第32話 【攻略対象 辺境伯令息】どこへ行っても花束ドライアド
レーナは、勝手に決めてしまったエドヴィンに、怒りが込み上げてきた。
けれど、丁度その時、屋敷に下働きとして入っている母が、騒ぎを聞きつけて駆け付けた。足音荒くレーナの傍に駆け寄った母は、彼女をエドヴィンからさっと奪い取ると、絞め殺す気かと云う強さでぎゅぎゅっと抱きしめる。
「レーナっ! っ……無事でよかった」
母は、涙を流しながら、か細い声で何度も繰り返し続ける。
「ご、ごめ……」
さすがに心配を掛けてしまったと反省したレーナが謝ろうとした――が。
「この馬鹿娘ーーーー!!! 馬鹿! 馬鹿! 無理してるんじゃないわよ!! レーナに何かあったら、わたしも、おとうさんも ゆるざな゛い゛ん だがらぁぁぁ」
聞いたことのない母の大声と、滂沱の涙を流しながらの怒りのセリフに、レーナもエドヴィンまでもが呆気にとられる。と同時に、このところ続いていた体の酷使に反省するとともに、冷静さを取り戻したのだった。
「今日の調査は、終わりにして、久しぶりにゆっくり休もうか……」
レーナとエドヴィンが、どちらともなくそう言い出す。そして、まだ昼前の早い時刻ではあったけれど、休養日とすることになった。
改めて見た階段は、所々踊り場を挟んで左右に分かれ、まだ下へと続く。よくここで止まったものだとホッと胸を撫で下ろしたレーナだ。ふと見上げれば、踊り場の壁に掛けられた、初代ドリアーデ婦人である精霊姫の絵画が目に入った。
「わたしたちの気も知らないで、可愛い花なんて抱えて、のんびり幸せそうに笑っちゃって……。けど、今日は、貴女のことを忘れて、ただのモブらしい一日を過ごすことにするからね」
ビシリと指さして宣言するレーナなのだった。
宣言通り、休日として今日一日を満喫することになった。
レーナには当然の様にエドヴィンと、距離を置いた護衛らが付いて来た。玲於奈の時のようなゴロゴロして一日を過ごす休日が送れないのは、残念だが仕方がない。辺境伯家にすっかりお世話になっている身として、それなりに気を張って日常を過ごす不自由さは飲むしかないと考えている。
それに、せっかく転生したゲーム世界に興味もあるレーナだ。勉強やら、精霊姫の調査やらで全然時間が取れなかったが、実際にこの世界を見て回りたい気持ちも強かった。
だからこの日は、これまで出来ていなかった街歩きを堪能することに決めた。午後の明るい日差しが降り注ぐ街の大通りに向かい、神殿や公園、はたまた街頭市場をそぞろ歩いてみた。
――が。
「なんだろう、このちっとも気分転換になってない感じ……」
ついつい漏れたボヤキを、耳聡く拾ったエドヴィンが苦笑する。
「この土地に精霊姫を象った物や、意匠としたものが多いのは仕方がないだろう。なにせ『精霊に愛でられる美貌の一族』が代々の領主を務める土地なんだからな。間近には精霊姫の樹海もあり、そこからの恵みが領地を発展させているんだ。精霊信仰が強いのは当然の流れだ」
ごもっともなことを言う。いや、その説明に間違いが無いことは、この世界を神の俯瞰で見て来たレーナはよくわかっている。けれど、感情が付いていかない。
これだけ悩まされている精霊姫の彫像が、絵画が、タペストリーや日用雑貨の模様として、神殿のステンドグラスとして、果てはアクセサリーの衣装や洋服の柄として――あちこちに存在しているのだ。
どこにだって目を向ければ、必ず、絶叫姫が桃色の花を抱えてにっこり微笑む姿が目に入る。
「ちっとも気分転換にならない……」
何度目かの溜息を吐いたレーナの足は、街頭市場に差し掛かっていた。




