第29話 あっちとこっち
「良かったですわねぇ」
「……ん」
夜。宿。ムーナの部屋。ヒルマニアの宿よりも少し大きいベッドの上。
膝の上に乗せて向かい合うムーナの耳元で、ユリエッティは囁いた。吐息のかかる獣耳も、指で優しく撫でられているエルフ耳も、両方がぴくぴく小さく震えている。今にもおっ始まりそうな雰囲気ではあったが……反して声音は真面目に、会話の内容は今日の日中に起きた、あるいは何も起きなかった出来事について。
──たとえば、魔人の血に由来する三つ目の種族や巨人種から分化したとされる多腕の種族、そういった者たちが一定数存在することを幾度か目で見て確かめたムーナは、今日ついに耳当て帽をかぶらずにギルドへと赴いた。
不安と期待が入り混じり、入国以来のそわそわ落ち着かない様子の彼女だったが……いざ蓋を開けてみれば、受付係ダルミシアの反応は「この国にゃ色んな種族がいるからねぇ。え? エルフ耳と獣耳? ……言われてみりゃ、確かに聞いたことはないか。でも見たことはあるね、今この瞬間に」といった程度。
他の職員や冒険者たちも特に気にする様子もなく、それは二人を敵視しているレルボの一派ですら同じだった。つまりそれほどまでに、多様な種族が当たり前に存在している。さらりと流されるような反応、その瞬間にこそムーナは、移り住んできたのだという実感を得た。彼女の表情の変化をじっと見守っていたユリエッティもまた同じく。
「ヨルドは、良い場所ですわね」
「まあ、アタシにとってはな」
元より望んで来た土地だったが、今日の出来事はやはり大きかった。ベッドの上、安心したようなムーナの顔へユリエッティは手を添える。角度を調整してやり、静かにキスをした。
「ん……んむ、っ……って、真面目な話してんじゃなかったのかよ」
「たった今終わりましたわ」
「ったく……ぁ、ちょ……ん、ぅ……」
抗議したのは一度だけ。再び唇を塞がれたときにはもうろくな抵抗すら見せず、目を閉じ身を任せるようにもたれかかりながら、ムーナはユリエッティの唇の柔らかさを堪能していた。ちゅ、ちゅ、と小さく、けれども獣耳にはしっかりと聞こえる程度のリップ音が数回続き、それがムーナの思考を痺れさせる。そうやって唇が緩んだところで舌を差し込んでくるのが、ユリエッティのいつものやり口だ。そう思いながらもムーナは、やはり抵抗することができなかった。
セフレ時代はムーナ自身の意思でしないと定めていたキスも、恋人になれば当然する。ヤる。ヤりまくる。むしろすっかり虜になってしまっている。ユリエッティの舌は明らかにムーナのそれよりも長く、一度口内に侵入を許してしまえばもう、そこから先は一方的。手始めに歯茎や唇の裏をぞるりと這われ、次いで(これも獣人の血の影響なのか)よく尖った犬歯を舐められれば、なぜか腰骨の辺りがむずむずと疼く。耐えかねて首に回した腕に力が入り、よりいっそう体を密着させてしまえばその分、唇もより深く交わり、ユリエッティの舌ももっと深くまで攻め入ってくる。
「んっ、ふぁ、んぇぇ……っ」
自分ばっかりが鼻息とも喘ぎともつかない声をあげさせられて、ユリエッティのほうは静かにねちっこく舌を蠢かせて。それが悔しくて、悔しいのがまた気持ちよくて、ムーナの目尻はとろんと垂れ下がっていく。舌と舌を絡める……というよりも舌で舌に絡みつかれるような、とにかく一方的にねぶられるキス。長く平らな軟体が自分の舌に巻き付いて、ずりずりと味蕾をこそいでくる。そんな感触にムーナはすっかりとやられ、口の端からはよだれがこぼれ始めた。顎を伝って自分の胸元へぽたぽたと落ちる、その一定の間隔がまた、思考の痺れを加速させる。
