第39話 野営中でも
ネビリュラの狩ってきた狼肉を主菜とした、通算二度目の三人での夕食は静かなものだった。
ユリエッティとムーナの身の上などはまだ何も話さないまま、飯が美味い、やはり調味料があると違う、この森で夜にモンスターに襲われたことはないから見張りを立てる必要はないと思う等々、雨音に紛れてぽつりぽつりと交わされる言葉はそんな程度。
やがて食事を終えたネビリュラが「あまりうるさくしないで」と言い残し、のそのそと自分のテントへ引っ込んだ辺りでお開きに。ユリエッティとムーナも、少し悩みつつもネビリュラの言葉を信じて焚き火を消し、魔力で微発光する小さなランプを手に自身らのテントへと入っていった。しばらくのあいだ小声で雑談に興じて、とはいえやはり、街で過ごす夜よりはうんと早く床につき。また一日が終わる……前に、ユリエッティにはヤることがあった。
「……ん、ふ……っ」
今日は七の日。もう会えない恋人との、週に一度の約束の日。
これまでは野営とタイミングが被らないように上手く調整していたが、今後しばらくはテントでの寝泊まりが中心の生活になるのだから、そう都合良くはいかないだろう。であればもういっそ、テントの中で致してしまえば良い。勿論、夜の森があまりにも危険なようであれば見送っていた選択ではある。しかしここ何泊かの経験と、自分たちよりも長くこの危険地帯で過ごしているネビリュラのお墨付きから、ユリエッティは問題ないと判断。
そういうわけで今、いつもよりも控えめにではあるが、恋人ヴィヴィアとの閨ごとに興じていた。
「っ、……ぁっ……」
ことさらに押し殺された声が、2人用のテントの中で小さく籠もる。ごく簡易な防音の魔法処理が施されているため、テントの外に聞こえているということはないだろう。外には、だが。
テント内には仕切りが設けられており、ユリエッティとムーナの寝袋は空間的に区切られてこそいたが……そんな壁とも呼べない薄布一枚、ムーナの優れた聴覚と盗み聞き癖の前では無いも同然。自身の気配は極力殺しつつ、しかしぴーんっ♡ と立った両方の獣耳をユリエッティのほうへ向けて、ムーナはその全神経を集中させていた。
「ふっ……っ……」
抑えられた喘ぎに重なる、小さな衣擦れの音。さらにそれらに混じる、僅かな水音。ゆっくり、ねっとり、きっとムーナでなければ拾えないような、本当に静かな粘膜の音。
ゆっくりやさしくシてくれるときの音だ、と、ムーナにはすぐに分かった。目を閉じれば指の動きを思い浮かべることも容易で、けれども自身の右手で再現したそれは、実際にユリエッティにシてもらうのと比べると、やはりどうにも拙い。唇を噛んで吐息まで押し殺し、エルフ耳まで小さく震わせながら、もどかしく身を強張らせる。
「んっ、ぁ……っ」
「……っ……」
それでも、聞こえてくる音を燃料に自分を慰めるのを、ムーナは止められなかった。
◆ ◆ ◆
明朝、夜明けの直後の早い時間。
少しばかり湿った気配こそ残っているが、雨は夜のうちにすっかりと上がったようだった。まだ薄暗い中でユリエッティは一人、タンクトップに短パンというラフな格好でテントの前に立つ。
「……、……」
ゆっくりと深呼吸をしながら各関節を曲げては伸ばす。そうしながら頭の中では、昨夜の一幕を反芻する。シている最中はヴィヴィアのことだけを考えており意識していなかったが──というか、女性を抱いている最中はその相手のことしか考えていないのだが──、まあムーナもお楽しみだったのは確実だろう。それをダシにまたアレコレできそうだと内心ほくそ笑みながら、少しのあいだストレッチに勤しんで、それから、基礎的な筋力トレーニングに移行。
(静かな朝の森の中で、というのも、なかなか趣があって良いですわねぇ)
この自身の内の魔力の流れを意識しながらの基礎鍛錬は、ユリエッティが師匠──傲握流グランドマスターに師事するようになってから毎日続けている朝の日課のようなものだった。シマスーノ邸だろうと安宿だろうと野宿だろうと場所を問わず欠かさず継続しているそれは、今やほとんど音を立てないほどに洗練されている。だもので、気付かずテントからのそりと出てきたネビリュラが驚いたような顔をしたのも、無理からぬことだった。
「あら、おはようございますわ」
腕立ての姿勢から腕の力だけで素早く立ち上がり、微笑みかけるユリエッティ。額やデコルテの辺りに、僅かばかりの汗。そういえば背中を殴られたときけっこう圧感じたな、と、ネビリュラは目の前の女の腕のラインを眺める。
「……早い」
「ネビリュラさんこそ」
言葉は返さず、空っぽの木桶を二つ手に取ったネビリュラ。得心したユリエッティは、泉の場所を思い起こしながら一つ頷いた。
「わたくしもご一緒しますわ」
「……別に続けてて良いけど」
「いえ、今ちょうど終わったところですので」
それが本当なのか嘘なのか、ネビリュラには読み取れなかった。ただ、タオルで手早く汗を拭くその様子に嫌味がないことは分かる。だからというわけでもないが、ネビリュラはついと視線を逸らし、ユリエッティの後ろのテントを尾の先で指した。
「……あっちは」
「いま起きたー」
放っておいて良いのかと問う前に、本人の返事が中から聞こえてくる。次いで、平たく潰された折りたたみバケツが二つ、テントから外へと放り投げられた。
「と、いうことですので」
上手くキャッチしたそれらを抱えながらユリエッティが言えば、やはりネビリュラは返事もせずに肩をすくめ、それからゆっくりと歩き出した。細く長い触手のような尻尾が、ご自由にとばかりに揺れている。
「ムーナ、火のほうをお願いしますわ〜」
「あいよー」
テントの中へとひと声かけ、ユリエッティもあとに続く。いやさ小走りで駆け寄って、そのまま薄赤いドラゴンの隣に並び立つ。
ネビリュラが手に下げた木桶は、本人が自分用に拵えた大きな手作り品。ユリエッティが持つのはヒト種サイズの折りたたみバケツ。見比べて、ネビリュラはなんとなしに鼻を鳴らした。




