第70話 第一テントで 2
ネビリュラの口内へと押し入ったユリエッティはまず、感触を確かめるようにゆっくりと舌先を蠢かせる。体表よりもさらに柔らかく、けれども体表と同じく暖かくも冷たくもなく。唾液に類する液体は分泌されていない。生まれ持って長く器用なユリエッティの舌は、ヒト種とは構造の違う口内ですら臆さず探索していた。
「っ、ん……」
舌全体をゼリーで包まれているような、そのゼリーのほうがおっかなびっくり震えているような、そんな感触。興味津々に、けれども怖がらせないように、ユリエッティは舌を奥へ奥へと進めていく。やがてその先端が、さらに柔らかいひと塊──ビビって奥に引っ込んでいたネビリュラの舌先に触れた瞬間、ユリエッティは逃さずにそれを捕らえた。
「んにゅ……っ」
随分と可愛らしい声をあげるネビリュラ。見開かれたその目を、ユリエッティは視線で拘束した。落ち着かせ、しかし同時に情欲を流し込むような、そんな視線で。しばらくの硬直を見せたネビリュラも、やがて絆されるようにして目を細めていく。瞑りはしないまま、薄目に見つめ合うように。またも硬直していた尾が、ゆっくりと丸まっていく。
「ん、ふふ……」
良い子ですわ……と、眼差しでそう伝えながら、ユリエッティは再び舌先に意識を向けた。
ネビリュラのそれはこれまでに触れてきたどの舌とも、竜人とも粘人とも違う独特な形状。いや、形状自体が定まっていないと言うべきか。それこそスライムかなにかのようにでろりと蕩け、絶えず流動し、触れたものに応じて形を変える液体のような質感だった。それでいて完全な液体ではない。下顎の最奥と繋がり、舌としてのひと塊を保っている。
まったく未知のそれを、ユリエッティはやはり忌避することもなく、むしろ積極的に絡め取っていった。
「ん、ぢゅ……」
「ふぇ、ぇぁ……っ」
舌先で掬えばどろりと崩れ。崩れたそれを吸い上げてみれば柔く引き伸ばされ。薄膜のようになったそれを舌で捕らえて丸めてみれば、まるで熟れきったブドウの一粒のような舌触りに。ころころと転がし、唾液を塗り込んでみる。ユリエッティが何かをするたびに、ネビリュラが声をあげる。苦痛の色はない。未知の感覚に翻弄されているような、そんな声音を。
ころりころり。そして舌先で突き崩して形を奪う。水飴のように蕩けたそれを、次はまた別の形に。都度擦り付けた唾液が、ネビリュラの口内に溜まっていく。
「ぅ……ぅ、むぁ……」
そんなことを続けるうちにやがて、ネビリュラのまさしく粘性の舌は、ユリエッティのそれに自らまとわりつくようになった。ともすれば媚びるように。幾度も弄ばれ、そのたびに次を欲するように、崩れた形のまま絡みつく。
「ぢゅぅう……っ」
「んんっ、ぅーっ……!」
吸い上げると特に声が出る。ネビリュラの舌が薄く長く引き伸ばされる。そして、その引き伸ばされた舌の裏側を舐め愛でてやれば、ぶるぶると身を震わせる。発見したユリエッティはそれを一定のリズムで繰り返し……やがてネビリュラのほうが、耐えきれずに音をあげた。
「──ぷぁっ」
「あら」
ふらりと倒れ込む体。唇が離れ、唾が糸を引き、そして切れる。同時、ネビリュラの喉が小さく蠢き、散々流し込まれた唾液を嚥下したのを、ユリエッティは見逃さなかった。ネビリュラに人類種のような消化器官はない。食物にしろ何にしろ、飲み込んだそばから全てその体に吸収されていく。長い付き合いでそれをよく知るユリエッティは、楽しげに笑みを深めた。
「……や、やりすぎ……っ」
うつ伏せと横寝のあいだのような姿勢で、ネビリュラはユリエッティを睨みつける。もっとも、瞳は蕩けており威圧感の欠片もなかったが。なんなら体表の質感も、常よりさらに柔らかく解れているようにも見える。五本指の手が、胸の前できゅっと握り込まれていた。
「あら、お気に召しませんでしたかしら」
「っ」
そうは言っていない、と、なんだか悔しげな表情が雄弁に語る。
