第46話 『風睨竜』討伐 3
ひとまず自分たちが注意を引きつける。その間に態勢を立て直すなり、直撃を受けたメンバーに応急処置を施すなりしてもらっても構わない。だからそのために、三つめのスクロールで魔力風の無効化を。
一言にそんな意図を込め、風に抗って『風睨竜』に向かっていくユリエッティ。しかし、のたうつ竜の頭部を眼前に聞こえてきたのは、彼女の想定とは真逆のものだった。
「全員生きてるなッ、ずらかるぞお前らッ!」
「なっ!? 何をおっしゃいますのっここは協力して──」
「テメェこそなにやったか分かってんだろうなァ! この件はギルドに報告させてもらうぞ!!」
この期に及んでまだそんなことを、とユリエッティの足が一瞬止まる。共闘しドラゴンを倒した後でなら、そんな誹りはいくらでも受ける覚悟はあった。部外者が乱入しているというのは事実なのだから。だがまさか、何の躊躇もなく逃げ帰ることを選ぶなどとは思いもよらず。ちらりと目を向ければ、暴れながら体を起こし始めた『風睨竜』を尻目に、レルボたちは本当に戦線から離脱しようとしていた。
「くっ……!」
何としてもここで仕留めたいユリエッティと、最終的に依頼を達成できればそれで良いとするレルボ。いざとなれば協力せざるを得ないはずと考えていたユリエッティと、敵と手を組むことなど有り得ないと考えていたレルボ。両者の大きな思考の隔たりは今、ユリエッティにとって最悪の形で顕在化していた。
「ああクソっ、こんなことならもう一個買っとけば良かったなぁ……!」
ならせめてスクロールの一つくらいという願いも虚しく、レルボは部下たちを先導し撤退していく。既に相当数を消費している高価なアイテムを、自分たちなんぞのために使いたくないということなのだろう。そう思い至り舌打ちしながら、ムーナは暴れる『風睨竜』の足元から離脱する。背後に回り、正面に立つユリエッティと挟み込む形に。しかし立ち上がった『風睨竜』は二人へ強い怒りを向けており、先のような効果的な一撃はそう簡単には望めそうにない。
「……やるしか……ありませんわねっ……!」
気持ちを切り替え、ユリエッティは改めてドラゴンを睨みつける。
頭部への攻撃は手応えがあった。闇雲に拳を振るうよりは、このまま繰り返し頭を揺らしてノックダウンを狙うべきか。右脚へのダメージからか巨体は傾いたままで、機動を補助する魔力風もある程度は減衰しているのだから、派手に動き回るのは難しいと考えて良いはず。瞬時に思考を巡らせ、そして目配せ一つで、ユリエッティとムーナはそれを共有していた。
「大きいというのは、っ、シンプルに強いですわね、ぇっ!」
無数に打ち出される魔力風弾を躱し、時に拳で弾きながら、ユリエッティは竜の頭を見上げる。瞬間的な空中機動の魔法は習得している。だが風を纏うドラゴンを相手に、思い通りの動きができるとは考えづらい。
(となれば……わたくしが囮になり、ムーナに脚を狙って貰いたいところっ、ですが……!)
『風睨竜』が転倒しているあいだ、ムーナは左脚にも幾度か攻撃を加えていた。レルボらによるダメージも確かにあり、右脚と同じく上手く腱を断てれば、完全な転倒を狙うのも不可能ではないはず。しかし当然、ドラゴンの側もそれを警戒している。後方にも魔力風弾を飛ばし、尾で薙ぎ払い、覚束ないながらも脚を動かし続け、ムーナを近寄らせないようにしていた。
(デカい上に小賢しいの腹立つぅっ!)
体躯に任せて雑に暴れまわってくれたほうが、まだやりやすかったかもしれない。そんなふうに考えながら、ムーナもどうにか攻撃を躱し続ける。魔力風によって体が思うように動かない中での攻防は、心身を少しずつ摩耗させていく。尾の一撃を危うく回避し、続けざまの魔力風弾を剣の腹で数発受け、どうにか威力を殺しながら後退。エンチャントに物を言わせた市販の剣の酷使に、見ているユリエッティも心穏やかではいられない。
(もっとこちらへ意識を向けさせなければ……!)
頭をかち割るぞ、と。後ろにかまけていて良いのか、と。そう示すべく、結局は空中機動の魔法を使うしかない。地を蹴って跳んだユリエッティは、風に煽られながらも強引に身を捩り『風睨竜』の頭部へと迫る……が。
「くぅっ……!」
合わせて殺到した魔力風弾によって、やはり進路を妨害される。躱しいなしとしているうちにすぐに勢いを失い、地面へと逆戻り。気を引いたことでムーナへの猛攻を止められはしたものの、攻めきれないことには変わりない。
(スクロールの効果はやがて切れる……魔力風が完全な勢いを取り戻してしまえば……!)
防戦一方な状況にユリエッティの額に汗が浮き、浮かんだそばから掠めた魔力風弾に飛ばされていく。二人だけではいずれ押し負ける。当然レルボらはもう、姿すら見えないどこかへ。自分の見通しの甘さに歯噛みするユリエッティの目の前で、『風睨竜』が翼を大きく羽ばたかせた。
「くっ、う……!」
ほんの一瞬だけ魔力風の勢いが増し、ユリエッティの足が止まる。そしてやはり撃ち出される、複数の魔力風弾。一つ一つの威力はそれほどでもなく、けれども躱すには間に合わず拳で受け続け、余波で服と肌が少しずつ裂かれていく。その姿に今度は、ムーナが焦りを露わにし叫びをあげた。
「ユリ! ……ん??」
……かと思えば、その声が困惑に変わる。風に揺らぐ視界の先、ユリエッティには首を傾げ獣耳をぴこぴこと震わせる恋人の姿が見えていた。
「……アレ、ちょっと待って森のほうからなんか……いやなんかっていうかたぶんアイツが……!」
ほとんどタイミングを同じくして、『風睨竜』の瞳がぎょろりと揺らぐ。見やるのは先程までユリエッティたちが潜伏していた“途絶えの森”の方面。その血走った眼から窺えるのは、彼をここまで連れてきた強い情動。
ムーナほど精密に気配を探れずとも、ユリエッティにも察しがついた。絶えず飛んでくる魔力風弾を受け続けながら、やがて視界の端に捉える。木々の隙間から飛び出してくる彼女を。
「──ネビリュラさんっ!!」
使い古した革の外套のようなものに身を包んだ、ネビリュラの姿を。




