第41話 慣れてきた
共同生活開始から二週間ほど。
ユリエッティは一人、慣れた様子で日中の森を闊歩していた。
腰に下げられた深めの網かごには、この一時間ほどで集めた今日の食材たちが少しばかり。食べられる植物、またそれぞれの可食部もだいぶ頭に入ってきている。時折見かけるきのこ類は、まだ自信がなく敬遠しているが。
ネビリュラは別ルートで狩りに出ている。ムーナはテントに残り、今頃は汲んできた水のろ過にでも勤しんでいるはず。狩り、採取、テントでの作業をローテーション形式で回すことにも、皆すっかり適応していた。
(これこそレジャーのようですわ〜……と言っては、ネビリュラさんに失礼かもしれませんけれど)
三人で役割を分担し、ムーナの魔法や持ち込んだ文明の利器も存分に利用しているからこそ、こうして余裕を持って過ごせているわけで。これを全て一人で、物資も乏しい状態で、逃亡しながら一年も続けていたというのだから、ネビリュラの苦労は計り知れない。一方で、ユリエッティの勘違いでなければ、最初に見かけたときよりも目に生気が宿っているようで嬉しくもある。目つき自体は物憂げなままだが。
(一緒に狩りをしたがらないのは恐らく……裸を見られるのが恥ずかしいのでしょうね)
彼女が狼などの俊敏なモンスターも容易に狩って帰ってくるのは、いつぞやの逃走時にも見せた流体化などを駆使しているからと考えるのが妥当だろう。そしてあれは、服が脱げる。恥じらいを浮かべながら去っていく姿を思い出し、その可愛らしさにユリエッティは一人微笑んだ。
「──おっと」
まさかその仕草につられてというわけでもあるまいが、丁度そのタイミングで、すぐそばの木になっていた実がユリエッティの足元へぽとりと落ちる。
「これは……駄目なやつですわね」
言いながら拾い上げたのは、鮮やかな青緑色の薄皮に包まれた手のひら大の丸い果実。この森以外では見たことのない、名前も知らないそれは、一見して瑞々しく美味しそうではある。しかし一度だけ口にしたらしいネビリュラ曰く、食べると一時、妙に落ち着かなくなる、気が立ってしまうなどの症状が現れたという。
(この危険区域のモンスターたちが凶暴な理由が、その興奮作用にある可能性は高い)
どうも見たところ、森の中の草食性モンスターたちはこの果実を、他の植物よりも好んで食べる習性があるようだった。そこらのモンスターよりは大柄で、しかも竜人と粘性生物の壮健さを併せ持つネビリュラですら影響を受けるほどのものを摂取し続けて、何も起きないはずがない。無論、その草食どもの血肉をそのまま生で食らう肉食性のモンスターも。
「……例えばそう、あなたのように」
がさごそと、視線の先の茂みが揺れる。
現れたのは、ユリエッティの膝ほどの高さもない小さなイノシシ型モンスターだった。ウリ坊、というには大きいが、明確に子供と分かる程度には小柄な個体。最大の特徴である凶悪な牙も、まだ成長途中といったところ……なのだがしかし、その場で地面を踏みつけ鼻を鳴らす様子は、この森に住まう成獣のイノシシたちとなんら変わりないほどに凶暴で好戦的に見えた。
「やっぱり、これが欲しいんですのね」
手に持った果実を揺らして見せれば、イノシシの体もそれに合わせてぶるぶると震える。この辺りの実がちょうど食べ頃だと知っていて、近くに潜んでいたのだろう。子供ながらも全くこちらを恐れず威嚇を続けるイノシシを、ユリエッティは少しのあいだ流し目で見つめていた。
(こうして小さな頃から血の気が多いから、ここのモンスターはどれも個体数が少ないのかもしれませんわね)
試しに、果実をぽいと放ってみる。イノシシは慄くでもなく転がってきた果実へ近寄り、ふすふすと数度匂いを嗅いで。やがて大口を開けて果実を咥えこむと、最後まで威嚇はやめないまま、勢いよく脇の茂みへと消えていった。人に慣れているなどというわけでは勿論なく、ただそのイノシシにとっては、果実を手に入れることが何よりも優先されたというだけ。
「住まう者たちの様子がおかしな場所には、相応の理由がある……というわけですのねぇ」
さてでは、人口減少が進む一方な故郷にはいかな理由があったのかと、一瞬だけそんなことを考えて。しかしその答えに誰かたどり着いていれば、とっくのとうにヒルマニアは盛り返しているわけで。誰にともなく肩をすくめ、ユリエッティはすぐに歩みを再開した。
◆ ◆ ◆
──というようなとりとめもない話を夕食時にするのも、すっかりお馴染みの流れになっていた。もっとも、主に語るのはユリエッティで、ネビリュラなどは適当な相槌を打つに留まることが多かったが。ムーナの反応はその日の気分次第である。
「なんかこう、上手いこと薄めりゃ薬にもなりそうだけど」
今日は興味がそそられたようで、輪切りにされ枝串にぶっ刺された蛇型モンスターの素焼きを手に取りながら、件の果実について口にするムーナ。対するユリエッティは、塩の小瓶を手渡しつつ首を斜めに振る。ネビリュラは我関せずとばかりに、ひときわ大きな串を両手で持ってもちゃもちゃ食べていた。
「興奮剤、もとい強壮剤などに利用できる可能性はあるでしょうけれども」
そも、どう考えても採取が難しいのであって。ユリエッティもムーナもヨルドの市中でそれらしいものを見た覚えがないのだから、実際、そのような使い方はされていないのだろう。焚き火越しに滔々と説くユリエッティを、ムーナは食べ終えた枝串で指す。
「ってことは、アタシらがどっかしらに持ち込めば一儲けできるんじゃ?」
「それもまた、可能性はゼロではないと思いますけれども……一応ここは共和国政府の管理する区域なのですから、あまり勝手に持ち出したりするのはよろしくないかと」
他の実力ある冒険者たちがやっていないということは、まあそういうことなのだろう……と締めくくろうとするユリエッティへ、今度はムーナが微妙な角度で首を振る。塩の小瓶をネビリュラへ回しながら。
「いやそれを言ったら、勝手に住み着いて狩ったり採ったりしてるのも良くないんじゃ」
「人前に出ても襲われないのなら、今すぐにでも立ち退くけど」
「ふふ、違いないですわ」
あえて軽いノリで言ってきた。ネビリュラの、わざとらしくしかめられた表情からそれを読み取り、ユリエッティは微笑んで追従した。ムーナもくつくつと笑いながら、二本目の蛇串焼き──今度は葉野菜に包まれたもの──を手に取る。実際に切実な悩みではあろうが、それを軽口めいて吐き出してくる程度には気を許されている。それが中々、悪い気はしない二人だった。




