第62話 お話し合い
「──なんで首都に行っただけで、そう大変なことになってるの」
“禁止山林”は奥地、冒険者ですら近寄らないような(一般的には)危険な場所で、ユリエッティ、ムーナ、ヴィヴィア、ネビリュラが焚き火を囲んでいた。僅か立ち昇る煙が、曇った夜空に紛れていく。既に空になった大鍋が、わきに避けられていた。
「これも星の巡り、というやつらしいですわよ。よく分かりませんけれども」
チェリオレーラ曰く“ゆりえってゃは騒乱の気配を色濃く纏っているから”。あの精霊の物言いがさっぱり要領を得ないのは、ことここに至っても変わりなく。みな揃って首を傾げるしかなかった。
なおヴィヴィアなどは、チェリオレーラにネビリュラにと埓外の存在を立て続けに知らされ、さらによくよく考えてみればムーナも通常ありえない特徴を有しているわけで、まあ内心混乱しきりであった。
特に視覚的な衝撃が大きいのはやはり、いま目の前で佇んでいるネビリュラ。ドラゴンとして見ればごく小型なれども、その姿は自分よりゆうに大きな異形そのものである。それが妙に人間臭い仕草でユリエッティへ苦言を呈している。事前に説明を受けていてもなお、慄かずにはいられない光景だった。それでも騒ぎ立てたりしないのは、ヴィヴィア生来の気質とユリエッティへの信頼が合わさってのこと。元より最愛の恋人、劇的な再会までしてしまったとなれば、無意識のうちに頼り切ってしまうのも無理からぬ話であった。
「まあまあ、とにかく。わたくしはヴィヴィアを、王都まで送り届けなければなりませんわ」
ユリエッティのその言葉には様々な意図が籠もっていた。苦難に見舞われた恋人を守るため。王族たる責務を果たそうとする彼女に助力するため。あるいはユリエッティ自身の内にある、一度は離れた母国への憂い。兄バルエット卿への懸念。だからこそ自然と、声音も真面目なものに。
「申し訳ありませんわ、ネビリュラ。平穏な生活を送るお手伝いを……という約束は、もう守れない」
「……そういえば、そんなことも言われた」
何分、追っ手は国のトップである。それでいて、国越えという明確な目標があり。今までのような、冒険者やギルドに目を付けられないよう隠れ過ごすのとはワケが違う旅程になるだろう。なによりネビリュラにとってヴィヴィアは全くの赤の他人。今日顔を合わせてから、二人はまだ一言も会話をしていなかった。
「だから──」
「まあ、そういう事情なら仕方がない」
ユリエッティの言葉を遮るようにして、ネビリュラは一つ頷いた。平坦な声音が、竜のような口から漏れていく。
「別にこっちは、何が何でも一緒にいなきゃいけないわけじゃない。そっちの王女様のほうが大変。それに遠話器もある」
ユリエッティが渡した遠話器は既に、ネビリュラの──傍目には柔いツノのようにも見える──右耳辺りに、半ば埋没するようにして装着されていた。頭を傾けてそれを見せる仕草が、どこかいじらしくも映る。ユリエッティは元より、静かにやりとりを聞くヴィヴィアの目にすらも。
「流石に国から追われるのは、ワタシも勘弁」
「……ええ、それはそうですわ」
とんとんと淡々と、ひとまずの別れを口にするネビリュラ。さして気にしていない、というふう。ムーナは何も言わず、ユリエッティも頷くに留まる。それ以上は会話も弾まず、ヴィヴィアを休ませなければならないこともあり、少ししてその場はお開きとなった。
◆ ◆ ◆
その日の深夜、ユリエッティは不意に目を覚ました。
右を見ればムーナが、左を見ればヴィヴィアが、同じテントの中で眠りについている。三人だと流石に手狭ではあるが、それでも連日の野営とも呼べない野宿の日々と比べれば天と地ほどの差があろう。寝袋にくるまり、静かな寝息を立てるヴィヴィアを一瞥したのち、ユリエッティは音もなくテントを抜け出した。
(まったく直感的なことではありますが……)
行かなければならない。
ユリエッティは少し離れたところにあるもう一つのテント──ネビリュラの寝床の前に立つ。話をしたい。しなければならない。そしてそれは今。湧き上がる確信に押されて、閉ざされたテントの内側へと、小さく声をかける。
「──ネビリュラ?」
「……………………なに」
返事は、思っていたよりもずっと早くあった。
「少し、お話がしたいのですけれど」
「……こんな時間に」
「ええ。こんな時間に、ですわ」
「非常識」
言葉のわりに、テントの中から漂うのはもぞりと身動ぎする気配。やがて長い尾の先で入口が捲られた。暗闇の中に、丸まったまま半身を起こしたネビリュラが見えた。
「お邪魔しますわね?」
「……どうぞ」
ネビリュラのテントの中、ネビリュラの寝姿。それは三人で過ごすようになってからも守られていた、彼女の最後のパーソナルスペースだった。持ち込んだランプを僅かに灯せば、すみに布地や縫いかけのあれこれが置かれただけの、シンプルな寝床があらわになる。
「寝巻き、可愛いですわね」
「……見せるつもりも無かったんだけど」
いつもの服装や冬の毛皮コートとは違う、ニットのガウンめいたナイトウェア。たまに町で仕入れては渡していた布地や毛糸が最終的に何になるのか、強いて詮索はしてこなかったが……なるほど一部はこうして、誰にも見せない装いになっていたと。それを見られたこと、見せてくれたことに、ユリエッティの口角がするりと緩む。
「……で、話って」
狭いテントの中、正面に座ればすぐにも、ネビリュラは要件を問うてきた。目付きはいつも以上にじっとりとしている。薄明かりに照らされてか、ユリエッティにはその瞳がどこか揺れているようにも見えた。
「それが不思議な話なのですが」
「なに」
「ネビリュラからわたくしへ、何か話があるのではないかと思いまして」
「はぁ?」
ネビリュラの顔がしかめられる。
「怒らないでくださいね? 先程のネビリュラは……どこか拗ねているようにも見えましたわ」
「……拗ねるって、何に。何が。意味が分からない。自意識過剰」
ユリエッティが抱いたそれはある種、今までの──数多の女性と関係を持ってきた経験に基づくものでもあり、そして同時にどこか直感的な、不意にネビリュラの深いところと繋がったような、そんな名状しがたい感覚からでもあった。
事実、ネビリュラの反応は図星を突かれたようなそれである。あくまで声は潜めたまま、つまりユリエッティにだけ見せるような、静かな動揺。それを引き出しに来た、あるいは引き出して欲しいと乞われて来た、ユリエッティはそんな心持ちで、さらに言葉を重ねる。
「ネビリュラ。わたくしは先程、こう言うつもりでしたの。一緒に行くかどうか、ネビリュラの意思に委ねる。と」
「それくらい分かってる。だから勘弁って言った」
「ええ、ええ」
「なにその顔」
微笑み。ユリエッティの顔に浮かんでいるものは、変わらず。
対してネビリュラの瞳の揺れは少しずつ大きくなっていく。言葉も少し荒いものに。けれどもそれは苛立ちではなく、自身の心の内が暴かれていく喜びによるもの。ネビリュラ自身がそう気付くまで、あと僅かばかり。
「ネビリュラ。寂しくさせて、申し訳ありませんわ」
見透かすような物言いを、ユリエッティは敢えてした。




