、ムーナ、ファルフェルナで囲う。
「キシュルは近くにはいなそうだな? でも実際んトコどうなんだ? ほかの追っ手は?」
「キリキリ吐いたほうが身のためですわよ〜?」
「何の話だ!? 放せっ、クソ放せと言っているっ! というかどうやってここにっいやどうやって『山巌古竜』を!?」
「……あんまりチンタラやってるのもなんだし……やるしかないか」
「致し方ないですわねぇ」
「お、二人とも覚えがありそうですね。とはいえ折角ですしここは私がやりますよ?」
「折角ってなんだよ」
「では師匠とわたくしの二人で。ムーナはネビリュラとヴィヴィアを頼みますわ」
「あいよ」
「……っ! おいやめろっ放せっ! やめろ、やめろぉっ!!」
トントン拍子で話が進み、何をされるのか悟った魔人の女がさらに激しい抵抗を見せた……が、ファルフェルナはまったく意に介さず、腹に一発入れて黙らせる。女を引きずって少し先の岩陰へと向かう背中にユリエッティも続き、ほか三人から離れていった。
残ったムーナは、魔人の出現からここまで邪魔にならないよう静かにしていたヴィヴィア、彼女を守るように一歩下がっていたネビリュラ、その二人へと指示を出す。
「……えっと、その」
「あーうん。今からちょっと色々吐いてもらうから。王女様とネビリュラは耳塞いどいてな」
「……はい」
「…………怖い」
岩陰へと消えていくユリエッティたちの姿を、二人はこわごわと見送っていた。
◆ ◆ ◆
「──結論から言うと、ドラゴンがわたくしたちを襲ったことそれ自体は、キシュルからの追跡とは無関係でしたわ」
ガタガタと震え縮こまる魔人の女を連れて戻ってきた、師弟の第一声がそれであった。
「へぇ……へぇ?」
見える範囲には外傷も流血もなく。弟子に良いところを見せようとファルフェルナが一人で張り切ったのは漏れ聞こえてきた声からして明白であり、冒険者という仕事柄ならず者への質問も何度かしたことのあるムーナですら、ちょっとばかし恐ろしい。ネビリュラとヴィヴィアは魔人の女を極力見ようとしないまま、話に耳を傾けている。それは、交互に語るユリエッティとファルフェルナがどうにも険しい顔をしていたから、というのもあったのだが。
「ドラゴンや白岩のモンスターどもは例の“果実”を守る役割を帯びていたそうで、コレは果樹園の管理責任者なのだと」
「ドラゴンはその役割を果たすべくわたくしたちを攻撃してきたのですわ。そして彼女は、そのドラゴンの絶命を感知して慌てて跳んできたらしいですわ」
「え、じゃあアタシら人様のテイムモンスター狩りまくっちゃったってこと?」
「まあそうといえばそうなのですが、案外こっちが悪いわけでもない……というか、あの“果実”のほうが碌なもんじゃなかったと言いますか」
コレがいかにも“後ろめたいことしてます”という態度だったので、その辺も色々聞いてみたんですが……と、縮こまって震える魔人の女をつま先でつつきながら、ファルフェルナは言葉を続ける。
「アレ、発情作用や興奮作用があるのは間違いないそうなのですが……それと同時に、摂取した生物の生殖機能に悪さをするのだと」
「っ!!」
もっとも大きな反応を示したのはヴィヴィアだった。それも当然、出生率の低下に喘ぐヒルマニアの王女として、とても看過できない内容なのだから。
「ああ一応、効果自体はごく僅かなもののようです。しかし問題は、それが子にも受け継がれてしまうという点」
生殖機能を直接壊すのではなく、少しずつ少しずつ、子を成しづらい体質へと体を作り変えてしまう毒素。そしてそれゆえに、次の世代はその体質を生まれ持って引き継いでしまうのだと。女に吐かせた内容を、ファルフェルナはそのまま伝えていく。
「危険区域でモンスターの数が妙に少なかったのは、恐らく……何代も何代も“果実”を食べ続けたせいで、子を成す力が弱まってしまっていたからなのですわ」
