第81話 山肌 3
皆が感じていた通り、やはりその古竜は明確に、ユリエッティたちのほうを狙って転げ落ちてきた。超高速で接近しながらも常に軌道を修正し、動き続ける獲物を逃さない。まばらに見える木々を轢き倒し山肌を削りながら、大きく開いていたはずの距離をみるみる内に縮めていく。
「ギリギリまで引き付けて避けるしかなさそうですわね」
「そのまま下まで転がってってくれれば楽なんだけどなぁ……」
などとやり取りしているあいだにもう、振動が脚に伝わってくるほどの近さに。まず一足先に、ヴィヴィアを乗せたネビリュラが離脱。古竜がそれを追わず、残ったユリエッティ、ムーナ、ファルフェルナへ狙いを定めていることを確かめてから、三人はその場に留まって敵を引き付ける。
迫る巨大な白い岩塊。間近で見ればその大きさはやはり『風倪竜』など遥かに凌ぐ。引き付けて、まだ引き付けて、土煙に呑まれようかというギリギリのタイミングで、三者それぞれ飛び退り、直撃を免れる。
「…………っと。うんまあ、そうだよな。止まるよな」
着地し振り返ったムーナの言葉の通り、生ける岩塊はまるでここまでの勢いが嘘だったかのような急減速を見せ、三人の僅か後方で停止していた。綺麗な球形になっていた体を解きながら振り向き、今一度山肌を踏みしめる、その姿はまさしく巨竜そのもの。
「……やはり、でっけぇですわね」
遠目で見ていたときと同様の、腹が地に擦るような低い四足姿勢。けれどもそれですら体高は『風倪竜』を優に超えており、頭から尾までの長さ、各所の大きさや厚みなどはもはや比べるべくもない。そしてやはり、体の部位一つ一つが、切り出したような白い岩で構成されている。
それ自体が小山と見紛うような、凄まじい重量と威圧感。だが同時、この距離で顔を見合ったことで、ユリエッティにも古竜の纏う違和感というものが理解できた。瞳に意思の光が宿っていない。それでいて明確に、こちらを狙っている。
(テイムされたモンスターと、同じような雰囲気ですわ……)
チェリオレーラの懸念と師匠の言葉、双方が脳裏を過ぎる。
キシュルの関与があるのか。まさかドラゴンすら操って、こんなところまで迫ってきているのか。このレベルの古竜を使役できるほどの魔法を……いやそれはもう、半ば魔法の域を超えているのではないか。それに、追ってきているのだとしたらなぜ、本人が姿を現さない?
「ネビリュラ、伏兵に警戒を」
〈……分かった〉
距離の開いたネビリュラと遠話器でやりとりしながら、ユリエッティは拳を構える。ファルフェルナも同じく、しかしより自然体な姿勢で隣に立つ。何にせよ、迅速にこのドラゴンを打倒する。それが先決だと。
「さあさあ、念願の師弟共闘と行きましょうか。王都では戦う相手がいませんでしたからね」
「もっぱら師匠と殴り合ってばかりでしたわねぇ……なんだか感慨深いものがありますわ」
「……一応言っておくと、アタシもいるぞ」
「勿論ですわムーナ」
そして咆哮も感情もなく、白岩の古竜が三人へと迫る。
四足歩行のまま下から上へ、さほど速くもない二度目の突撃を、ユリエッティは最小限の動きで回避した。そのまま、突き出され山肌に食い込んだ右前脚へと拳を突き出す……が。
「かっ、たいですわ……!」
ムーナのエンチャントも乗った右ストレート。それですら、ヒビは入れられども体を砕くには至らない。ただの岩程度ではなく、先のモンスターどもよりもさらに頑強な白い外殻は、ユリエッティがこれまでに殴りつけたものの中でもっとも強固だった。
「──ふっふ。どうやら、まだ師匠を名乗っていられそうですね」
しかして一方。ユリエッティとは反対の前脚を狙ったファルフェルナは、やはりいつもと変わらない声音でそんなことをのたまっており。勢いよく突き出された拳の先で、古竜の左前脚が派手に爆散した。
「…………うわぁ」
どうにか刃の通る場所はないかと探していたムーナが、顔をひきつらせるほどの威力。ドラゴンが姿勢を崩し、前にのめる。無惨にひしゃげた外殻からは血が吹き出しており、ただの一撃で古竜に明確なダメージを与えているのが見て取れた。