気持ちいい、悔しい、ぞくぞくする、気持ちいい。それらに身を任せ夢中になっているうちに次の刺激が来ることを、もう何度も経験しているにもかかわらず、いつも通り今夜のムーナも予見できない。
「ぅぁ、ぁー……っ、んっ!?」
キスによる快楽とは違う、もっと鋭い刺激が左のエルフ耳を襲った。思わず目を見開き、しかし、ずっとこちらを観察していたのだろう嗜虐的な瞳に射竦められてしまえば、またとろりと目尻が蕩ける。そうして隙を晒せば耳への刺激が──魔力を這わせた指先による愛撫が再開され。もう片方の手で腰を抱かれ逃げることもできないまま、ムーナはびくびくと体を跳ねさせるしかない。
「んっ、ぅっ、ふっ……んむぅー……っ♡」
唇は合わさったまま。離そうにも舌で舌を捕らえられ、逃げられない。そんな状態で、恐ろしく精密な魔力操作によってすっかりエルフ耳殺しと化したユリエッティの指が、好き勝手に這い回る。親指と人差し指で先端をふにふにと摘み、同時に中指の腹で耳の裏側を撫でていく。その全てに、エルフの感覚で表すならば、薄い魔力の膜のようなものが重なっており。魔力を探知する鋭敏な感覚そのものを、粘ついた薄布で擦られているかのような……痒くて擽ったくて刺激の強い気持ちよさ。エルフたちの中で変態快楽と言われるのも納得の、体中が落ち着かなくなってしまう性感。今にも足をばたつかせて快楽を逃がしたい。けれども、腕一本で腰骨を抑えられているだけで、なぜだかそれができない。
「ふっ♡ ぅっ♡ うぅぅ……っ♡」
傲握流は拳に循環させる魔力をどうたらこうたら、それを応用して指先に魔力をうんたらかんたら……と、以前されたそんな説明なんて今のムーナの脳内にはこれっぽちも浮かんでこず、どころかまともな思考をどんどんと奪われて。快楽に媚びるような声が、唾液と一緒に勝手に漏れ出ていく。もう胸元はべたべたで、寝間着用のシャツが肌に張り付いていた。ちらりとそれを確認したユリエッティが、いったん唇を離す。当然ただ解放するのではなく、ムーナの舌に蛇のように絡みついていた自身の舌を、一気に引っ張るようにして。
「ん、ぅううぅっ♡!?」
ずろろぉっ♡ と音が聞こえたと錯覚するくらいに容赦なく。魔力由来の快感に意識を向けていたムーナにしてみれば、不意打ちのような物理的な快楽。背中が反り、大きく開かれた口の中でべろも仰け反り、どろどろの唾液が大きくはね飛んだ。ユリエッティのデコルテや顔にまで届いたそれらは、散々かき回されていたせいか白く泡立ってすらいて。
「──ぺろ……ふふ。上のお口も、けっこう噴くものですわねぇ」
口の端についたそれを舐め取り、楽しげに囁くユリエッティ。そのまま、ひゅうひゅうと上下するムーナの肩に顎を置き、指で弄っていたのとは反対側のエルフ耳へと唇を近づけて。
「ぅぁ……っ、ま、まっへぇ……」
「待ちませんわ♡」
「んぉあっ♡」
魔力を這わせた舌で、ちろりと先端を舐めあげた。
魔力のコントロール自体は指先ほど精緻ではないが、柔らかさと二人の唾液が混ざったぬめりけが、指とはまた違った心地をムーナに与える。まだ残っていた泡立ちの、ぷつぷつと潰れる感触も気持ちいい。
「さあさあ、まだまだ夜は長いですわよ」
「ひっ、んいぃ♡」
すっかり快楽に溺れるその表情に、ユリエッティもまた自身の腹の内側が煮立っていくのを感じていた。しかもこれで、翌朝には澄まし顔で「朝飯作るけど、アンタもいる?」とか言ってくるのだから堪らない。指と舌を蠢かせ、抱いたもう片腕で尾てい骨をすりすりと撫でながら、ユリエッティはにんまりと笑みを深めた。いつもの優しい微笑とは違う、ひどく淫靡なそれを。
恋人同士になってからまだ半年足らず、ヨルドへ渡ってからもう二ヶ月ほど。
ある意味で、あっちでもこっちでもヤることは変わらない二人であった。