口づけや舌での睦み合いで心身が高ぶる、それはまさしく、人類種に普遍的な情交のあり様。ネビリュラがその感性を有していることそれ自体が、ユリエッティには嬉しかった。なればこそ、ここでやめるなんてことは当然なく。音も立てず静かに、ネビリュラの体に覆いかぶさる。くたりと投げ出されていた尾の先が震え、けれども拒むことはなかった。
「癖になりそうな触り心地ですわねぇ……」
「……別に、特別良い生地ってわけじゃないけど」
ネグリジェの上から、ネビリュラの背中を優しく撫でていくユリエッティ。やはり体は舌ほど敏感ではない、いやむしろ他の生物の肌よりも触覚が鈍い。だもので撫でられるほうも、鼻を鳴らす程度の余裕は取り繕えていた。
「では仕立ての腕前ですわね。もしくは服の下……着ている子の肌の心地も合わさって、かもしれませんわ」
こっ恥ずかしいことを平気で言う。それも耳元で、火照った吐息混じりの囁き声で。背中の内側がごく僅かにさざ波立つ。繕ったはずの余裕が、すぐに剥がされそうになる。そんなネビリュラの様子を指先に感じ取ったユリエッティは目を細めて──ネビリュラにはひどく妖艶な表情に見えた──、さらに一言囁きかけた。
「さて、ではこういうのはいかがでしょう?」
「はぁ、次はな……んぃっ!?」
ひときわ大きな声があがる。テントの外にまで、確実に漏れたであろう嬌声が。背中に走った未知の感覚──快感に、ネビリュラの瞳が細かく震えていた。
「ひ、っ、なに、して……っ!」
していることは表面上、先ほどと何も変わらない。ユリエッティはただ指先で、服越しに、ネビリュラの背を撫でているだけ。だというのにまるで体の内側に指を入れられたような、それでいて苦痛ではないぞわぞわとした刺激が、ネビリュラを襲っていた。
「わたくしの修めている拳術については何度か話していますわよね? 魔力を拳に循環させて云々かんぬん……まあ、その応用ですわ」
「意味、が、っ……分からなっ、ひぅ……!」
つぅ……と、背から腰の辺りまで指が下りていく。ネビリュラの体が、見目にも明らかに波打つ。
傲握流拳術の一端、主に敵の体の内部にダメージを蓄積させる技法の応用。ムーナへの耳責めとも一部通ずる、それでいて似て非なるものではあるが……とにかくユリエッティはネビリュラの、指で触れたその内側を愛撫する。なんとなく“これ”が効くのではないかと前々から密かに思っていたやり方は、まさしく想定通り、いや想定以上の効果を発揮していた。
「細心の注意を払ってはいますけれども……もし少しでも痛みを感じたら、すぐに言ってくださいな」
「ぅっ、んぅ゛、ぁあっ……!」
「大丈夫そうですわね」
ネビリュラの体は刺激を感じないわけではない。ときおり狩りの対象に抵抗されて傷を受け、顔をしかめていたりもする。その程度には感覚がある。だがしかし、ここまで強く深い刺激など……とりわけ快楽などは、まったくの未経験で。強力な保護膜のような働きをしていた体表を突破され、ネビリュラは完全に翻弄されていた。
ただ分かるのは、これが普通の──ドラゴンにしろ、人類種にしろ──まぐわいではないということ。
「う゛っ、うぅっ……! ひぅっ……!」
「とっても、可愛らしい声ですわ……」
右の手指を背に這わせ、腰をノックし。そのまま左腕をまわしてお腹の辺りも撫で擦る。体表はどんどんと柔らかく蕩けていき、普段からは想像もつかないような声があがる。ユリエッティはますます楽しそうに囁きかけ、そうすればネビリュラは、せめてもの抵抗にと自らの尾を噛んで声を殺そうとするが。
「だーめ、ですわ」
「ぁ、やぁっ……!」
声音は優しく、けれども有無を言わせずに。見咎めたユリエッティが、左手でネビリュラの尾を掴んで口から離させた。右手は背と腰を我が物顔で闊歩したまま。
元々体に比して細い尻尾は、サイズを縮めた今、ユリエッティの手首程度にまで細まっている。片手で完全に抑え込み、尾の先を指先でトントンと叩いていけば、そのたびネビリュラの口から、小気味良く嬌声が鳴った。
