第120話 【攻略対象 美貌の大魔法使いと王子様】ずぶ濡れモブコーリア
新入生を迎え、学院が華やいだ春の煌めきに包まれる中
がたり……
不穏は、微かな異変を伴って、ひたひたとその足音を近付けていた。
「レーナ! っはよー。迎えに来たぜ」
レーナの朝は、アルルクの挨拶とともに始まる。
一般寮玄関から踏み出した彼女のもとに、忠犬さながら、待ちわびていた赤髪がワクワクと弾んで近付く。
「アルルク、毎朝早起きできて偉いわね。これなら勇者修行もバッチリ、よね?」
「それとこれとは べつー。今日はダンジョンこーりゃくの日だ。あー、いそがしー」
分かりやすく話と視線を逸らしたアルルクだ。もとより神殿で修行再開は嘘だと言い切っているのだ。仕方のない奴、とレーナは呆れも顕わに溜息を吐く。
「じゃ、行ってきまーす」
言って立ち去るのはアルルクだ。校舎の入り口前から間近な大樹の影までひと息に駆け、木陰で龍化して飛び立つ。変化の過程は見られたくないらしい。
「またあいつは来てたのか」
『レーナが心配でならないみたいねー。最高神さまが付いてるから、大丈夫なのに』
あっという間に小さくなる青空の赤い点を見送っていると、同じく空に目を凝らしたエドヴィンが話し掛けてきた。レーナの肩の上にいたプチドラが、不穏な言葉を返している。
彼の言う通り、アルルクは毎朝一般寮から学院入り口までの僅か10分ほどの距離を、レーナに付き添うためだけにやって来る。
「恐ろしく過保護な……いや、執着心の強い奴だな」
眉根を寄せて呟くエドヴィンに、レーナは目を瞬かせる。
「故郷から離れてるから同郷のわたしを頼ってるだけでしょ。じきに一人立ちするわよ。1週間経ったことだし、いい加減飽きるでしょ」
質の悪い冗談を聞き流すように、レーナは笑いながら、アルルクの固執を否定する。そんなことないだろう、と2対の緑の瞳が呆れた色を浮かべるが、それには全く気付かない。
鈍感なレーナだが、それでもエドヴィンの背後に、見知った2人がおかしな様子でいることには気付いて目を見開いた。
「シルヴィアさんに……モブコーリアさん!? なんでそんなにずぶ濡れなの!?」
そこには、色が暗く変わるほどたっぷりと水を含んだ制服姿のモブコーリアと、憂いに瞳を揺らすシルヴィアが居る。
聞けば彼女は、レーナがやられたのと同じく、高貴寮の傍で水を掛けられたと言う。やったのはモブコーリアと同じくB組の伯爵令嬢で、A組になれなかった鬱憤を平民である彼女にあたることで晴らしているらしい。クラス分けは爵位が全てではないが、王子の在籍するA組に有力貴族が多いのも確かだ。
「あの方……最初はA組に入った私に、格の釣り合わない者がそれらしく振る舞うのは見苦しい、と。ご学友を通じて、何度も苦情を訴えて来られたのですが」
シルヴィアの表情が曇る。言葉を選びつつ話してはいるが、伯爵令嬢が取り巻きを使い、男爵令嬢のシルヴィアを囲んで執拗に口撃していた――と云うことだ。
「けれど、私がレーナ様と共に生徒会員となってからは、生徒会員でなく、私と親しいモブコーリア様に矛先が向いてしまって……」
モブコーリアは平民であり、特段の能力もない。とある小さな男爵家の婚外子で、当主の好意で学院入学の推薦を与えられたらしい。
レーナとシルヴィアが一年で生徒会入りを果たしたのは、それぞれが成績優秀者であり、王子の理念を遂行する助けになる行動力を持つと認められたからだ。その点、モブコーリアには必要とされる要素はなかった。
「あれ? でもあの日の話し合いの後でバルザック先生が、わたしみたいな被害が出ないようにっ……て。寮の周辺には対策魔法を仕掛けてたんじゃなかった?」
レーナが記憶を辿りつつ首を傾げると、エドヴィンが腕を組み、呆れた様子で口を開く。
「だから今は、建物から外に向かって放たれた熱湯や害ある液体は、無害な冷水に変わる。物ならば、建物側に引き寄せられる。どうせなら落ちるものを消し去る魔法にしてくれれば良かったんだが。中途半端な効果だ」
『愛する人に向けた落とし文を消すような、無粋な魔法は仕掛けられません、なんて言ってたわね。ふふ、エドヴィンは不服みたいだけど、あたしは素敵だって思うわ』
うっとりと両頬に手の平を添えるプチドラには好意的に受け入れられているらしい。
――だがそのお陰で、冷水でずぶ濡れのモブコーリアが出来上がりとなった訳だ。




