第50話 変わったこと
明日中に用意を整えて、明後日の朝には出立しよう。そんなふうに話がまとまり、いつもよりも少し遅い時間に各々のテントへ戻った三人。去り際のネビリュラの尻尾がふらりふらりと揺れていたのがなんだか目に残りつつ、しかしテントに入ってしまえばすぐにも、ユリエッティはムーナを抱えて膝の上に乗せた。
「おい」
「まあまあ」
抗議の声と視線は向けれども、抵抗はしないムーナ。そんな恋人を背中から抱きしめつつ、即座にあちこち手を伸ばすということはしないユリエッティ。仄かな灯りの中で身を寄せ合う。視線は合わずとも、何となく心地の良い時間。
「とりあえず一段落、って感じか?」
「ええ、まあ」
反省点は多々あって、人様に迷惑はかけ通し。一般に“モンスターとはなべて相容れない存在である”という価値観は覆るものではないと、そう痛感させられて。それでも、自分たちにとってもっとも大切な部分は掬い上げられた。だからこそユリエッティとムーナは一緒に、ふぅと小さく一息ついた。
……なお、先日冒険者ランクの仮降格が確定した時点で、ユリエッティはディネトへ連絡を入れ遠話器越しに謝り倒していた。駆け出しの頃に面倒を見てもらって、準A級にまで昇格してもらって、移住の手助けまでしてもらっておきながらこの有り様だと。実際、返ってきたのは、
〈軽率でしたね。『変異粘性竜』は非常に興味深い存在ではありますが……独断でそう動かれては、私の管轄内でも同様の対応をした可能性は高いでしょう〉
というお咎めの言葉。しかしそのわりに、声音はいつも通りの淡々とした──つまりキレ散らかしているだの愛想を尽かしただのというわけではない──もので。曰く、『変異粘性竜』への興味から、同じ立場の冒険者であれば自分も似たような行動を取った(勿論、もっと慎重に立ち回りはしただろうが)かもしれないだとか。そもそも遠く離れた場所での話で、管轄外の職員がとやかく言うことでもないだとか。
あくまで友人としての通話というスタンスで、今後もネビリュラと行動を共にすることを匂わせても、表面上は素知らぬふり。ユリエッティの隣で耳をそばだてていたムーナにしてみれば、ディネトも大概ユリエッティに甘くなってきたな、というところであった。
結果的に見れば、大事な人たちとの縁は切れずに済んだ。それはユリエッティにとって喜ばしいことであり、しかし同時に、思うところもあり。
「……わたくし、どんどんワガママになっていってる気がしますわ」
だもので少しだけ間をおいて、ぽろりとそんな言葉をこぼしてしまう。ムーナがすぐに、笑って返した。
「元からじゃない?」
「それはー……そうですけれども」
つられてユリエッティも柔らかく笑み、より強くムーナを抱きしめる。腹の辺りに回した腕にはまだ情欲は宿っておらず、ムーナのほうも力を抜いて体を預けるばかり。まるで内緒話でもするかのように、ユリエッティは薄金の獣耳へと唇を寄せた。
「気に入った……ええ、気に入った相手と離れたくないという気持ちが、強まっていく一方なのですわ」
あえて高慢に聞こえる言葉を選んでいる。そうと分かってムーナは耳をぴくりと揺らし、ユリエッティの鼻先をくすぐる。
「ふーん」
「ん、ふふっ…………もうっ、ええと、それにこうも思ってしまうのですわ。もしも今のわたくしが、追放処分を言い渡されたあの日に戻ったなら。きっとあの子との別れを受け入れられず、攫っていってしまうのではないかと」
“あの子”という言葉が誰を指すのかなど、ムーナには聞き返すまでもなく察しがついた。ユリエッティの最初の恋人、おそらく貴族の令嬢。ヒルマニア王国第二王女であるなどとは流石に思いもよらないが……ともかくこれまでの口ぶりからして、立場だか何だかのしがらみによって、ユリエッティはその子を連れ出さなかったことが窺える。きっと、それが一番良い選択なのだと互いに言い聞かせて。
それをわざわざ蒸し返して言うのだから、なるほど確かに、本人にしてみればよりワガママになってしまったと、そう思うのもおかしなことではないのかもしれない。だが同時に、ムーナには少なくとも一つ、断言できることがあった。
「でもほら、ユリって無理矢理はしないタチじゃん。そのときも今もそれは変わってないでしょ?」
