第42話 遠方より来たれり
「──ドラゴン、ですの?」
〈ああ、ドラゴンだねぇ〉
その連絡が来たのはユリエッティがテント番をしている日の、昼下がりの頃だった。
冒険者ギルドはヴァーニマ支部、ダルミシアの快活な声も今日は少しばかり真面目なトーンになっている。
〈ヴァーニマ支部の管轄区域内に入ったのは今日の朝。今も移動を続けてるみたいさね〉
ヴァーニマから見て遠い北方、管轄区域外の小山脈にドラゴンが一頭住み着いているらしい──というのはユリエッティも、以前ドラゴンについて調べた際に小耳に入れていた情報ではあった。その個体の活動がひと月ほど前から活発化しており、少し前に山脈から離れ、そしてついに今朝、ヴァーニマの管轄内に入り込んできたということらしいのだが。
「それはまた大変なお話ではありますが……わざわざわたくしたちに連絡をしてきたのは一体?」
まさかその討伐に向かえという話でもあるまいに、と、ユリエッティが小首をかしげながら問えば。
〈そのドラゴンの予測進路に、今ユリエッティちゃんたちのいる危険区域が入っててね。しかも一直線ドストレートに〉
「それは、たまたま進路上にあるというお話ではなく、ですの?」
〈あたしは、そこが目的地の可能性もあると踏んでるんだけどねぇ〉
ギルド職員としての長年の勘だろうか。こういうものは案外侮れない。ユリエッティも考えを巡らせ、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「……ドラゴンが縄張りを遠く離れることは稀だと聞きますわ。理由は絞られる……看過できないほどの外敵が現れたか、あるいは生殖であったり」
〈移動中のそのドラゴンには、発情の兆候も見られたそうだよ〉
「後者ですのね…………え、もしかしてネ……『変異粘性竜』に反応してますの?」
〈今のところ、近隣でドラゴンと言えばそいつしかいない。だろう?〉
「それはそうですけれども……ですがわたくしの見ている限り、『変異粘性竜』に発情の兆しはありませんわよ?」
ドラゴンは個体数が少なく、また発情期の周期も長い。しかしそれゆえに繁殖の機を逃さぬよう、他のドラゴンの発情を──たとえ遠方であっても──察知する能力があるとされている。つまり、発情期のドラゴン同士が惹かれ合うような、そんな生態になっているはず。そもそもネビリュラに発情期などという概念があるのかどうかすら定かではない。だもので思わず反論してしまうユリエッティだったが。
〈ユリエッティちゃんの報告を疑おうってわけじゃないけど、なにぶん相手は変異個体だ。普通じゃない要素があってもおかしくはない。今事実として言えるのは、発情期に入ったドラゴンの予測進路に『変異粘性竜』がいるって事だけさ〉
そう言われてしまえば、強く否定することはできなかった。ネビリュラの特異性をダルミシア以上に知っているがゆえに。ネビリュラの存在そのものが“何が起きてもおかしくない”の一例なのだから。
「……そうですわね。今一度『変異粘性竜』の様子をうかがってみますわ。移動中のドラゴンの対処は──」
〈ああ、こっちは現状、レルボが討伐に名乗り出てる。ギルドとしちゃそっちと協力しあって欲しい所だけど──〉
木々の隙間から空を見上げながら、ユリエッティはダルミシアと話を詰めていく。雲は多いが、幸い雨は降りそうになかった。
◆ ◆ ◆
「──と、いうことでして」
夕食時。いつもの雑談というには少しだけ真面目な声音で、ユリエッティはことのあらましを話した。一時静かに情報を整理しているムーナに対して、ネビリュラのほうはあまりピンときていない様子。
「覚えがない」
「まあ、そうですわよねぇ」
「そもそも、発情というのがよく分からない」
「まだ5歳だしな」
ムーナもユリエッティも、毎日の振る舞いからしてネビリュラを“5歳児”と見ることは完全になくなっていたが、しかし生まれてからまだ五年しか経っていないという事には変わりない。生き抜く術には長けている一方で、全く経験のないことだって山のようにある。