〈……ねえ、今なにか爆発しなかった?〉
「師匠のグーパンですわ」
〈……………………怖い〉
遠目に見ていたネビリュラもドン引きするほどの威力。『風倪竜』の纏う魔力風と同じく、この竜の岩の外殻も尋常ならざる魔力的補強が施されているはずなのだが、傲握流グランドマスターの拳は、かまわずそれを粉砕してみせた。
なるほど、この破壊力で一方的に殴れるのならば、確かにドラゴンすら脅威になり得ないのだろう。つまり求めている助力とはヘイト管理か。自分の役割を理解したムーナが、動きを鈍らせる──けれども苦痛に悶える様子はない──ドラゴンの、右眼部へ向けて跳躍する。
「オラァっ刺っ──さらねぇーっ!」
あわよくば目を潰してやりたかったがしかし、眼球すら刃が通らない。切っ先が僅かに食い込んだ程度で剣が止まり、ムーナは柄を握ったままドラゴンの顔面に取り付いた。
「ムーナっ!」
その背後から迫る声と姿。しっかり握っておけと、言外に告げる叫び声。瞬時に理解し、剣に最大限耐久性を高める魔法を付与し──そして、ムーナの軌跡をなぞるように飛びかかったユリエッティが、その柄の尻を思いっきり殴りつけた。
「ほぉー」
やはり悲鳴すらあげない古竜に代わって、ファルフェルナが感心したような声を漏らす。
竜の瞳に、剣が深々と突き刺さっていた。ユリエッティの膂力のコントロールと、それを見事に受け止め刺突へと変換したムーナのエンチャント。見たところ(ギリギリではあるが)剣も破損していない。何の銘もない直剣でそれができるのは、魔法の精度が高く、そしてユリエッティの拳のクセをよく理解しているがゆえ。
ムーナへの評価をさらに一段高めつつ、ファルフェルナは軽やかなステップで竜の正面右側へと体を移す。取り付いたままのムーナとユリエッティを振り払おうと首を高く振っているため、頭部は狙えないが、けれども今、右側は丸ごと死角になっている。
「──フンっ!」
右前脚に強烈な一撃が入り、古竜の姿勢がさらに崩れた。これで顎を狙える。当然、頭などはひときわ大きく頑強で、前脚ほど簡単にはいかないことが窺えるが。
「さーあ我が弟子よっ」
「ええっ!」
まだ竜の顔面に乗ったまま、ユリエッティは姿勢を変えてファルフェルナと向き合う形を取った。これ自体を岩塊と呼んでも差し支えない巨大な額を足場にし、しっかりと腰を落として、拳を下向きに構える。
「やべっ……!」
危機を察したムーナが飛び退き、一足先に竜頭から離脱。その僅かなうちに準備を整えた師弟が、視線と言葉でタイミングを計る。ファルフェルナは先の二撃と同じく自然体で。ユリエッティもまた、師の力量に触発されるかのように、なにか常以上の力が拳に宿るのを感じた。あるいはそれは、過去に二度あった異様な出力の一端を、自ら引き出すことに成功したように。
「「せー……のっ!!」」
──ゴシャアッッ!!!!!!
と、ひどく耳障りな音がして。
「……うわぁマジかぁ……」
ドラゴンの頭部の半分ほどが、平たく潰れていた。
「ふむ、流石は我が弟子」
「師匠こそ」
上下からの、尋常ならざる力の収斂。それは白い外殻を粉々に砕き、けれども派手に飛び散らせることすらなく。まるで圧搾される果実のように、竜頭の目頭辺りから鼻先までをぺしゃんこにした。当然ながら絶命している。目に突き刺さったままのムーナの市販剣も、なんとか形は保ちつつも、余波でガタガタになっていた。
「アタシの剣……は、まあべつに良いんだけど。こんなあっさり倒せるやつじゃないだろ絶対」
「折角の初共闘なのですから、もう少し粘って欲しかったところではありますが」
「バカ言わないでくんない?」
「ふふ、流石は師匠ですわ」
何に対しての“流石”なのかは明言しないまま、ようやくユリエッティの表情に笑みが戻る。遠話器越しに、ネビリュラの安堵の声も聞こえてきた。