「ひっ、ぃ、ひぁぁっ……!」
組み敷かれ、体を震わせ、情けなく喘ぎを漏らす粘性の竜。
格好としては動物の交尾のようでもあるが、それはユリエッティの手技とネビリュラの体の作り、それらの相性が成すとびきりの情交。深くまで触れるユリエッティの指先に愛情が乗っているのだと、ぱちぱち瞬く快楽がネビリュラにそう理解らせた。そうでなければこんな、自分たちだけの特別な交わりなど、あり得ない。
「ふふ、さあさあ、もっとですわ……♡」
際限なく上機嫌になりながら、ユリエッティは右手を上へと向かわせ始めた。背筋を通り、ネビリュラの首を愛でる。途端に波打つうなじまで指を伸ばし、ひとまず留まって、問いかけるようにトントンと。
「ぁっ、ぁっ、っ……!」
ネビリュラは即座に理解した。もっと上のほう、つまり頭を撫でるつもりだと。この深く深くに触れ得る指で、ワタシの頭の中をくすぐるつもりだと。
多くの人類種に見られるような内臓器官は備えていないが、それでも自分の意思・思考の集積体は頭部にある。なんとなしに、あるいは直感的にそう自認しているネビリュラは、だからこそ、そこへ近づいてくるユリエッティの指に慄いた。そこを愛でられでもすれば、一体どうなってしまうのかと。
「ま、って……だめ、ぇっ、バカに……バカになっちゃう……っ!」
「なってしまえば良いのですわ。ほら、今は……気持ちいいことだけを享受する、お馬鹿さんになってしまいなさいな」
吹き込むように囁きかけて。同時、右手をひたりと、ネビリュラの頭に触れる。撫でる。指を蠢かせ、深いところへ干渉する。
「──う゛? ぁ、ぅっ♡」
ネビリュラの瞳が激しく揺れた。喉が引きつり、背が反り、しかし体はますます蕩けていく。
思考を撫でられている。意思を愛でられている。心を愛撫されている。そんな感覚。それが事実か錯覚かの判別など、今のネビリュラにはつくはずもなく。
「ほぉーら、なでなで♡ なでなで♡」
「っ゛♡ んぁ゛っ♡ はひっ♡」
ただ、自分だけが享受できる快楽を知ってしまった彼女に、もう後戻りはできず。その後もあらゆるところを、心も体も全てを、ユリエッティの心ゆくまで撫で回されることとなった。
◆ ◆ ◆
「──溶けるかと思った……」
「実際、ちょっと溶けてますわよ」
夜もふけ、まぐわいも終わり。
すっかり衣服も乱れ、体の輪郭すら崩れてしまっているネビリュラを、ユリエッティが優しく撫でる。当然それは愛撫ではなく、ただ相手を慈しむだけのもの。とはいえネビリュラはもうすっかり、撫でられることに無抵抗になってしまっており。まだぐったりと体を横たえつつ、されるがままになっていた。長い尾はまとわりつく、いやもうへばりつくように、ユリエッティの胴に巻き付いている。
「こんなこと頻繁にやってたら、体力が持たない……」
「それが案外、明日への活力になるのですわ」
「…………」
信じがたいと言わんばかりに、じっとりとユリエッティを睨むネビリュラ。
確かに、なんだか心は妙に満たされているが。体を包む気だるさが活力につながるなどとは、とても。
「寝る前の程よい運動というやつですわ」
ユリエッティは悪びれもせずに一緒に寝転がっている。体のサイズをもとに戻せば、むしろこちらがあちらを抱きすくめられるような体格差になる、けれども。どうせ輪郭もくずれてしまっているし、今夜はそのままで、まあ、良いだろう。
そんなふうに考えながら、ネビリュラはゆっくりと目を閉じた。撫で続けるユリエッティの手に、身を任せるようにして。
「……じゃあもう、寝る」
「ええ、そうしましょう」
「…………」
「…………」
「…………もし」
「もし?」
「これが本当に、程よい運動になるんだったら」
「だったら?」
「……また、シてもいい。かも」
「……ふふ。ええ、ええ、是非に」
──翌朝、信じられないくらいしゃっきりと目が覚めたネビリュラは、悔しそうな嬉しそうな複雑な顔をしていた。




