第33話 ネビリュラとアドビュラ
ネビリュラとの遭遇後。
「ほんとに確かめにいくのか?」
「ええ。ムーナもはっきりさせておきたいでしょう?」
「そりゃそうだけどさ……」
そんなやりとりを経て二人は、彼女が言っていたギルノウルの町へと赴いた。“途絶えの森”からもヴァーニマからも離れた地帯にあるその場所は、『変異粘性竜』が最初に発見されたらしい湿地林のほど近くに位置している。
一旦ギルドに戻って湿地林の調査という表向きの理由を伝え(レルボに「逃げ帰ってきやがった」と煽られ)、ギルノウルへと到着するまでに要した時間はひと月以上。もとより『変異粘性竜』が非好戦的で急ぎの討伐ではないからこそ取れた選択。ユリエッティもムーナも、ネビリュラの言葉の真偽を確かめねば、ネビリュラという存在についてもっと知らなければ、とても依頼を進められる心境ではなかった。
「──んで? 裁縫屋だっけか」
「竜人アドビュラ・メドゥルノ、でしたわね」
ギルノウルはヴァーニマと比べると小さくのどかな街だった。人探しも難しくはないだろう。日暮れに到着して安宿で一晩を過ごし、明朝には当該人物の捜索を開始。
「っても、どう考えても竜人からドラゴンなんて産まれてこないだろ。適当なホラ吹いてるってのが一番ありそうな線……いやそれでもおかしいんだけど」
「まあ、何にせよ普通ではないのは確かですわね…………ああほら、もしかしたら先祖返りというやつかもしれませんわよ?」
「なーるほど、前例がここにいるしな」
くくくと笑いながら聞き込みをする二人が、町人から竜人の営む裁縫屋の話を聞きつけるまで、そう時間はかからなかった。
◆ ◆ ◆
「ごめんくださいな」
からんころんとベルの音を鳴らしながら、ユリエッティとムーナは店の中へ入る。町の片隅にあるこぢんまりとした裁縫屋の店主は、薄赤い鱗に全身を覆われた長身の女性だった。一見して爬人のようでもあるが、より刺々しく威圧感のある竜とも人とも取れる顔付きは、間違いなく竜人のそれ。
「いらっしゃい。見ない顔ね……旅人か、冒険者かしら?」
とはいえカウンター越しに声をかけるその顔には笑みが浮かんでおり、目尻の柔らかさに人当たりの良さが窺える。見た目からは読めないが、声から察するに働き盛りといった年頃か。店主はユリエッティらの装いから二人の素性を見抜き、身振り手振りで店内を指し示した。
「店はちっさいけど、良いのが揃ってるからぜひ見ていって。隣区画の防具屋と提携してるから革鎧のオーダーなんかも聞けるわよ。もちろん修繕も承り中」
自信ありげな物言い。店頭に並ぶのは衣服や鞄類などを中心としたそう珍しくもないラインナップだが、言葉通り素材や縫製の質は高いように見えた。店主の着ているつなぎのようなデニムも、彼女自身があつらえたものなのだろう。
ユリエッティは、店の一角に飾られた皮ジャケットの縫い目をさり気なく確認し、そしてカウンターへと向かう。後ろを歩くムーナは澄まし顔で付いていきつつ、長く使っている自身の皮装備一式との質を内心で見比べていた。
「店主のアドビュラ・メドゥルノさん、ですわね?」
「そうだけど……お客さん面白い喋り方ね」
「昔からの癖ですわ。で、貴女に見ていただきたいものがありまして」
二、三やりとりをしながら、背負ったザックからネビリュラの落としていった衣服を取り出すユリエッティ。小さく畳まれたそれを眺めるアドビュラはまだ笑んだまま。
「こりゃまた皮の処理がかなり荒い……あれ、でも縫い目はワタシのと似てるわね。ていうか服にしては変わった形、だけ、ど…………っ!」
カウンターの上に広げられ全容が明らかになった時点で、その表情が強張った。眉間の鱗がぎゅっと固まり、厳しい顔付きに。目はつり上がり、鱗よりもさらに薄暗い赤色の瞳が衣服の縫い目をぎょろりとなぞっていく。
「ネビリュラと名乗る方が着ていたものですわ。これは──」
「──殺したのっ!? ねぇっどうなの!!?」
「いえ、一度遭遇しただけですわ。討伐依頼を請け負ってはいますが、わたくしたちは──」
「なんでっ!!! さっさと殺しなさいよそれが仕事なんでしょ!!!」
「…………ネビリュラさんは、自分は貴女の──アドビュラ・メドゥルノの娘だと名乗っていましたけれど」
「それ信じたわけ!? モンスターの言う事を!?」
豹変したアドビュラの態度、それだけで二者に並々ならぬ関わりがあることは容易に見て取れた。ユリエッティはあくまで冷静に、それでいてなるべく穏やかに、言葉を重ねていく。
「わたくしも半信半疑でしたが……実際に貴女と会ってみて、正直その可能性もあると感じていますわ。体色、目付き、瞳の色……それに、この縫い方のクセ。貴女が教えたのではなくて?」
「……っっっ!!!!」
憤りというにもあまりに歪んだ表情でユリエッティを睨みつけるアドビュラ。少し縦長な口を何度も開閉しては呼気とも唸りともつかない声を漏らす。その間にもユリエッティはただ目線を合わせ、彼女の言葉を待つばかり。
「……ッ、あぁっ、クソッ……!!」
やがてアドビュラは一度、強くカウンターを叩いた。ドンという大きな音に、地の底を這うような低く忌々しげな声が続く。
「……そうよワタシが産んだ。モンスターに騙されてね……!」
──曰く、アドビュラにはかつて恋人がいた。粘人種の男。どこからかふらりと町へやってきたそいつは寡黙で、ちょっと不思議な雰囲気を纏っていて、世間知らずで、世話焼きなアドビュラにはそこが放っておけなくて……やがて彼女のほうから猛アタックをしかけ交際に至る。そしてしばらく経ち、その男との子供を身籠った。
竜人は同種間ですら非常に子を成しづらい。だからアドビュラは大喜びし、けれども産まれてきた娘は……それは、人の形をしていなかった。スライムのような質感の、ドラゴンのような小さな命。驚愕するネビリュラの傍ら、自らの子を目の当たりにした男は歓喜に体を震わせ、溶け崩れ、本来の──粘性生物と呼ぶほかない不定形な塊へと戻った。
人類種のうちの一つである粘人には、粘性生物ほど自在に体を変化させる能力はない。男の本来の姿を見てしまったアドビュラは、そいつが人ならざるものであると確信した。おそらくは変異個体だったのだろう、粘人種へ擬態できるほどに高度な知性を備えたスライム系のモンスター。
「だからその場で、ぶっ殺してやったのよ……!」
そしてアドビュラと、彼女の血を引く娘、ネビリュラが残った。
「……どっかで聞いたような話だな……」
本当に小さく小さく呟かれたムーナの言葉が、ユリエッティの耳にだけ届く。“おとぎ話みたいだ”とまでは、二人とも続けられなかった。