「どういう感覚?」
「コイツみたいな感じ」
「失礼な……と言いたいところですが、正直否定はできませんわね」
親指をこちらへ向けて発情の例と示すムーナに、ユリエッティが苦笑する。事実として、このテント生活中にユリエッティの性欲を受け止めているのはほとんどムーナなのだから。もっとも、ムーナも別に嫌だとは言っていないのだが。気持ちいいし。七の日担当の顔も名前も知らない最初の恋人とやらに対して、妙な連帯感すら抱きつつある。
そんな、それなりの頻度で行われているテントでの情事、もうひと張りのテントにまで物音こそ聞こえてはいないだろうが……こう長く一緒にいれば、流石に察する部分はあるのだろう。ネビリュラも分かったような分からないような、曖昧な動きで頷いてみせた。
「んー、なんて言ゃあ良いんだろうな……ムラムラ、っても通じないか」
「身体的な反応で言えば、動悸や体の火照りなどもありますけれども……ネビリュラさんはどちらも無縁ですわねぇ」
「……落ち着かなくなる、とか?」
「……妙に気が急いてしまう、ですとか?」
「冷静でいられなくなる」
「興奮状態に陥ってしまう」
どれも同じような意味合いである。改めて説明しようとすると存外難しいものだと、ムーナとユリエッティは二人してうんうん唸っていたが……ふと、聞いているうちに思い出したとばかりに、ネビリュラが頭上へ顔を向けた。
「そういえば、あれ食べたときは、そんな感じだったかも」
視線の先にあるのは、木になった青緑色の球体。興奮作用をもたらすと思しき、名前も知らない果実。
「…………え、何? アレそういう系のやつなの? 興奮ってそっちの意味で?」
ぽかんと口を開けるムーナ。ユリエッティはあごの下に手を当ててその口を閉じてやりつつ思い起こす。確かに以前も言っていた。食べると一時、妙に落ち着かなくなる、気が立ってしまうなどの症状が現れたと。
「ネビリュラさん、果実を口にしたのはいつ頃か、覚えていますかしら?」
「アナタ達と再会する少し前だから……ひと月前くらい?」
「……ドンピシャですわねぇ」
小山脈のドラゴンが活発化したタイミングとも合致している。森のモンスターたちの様子を見るに、果実には純粋な凶暴化の効果もありそうなものだが……とにかく、それを食べたネビリュラの一時的な発情に他のドラゴンが反応を示したという線が浮上してきてしまった。まったく予想だにしない災難に、当のネビリュラも思わずため息をついてしまう。
「そもそもワタシ、ドラゴンじゃない」
「あー、まあ……うん……ドンマイ」
生まれで言えば竜人と粘性生物のハーフである。がしかし、“竜人はドラゴンをルーツとしている” “アドビュラ曰く稀にドラゴンの性質を強く持った子が生まれる” “父親というモンスターの要素も混じっている”等々……その辺りを鑑みれば、モンスターとしてのドラゴンに近い性質を有してしまう可能性もないことはなさそうですわね……などとは、ユリエッティも口にはできず。せめて少しでも心労を和らげようと、代わりに最大限柔らかく微笑みかけた。
「幸いまだ猶予はありますし、ギルドも既に冒険者を選定し討伐の準備を進めておりますわ。丁度わたくしたちも近い内に一旦町へ戻ろうと思っておりましたので、タイミングを合わせて可能なら合同で事に当たりたいところ。ムーナもそれでよろしいかしら?」
「ん。そろそろ稼がないとだったしな」
……その選定された冒険者がかつてネビリュラを追い続けそして返り討ちにあった人物であることと、そいつが素直に協力体制を取ってくれるのかという懸念は伏せつつ、だったが。
今回の討伐対象は若い(ネビリュラのように小さく大人しいのではなく、元気が有り余っているという意味で)個体で、かつ発情状態にある。レルボも流石に、そんなドラゴンを前に妙な意地は張らないだろうが……と、そう思わずにはいられないユリエッティであった。




