第56話 違和感
「……ふーむ……」
深夜。
山林の奥地に構えたテントの中で、ユリエッティは妙な不調を感じていた。
自分の、ではない。ヴィヴィアの不調を。
今日は七の日、週に一度のヴィヴィアとの約束の日。なので毎度の通り自分の体に指を這わせ、それでもってヴィヴィアと愛を語らおうとしていたのだが……
(あの子を、感じ取れませんわ……)
いつだったか、ムーナには相互オナニーなどと話したが。実際のところこれは“情事”なのだと、ユリエッティは追放された当初からずっとそう感じていた。指先が、それに触れられた体が、自分のものでもあり相手のものでもあるという感覚。自分を攻め立てているというより、ヴィヴィアを愛しているという感覚。そして、ヴィヴィアも同じように想っているのだという確信。
声も姿もなくとも、それは逢瀬のようなものだった。この三年間、ずっと。
(先週もこうでしたわねぇ……)
だがどうか、ここ二週間ほど、その繋がっているという感覚がまったくない。ヴィヴィアを感じられない。勿論これまでにも、諸々の事情によりごく軽く済ませるといった日はあった。ヴィヴィア側の都合かユリエッティ側の都合か、それはその時々だったが、それでも変わらず二人が交わっている感覚はあった。
だが今回と前回は違う。おそらくヴィヴィアはシていない。濡れタオルで拭くユリエッティの指先の粘つきは、いつもよりもずっと大人しかった。
(これでは本当にただの自慰行為……少しばかり、寂しく感じてしまいますわねぇ……)
二週間前といえば概ね、ヴィヴィアや第一王子たちが首都に到着した頃合いである。市井に流れてくる噂の限りでは、観光も惜しんでヨルド元首らとの会談に精を出している、とのことだが……
(外遊は初めてでしょうし、ヴィヴィアも忙しくしている……ということでしょうか)
あるいは、流石に他所の国の寝所ではそういうコトをするのがはばかられたか。いやまあ当然といえば当然なのだが、しかし首都到着以前の、移動中と見られる期間ですらこのような違和感はなかったのだから、ユリエッティとしてはどうにも気になってしまう。
(少し、心配ですわ。あまり無理はしないで欲しい……というのも、わたくしのワガママなのかもしれませんが)
ヴィヴィアは王女である。王都から遠く離れたヨルドの首都にまで来ていること自体がきっと、その責務を果たすべく邁進している証左であり。一介の冒険者に過ぎない自分に、ましてや貴族としての責務を果たせなかった自分に、彼女の努力を否定することなどできようはずもない。
小さく溜め息をつきながら、ユリエッティは静かに静かにタオルを置いた。局部も拭き終わり、体はすっかりと冷めている。真冬は越え、それでもまだ夜は少しばかり冷え込む。ユリエッティは衣服を整え、毛布を被り直して眠りにつく。
そんな彼女の様子は、薄い仕切り一枚を隔てたムーナにもしっかりと伝わっていた。
◆ ◆ ◆
そして当然、ネビリュラにも。
「ねぇ」
「んぁ?」
「最近、ユリエッティの様子がおかしい」
数日後、ユリエッティが一人で討伐依頼をこなしているあいだ。ネビリュラは不意に、焚き火を挟んで座るムーナへと切り出した。
「あー……まあ、そうだなぁ……」
ヒルマニア王族来訪の少し前には、首都近辺の冒険者特需──お掃除は一段落ついており、アルベーラの街の喧騒は収まっていた。首都では来訪にかこつけた催し物なども行われているようで、冒険者もそうでない者も今ではすっかりそちらに吸い寄せられている。ネビリュラの潜伏する“禁止山林”奥地は元々、冒険者であってもそうそう踏み入ってくる場所ではなかったため、どちらにせよさほど影響はなかったが。
それでも一応の──すっかり身についた──癖で、なるべく煙を出さないようにした火の上では、雑多に端材を放り込んだスープがことこと煮込まれている。こんなものでも調味料さえ揃っていればしっかりおいしく仕上がるのだから、やはり文明的な食事というものは堪らない。そんなことを頭のすみで考えつつ、ネビリュラはムーナの返事を待つ。
「んー…………なんか、こう、恋人との相互のアレがうまく行ってないみたいで」
普段はあまり話さないものの、ユリエッティの性事情はネビリュラもとっくに知るところである。だもので、ムーナの簡潔な説明でも起きている事態それそのものは理解できた。そもそも相互オナニーってなにとか、なんでそれでお互いを感じ取れるのとか、謎は尽きないのだが。
「昔の女に飽きたってこと」
「言い方……いや、どうもユリじゃなくって相手方になんかあるっぽい雰囲気だったな」
「昔の女に飽きられたってこと」
「だから言い方」
隣で盗み聞いているだけでそこまで察せられるムーナもムーナでおかしい、的な気持ちもあり、ネビリュラの目付きはじっとりとしたものに。お前が振ってきた話題だろうがよという金色の視線と、こういう話だとは思わなかったという赤色の呆れが、鍋を挟んで交錯する。もちろん本気ではない、戯れとしての睨み合い。少しして、先にふいと視線をそらしたのはネビリュラのほうだった。
「……恋愛とか、性事情とか」
ユリエッティとムーナの様子を見ているうちに、それが、かつて『風睨竜』が自分に向けてきた不躾なモノとは似て非なるモノなのだと、それくらいは理解できるようになってきたのだが。しかし当の二人が、おそらく普通とは少し違う恋愛観を有しているのもあり。サンプルがその二人と、あとは母がときおり忌々しげに語っていた父と母の関係くらいしかないというのもあり。
「ワタシには、よく分からない」
それに端を発する違和感だというのなら、自分にはどうにもできない。そんな思いで肩をすくめ、ネビリュラは体を前にのめらせた。
「いやアタシもよく分かっちゃいないけどさ」
とにかくとにかく。ムーナもネビリュラも、ユリエッティの様子がおかしいとどうにも意識に引っかかってしまう点は共通している。自分サイズのお玉で鍋をかき回し始めたネビリュラを眺め、コイツもまぁーデレてきたな……などと思うムーナ。向けられた視線に何か生暖かいものが混ざり始めたのを感じ、なぜだか負けた気分になるネビリュラ。
結局二人して考えるのは、今この場にはいない女のことであった。




