第30話 ドラゴン
「さぁてさてさて! 今日はあんたら二人に受けてもらいたい依頼があるんだよっ」
ギルドの受付にて。ダルミシアがあいも変わらず快活に告げてきたのは、ムーナが耳を隠さなくなって少ししてからのことだった。
「名指しとは光栄ですわね」
「内容にもよるけど」
頼られているのは良いことだ。ユリエッティは純粋な善意から、ムーナは共和国に根を下ろす打算の意図もありつつ、なんにせよ頷いて資料を受け取る。
「ドラゴン、って言えば通じるかね?」
「ああ、例のですわね?」
「そうそう」
種族ではなく、この辺りの冒険者たちのあいだでよく知られている一個体の話。『ヴァーニマ近辺:変異粘性竜について』と題された資料をぱらぱらとめくりながら「アタシらもついにドラゴン退治かぁ」と、ムーナが小さく呟いた。野生生物の中では頂点種の一角に位置づけられるドラゴンの討伐は、主に準A級以上からの受け持ちになる。とはいえ、冒険者歴自体はまだまだ短い自分たちにこう早くお鉢が回ってくるとは、二人も思っていなかったのだが。
「ま、ドラゴンとはいってもこいつは小型でね。強さよりも、知能が高く長期間逃げ続けてることのほうが厄介なのさ」
「ええ、確かあの……えーっと、レ、レ……」
「レルボな」
「そうそう、レルボさんのパーティーが長いあいだ追いかけ続けていると聞いていましたが」
「……だったんだけどねぇ。つい先日、そのレルボんとこのが何人も手ひどくやられちまってねぇ。幸い誰も死んじゃあいないが」
功を焦った無茶な行動の末にというのは、ギルドも噂を聞いた冒険者たちもなんとなしに察していた。ピンときていないのは恐らくユリエッティくらいだろう。まあわざわざ言うことでもないと、ダルミシアもムーナもそこはさらりと流し、件のドラゴンへと話を戻す。
「んで、そのドラゴンが危険区域に指定されてる森に逃げ込んじまってね」
小型とはいえドラゴンという脅威度、潜伏先の危険度。それら諸々の観点から、依頼をユリエッティらに引き継がせたいというのがギルド側の申し出であり。当然レルボは渋い顔をしていたが、主力メンバーが複数人負傷している状態での依頼継続が困難なのは誰の目にも明らかであり、嫌々ながら首を縦に振ったのがつい昨日のこと……というようなゴタゴタは、やはり口にしないダルミシアであった。
「そういうことであればお任せをっ……と言いたいところですが」
「初ドラゴンだし、慎重に行きたいところだな」
「ああ、もちろん安全第一でねっ。移動用の貸与車は抑えてあるよ、キーはいま渡しておくかい?」
「資料の確認と準備に二、三日いただきたいので、出立の時に……で、よろしいかしらムーナ?」
「ん」
「あいよっ、んじゃまた準備ができ次第、声かけてくんな!」
「了解ですわっ」
「ですわーっと」
戯れに語尾を真似るムーナ、くらりとやられるユリエッティ。
二人の、初のドラゴン退治が決まった瞬間であった。
◆ ◆ ◆
こうして、二日後の朝には他の冒険者たちからも見送られ(レルボに「けっ、またオレらの後追いかよ」などと言い捨てられ)、ヴァーニマの街を出た二人。
初夏の数歩手前ほどの過ごしやすい時節で天気も良く、貸し出されたのは二人の体躯を見越した小さな車体。こうしてみるとヒルマニアで遠征依頼を受けたときと何も変わらないようにも思えてくるが……実際のところ、車で数日ほどの道中でも村や集落、小さな街単位のコミュニティの数やそれら一つ一つの人口は明らかに多く、日ごとの中継地点の選定も楽だった。
「──竜人は爬人とは全く違うルーツを持っているというのが、現在の定説ですわね」
「へぇ」
そんな道程二日目の車内、会話はドラゴンから脇へ逸れに逸れ、竜人種についてというテーマになっていた。
「その昔、超高位のドラゴンが人間に化けてヒト種の集落に下り、そこで恋に落ちた相手とのあいだにできた子供が最初の竜人種──だと言われていますわ」
「なんかおとぎ話みたいなノリだな……」
「その最初の竜人が実際に生きていた痕跡も見つかっているようですし、確度は高いかと」
「へぇー」
ユリエッティは今でも、暇を見つけてはヴァーニマの図書館などで他種族についての知見を集めている。抱くときにスムーズにいくようにというのが半分、単純にヒルマニアでは得られなかった知識を頭に入れるのが楽しいというのが半分。
「爬人と竜人では鱗の感触からして違うとのことですので、ぜひとも両方とも触れてみたいところですわねぇ」
前者は少し前にユリエッティが部屋に連れ込んだのを知っているムーナも、後者のほうはまだ町中で見かけた記憶すらない。ヨルドでも魔人に並んで数の少ない種族、ということらしいが。
「ある意味あくなき探求心ってやつ、か……?」
ユリエッティが女性を、それも種族を問わずに愛する人物だということは、徐々にヴァーニマの冒険者たちのあいだでも知られつつある。例によって「ちょっと変わってるねぇ」程度の反応で済まされた辺り、ユリエッティ自身の体感としても、やはりここはおおらかな場所であるように思えた。
「まあ、ヒルマニアほど大げさに驚かれたりはしないのでその点は楽ですわねぇ」
「やっぱ人が多いから、余裕があるのかねぇ」
「ええ。子供が産めないという意味では特定の組み合わせの種族間も同じですし、慣れたものなのでしょうね」
ヨルドの国内総人口は時代によってある程度増減を繰り返しつつも、ここ最近は一定の範囲内に収まり続けているらしい。目覚ましい発展こそ今はないものの、国力が安定している。良いことだ。そう思うのと同時に、ユリエッティはどうしても自身の故郷と比較せずにはいられなかった。
「しかしこう改めて考えてみると、ほとんどがヒト種であるにもかかわらず人口が減り続けているヒルマニアの現状がいかに異常かが分かりますわね」
「ま、アタシたちもその減った人口のうちの二人なんだけどな」
「それを言われると弱いですわ〜」
元より施政執政といった分野は苦手だった。国家運営の中枢により近い、公爵家の生まれともあろう者が。
そもそも国難を助長するような振る舞いをしていた自分が、シマスーノ家に残っていればそれを解決できたなどとは口が裂けても言えないが……それでも、無縁の私人となった今ですら少しばかり思いを馳せてしまうのは、貴族としての意識がまだ残っているからなのかもしれない。
そういえばヴィヴィアの姉、第一王女殿下は人口問題に特に精力的に当たっていましたわねぇ……御夫婦共々お元気でしょうか……などと、とりとめのないことまでもがふと浮かんでは消えていく。ヴィヴィアが壮健であるのは──全く不思議なことに──毎週七の日のアレで何となく感じ取れるのだが。
しかしまあ、結局のところヒルマニアを出てムーナについていくことを選んだのは自分自身なのだから。胸中に残っているそれは、もはや後悔と呼ぶほどでもない僅かな燻り程度なのだろう。実際、軽口を叩いてくる恋人が隣に座っていると考えるだけで、口元に笑みが浮かんでしまうのだ。
我ながら単純な女ですわ、とユリエッティは声に出さずに呟いた。