「ええ、無理矢理には。ですが、あの手この手で合意を得ようとする可能性は、無くはないですわ」
言いながらユリエッティは目を閉じる。今でもその全てを隅々まで思い出せる恋人ヴィヴィアは、きっとユリエッティが泣いて縋っても、あのときと同じ選択をするだろう。だが、本当になりふり構わず彼女の心と体を説得し「一緒に行く」と口にさせることが、絶対にできないかと言うと。それはユリエッティ本人にも断言はできない。
「あー……」
今度はムーナも、完全には否定しきれなかった。自分自身が、ある意味で情交によって絆されたとも言えるのだから。ユリエッティが手練手管をそういうふうに使えば、すでに深い仲である相手を自分から離れられなくすることも、不可能ではないように思えてくるし。逆に考えれば、当時のユリエッティがその選択を完全に切って捨てるほどの理由が、しがらみが、立場がある相手だとも言える。
いまだに名前も顔も知らないが、すっかり妙な連帯感を覚えてしまっている人物。ムーナは少しだけ逡巡し、それから、ゆっくりと口を開いた。
「なあ……その最初の恋人ってさ、どういう人なの?」
「あら、気になりますの?」
「まぁー、少しくらいはな」
好きな人が好きな人に興味を持ってくれるのは嬉しい。そんな単純な思考で、ユリエッティの顔に笑みが浮かぶ。
「あまり具体的には話せないのですけれども、ふふ、そうですわねぇ……可愛らしくて、聡明で、大人しいけれども芯が強くて──」
さらりさらりと淀みのない、静かで優しい声音は耳に心地よく。だからこそムーナは、不意に言葉が止まってしまったことに疑問符を浮かべた。首を捻って見上げれば、ユリエッティは少しだけ眉根を寄せながら虚空を見つめている。笑みは消え、口の端も怪訝そうに曲がっていた。
「どした?」
「……盗み聞きをしている者がおりますわね」
「え、アタ……んんっ、ネビリュラか? いやでも、別に気配とかは感じないけど」
言いながらムーナも外に意識を向けてみるが、テントのそばには誰も何もおらず、ネビリュラは少し離れた彼女のテントで眠っている様子。だもので出かけた「気のせいじゃない?」という言葉は、けれどもユリエッティに遮られた。
「──そこっ!」
「うぉっ」
「ピィッ!?!?」
なにもない空間へと、鋭く突き出された拳。驚いたような声は二つ。一つはムーナのもので、そしてもう一つは──
「え!? へっ、はっ、なんっ、なんで!?」
まるでユリエッティが捕まえたその瞬間にこの場に現出したと、少なくともムーナにはそうとしか感じられなかった。
それは薄ぼんやりとした光のような何かだった。それでいて、球体とも人型ともとれる、瞬間瞬間かたちが定まらない影のようでもある。ユリエッティの手に握られる程度の大きさのそれは明滅しながら、あるいは手足をばたつかせながら、女の声で悶絶していた。
「ひぃぃいいっ……! お、おっ、! 推しにににに認知されっ、さ、認知されてっ……!」
「ムーナ、“声”ですわ」
「……えぁー、あの?」
「ええ」
森の中で一度、そして『風睨竜』との戦いの最中で一度聞こえた声。魔力風をかき消したのは自分の意思ではなく、その“声”が何かを知っているようだったと、ユリエッティはムーナとネビリュラに説明していた。というか、現時点ではそれだけしか言えなかった……のだが。
「うわっ、わ、ぁ、てゃがっ、ゆりえってゃがこのチェリオレーラを見てっ、見ている……! 待ってちょっと本当に待って本当に無理っヒィィッ⤴⤴!」
「…………なんなんですのこれ?」
「…………さぁ?」
「──ねぇ、うるさいんだけ……なにこれ?」
「あ、ネビリュラ」
「ピィっ……」
「なんか意識失ったっぽいですわ」
「「えぇ……」」
とにかくこれがユリエッティの、チェリオレーラと名乗る存在との──はるか昔に絶滅したと思われていた精霊との邂逅であった。
というわけで第2章終了となります。ネビリュラちゃん友情エンド!……では終わらず、3章以降も仲は深まっていきます。今週いっぱいは少しお休みもらいまして、来週の月曜日からまた週3回更新で第3章開始を予定しておりますので、よろしければぜひまた読みに来てください。
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