それによって草食のモンスターの数が減り、そうなればおのずと肉食性の種も。一個体への影響は少なくとも、それが何世代も重なればやがて見て分かるほどの個体数の減少に繋がる。もしかしたら最後には、完全に血が途絶えてしまうのだろうか。ユリエッティの脳裏に浮かぶ想像は危険区域だけでなく、彼女の生まれ育った国にも及んでいた。
「…………そんなもん使ってる薬が精力剤って、なんの冗談だよ」
「ええ、まったく」
さほどヒルマニアに思い入れのないムーナですら、胸糞が悪いと顔を歪める。ヴィヴィアや、元とはいえ王国貴族であったユリエッティなどはなおのこと。国も人間社会も知らないネビリュラだけが、少し遅れて思い至った。
「……つまり、ヒルマニアが困っているのはこの“果実”の精力剤のせいってこと?」
「……我が国の人口減少は精力剤が出回るよりずっと前から始まっています。薬はその抑制策の一環として導入されたもの。現代ヒルマニアにおいては、もはや飲むのが当たり前というほどの代物ですが」
「つまり、助けるふりして余計に事態を悪化させてたってこと」
「……そういうことに、なりますね……」
ヴィヴィアの声はもう、絞り出すようなそれだった。
精力剤が使われるようになったのは百年ほど前から。今ヒルマニアに生きる子供や乳飲み子は、そこから四つか五つほど経た世代。どれだけ蓄積されている? 一体どれだけ、この“果実”の影響を受けている? 効果はごく僅かと言っていたが、五世代も経てなお僅かで済むなどという楽観はできない。事実、様々な施策を打ち出してなお、王国の人口減少はまるで歯止めがかかっていないのだ。執政の身であるがゆえに、ヴィヴィアにはそれがよくよく分かっていた。
「──で、なのですが」
そしてまた。淡々と続くファルフェルナの言葉が、さらに彼女の心を苛む。
「まあ精霊様も感じ取っていた通り、ネルチャグシュッツ・キシュルがこの件に関わってます。“果実”を今の形に品種改良したのも、精力剤の材料にしたのも、山脈の麓に生産ラインを確立したのも。ついでに、元々ここに住み着いてた古竜の意思を剥奪して操り人形にしたのも、ぜーんぶキシュルが主導だそうで」
「……っ」
つまり追っ手云々とは関係なく、この山脈自体がキシュルの悪行の隠れ蓑だった。一行は幸か不幸かその中に分け入り、そして知ってしまった。ギリギリと奥歯を食いしばる音が聞こえてきたのは、ヴィヴィアとユリエッティの二人から。
「なんかもう、すげぇなアイツ。一から十までロクなことしてないじゃん」
「……ええ、本当に」
ふつふつと際限なく湧いてくる憤り。ユリエッティらのそれに呼応するかのように、チェリオレーラもまた、底知れぬ怒りからその身を顕界させていた。
「人の数が減るということは可能性が減るということ……可能性が減るということは、騒乱も変遷も起きなくなるということ…………あんの小童、どこまでもこのチェリオレーラの怒りに触れる……っ」
張り詰めた空気が一行を包み……そして、ファルフェルナがふっと、苦笑を浮かべる。
「やれやれ。キシュルという男、まだ会ったこともないというのに、殴っても全く心が痛まなそうな輩ですね」
「……ふふ、師匠は誰にだってそうではありませんの」
「失礼な、私にだって良心というものはありますよ」
師の言葉、それに笑んだ弟子の言葉。師弟のやりとりで、ほんの少しだけ雰囲気が弛緩する。知らずネビリュラの外套を握りしめていたヴィヴィアの両手が一度緩み、そしてまた、本人の意思でもって力強く握られる。
「なんとしても王都へ戻らなければならない理由が、増えてしまいました」
「ええ。なんとしても、ですわ」
芋虫のように這いつくばる魔人の女の、すすり泣く声がかすかに聞こえていた。




