第76話 【攻略対象 水の精霊王と水龍】水の精霊王ヴォディム
たらたらと冷たい汗が背中を伝い続ける中、龍に向かって駆け寄る影があった。
「かっけー!! お前、すっげーかっけーなっ!!」
見れば、アルルクが歓声を上げながら、青龍の足元に駆け寄っている。レーナとエドヴィンは、彼のテンションの高さに虚を突かれ、抜け落ちた表情で彼らの遣り取りに視線を向ける。
『お前などと気安いぞノネ! この、小童がノネ!! 我は崇高なる水の精霊王ヴォディム様のお力により命を賜った、水龍ゾイヤなるぞノネ』
脅すように近付けられたゾイヤの顔に怯える様子もないアルルクは、更に一歩距離を縮めてゾイヤの鼻先をペシペシと気安く叩く。
「名前もかっけーなっ!! ゾイヤか! 覚えたぜっ!! オレは プペ村の勇者、アルルクってんだ。よろしくなっ! かっこいいゾイヤ!!」
びしっと親指を立てて自分の顔を示すアルルクは、レーナらから背中しか見えない。けれどその表情が清々しいまでの笑顔であることは確かだった。
(勇者よ! 色んな意味で勇者よアルルクっ!!)
心の中で歓声を上げるレーナは、友好的過ぎるアルルクの反応に戸惑いを見せたゾイヤを見て取ると「今のうちに行くわよ!」と小声で鋭く告げて、溶岩流の滝目掛けてアーチの岩の上を駆け出す。
一段と温度を上げた周囲の空気は、目の前を流れ落ちる溶岩流の熱さのせいではない。背後から迫る、荒ぶるファルークが発しているものだ。その証拠に、朱色の滝に一歩また一歩と近付いても、正面から感じる熱さに変化はない。ゲームと同じく、ただの幻影なのだ。
レーナはアーチ型の岩の天辺まで一気に走り切り、見本となって後続を励まそうと、滝に飛び込むべく軸足にぐっと力を入れる。彼女の背を追って、エドヴィンやアルルクが「私が試しにやってみせるから、早まるな」「待てよぉ!」と声を上げるが、躊躇している時間は無い。自分が飛んだら間違いなく2人も後を追って来ると確信し、全員で逃げ延びるために、レーナは朱色の滝――その奥に向かって身を躍らせた。
ばしゃんっ
溶岩流の滝に突っ込み、飛び出した先には想像もしていなかった水の塊が存在していた。
「ぅぷ・ぶぶぶぶっぐぶぅ……」
ごぽごぽと口から泡を吐き出しながら藻掻くレーナの視界に映るのは、視界を埋める水のせいで、質の悪いガラスを通して見るように歪む、黒い岩肌の広がる火山の景色。そして、死に物狂いで水から逃れようと暴れる彼女を、落ち着いた静かな瞳でじっと見詰める新たな攻略対象の姿だった。
ゲームの記憶では、火山の黒い岩肌にぽっかりと口を開けた溶岩洞の出口があるだけのはずだった。だがなぜか今は、球の形をとった巨大な水の塊が、その場所に押し付けられている。しかもご丁寧に、今飛び出そうとしている人間6人がすっぽり収まる大きなサイズのものが。
ばしゃ・ばちゃん・ばしゃ・ばしゃ・ばちゃんっ
全員が溶岩洞から飛び出すなり、レーナと同じ末路を辿り、人数分の水の揺れが引き起こされる。水塊は、空中に巨大な水球の形を取って浮かんでいたが、6人が飛び込む度に大きく揺さぶられ、ついにはシャボンが弾ける様に壊れ、乾いた地表に降り落ちる。勿論、中の人間たちも一緒に。
「っつっ……、たたた」
強かゴツゴツした地面に打ち付けた腰と尻を、素早く修繕したレーナは、さっと立ち上がり、この惨状を引き起こしたであろう新たな攻略対象に視線を鋭くして向き直る。
彼女の視線の先にいるのは、先程と一寸の変化もなく感情の一切籠らない凪いだ表情を向けて来る美貌の男だ。
「水の精霊王……ヴォディムが、なんでこんなところに」
愕然と呟いたレーナの声に、ヴォディムの柳眉がぴくりと跳ね上がった。




