性癖はひとそれぞれ
そんなことがあった日も特に何かいつもと違うことがあったわけではない。
千吉良春宏はいつもの時間に目が覚め、変わらず登校した。
授業もつつがなく受け、大して勉強になっていないのだがとても勉強した気になっていた。
そう言えば、学校生活にちょっとした彩りがあったのを思い出した。
「や、千吉良君。今の授業分かった?」
「や、八丁さん。全然、分からないことが分かったってやつかな」
「アハハハっ!、それ何にも分かってなくない?」
「おっしゃる通りで」
隣の席がギャルになったのだ。
名前は八丁唯。
名前はすぐに憶えられた。なぜなら、八丁、なんて珍しい苗字とその容姿が合わされば忘れるのは寧ろ難しいからだ。
八丁唯はギャルだ。
スカートだって限界ぎりぎりまで折りたたんで短くしているし、髪も染めて金髪だ。うっすら他の色も混ざっているのかもしれないが、残念ながら千吉良には判断がつかない。
制服の着崩し方はもはや見事、と言うほかないが特質すべきなのはその顔とスタイルだ。別にギャルでなくとも千吉良春宏という男は首を落とさんばかりの勢いで二度見しただろう。
明らかに小さい顔に大きい眼、すらりとした目鼻立ちは外国とのハーフを疑うほどだ。そして何より胸がデカい。
千吉良春宏にとって胸の大きさは、性癖のカテゴリでは低めに位置する優先度の低いものだが、ここまでのものを生で見せつけられると何かが崩壊してしまいそうな気分にもなる。
「ま、俺の優先度は足だけどね」
結局のところ、性癖とは千差万別だ。
あまりによいおみ足だったからつい声に出してしまった。
髪型もいい、というのが他の男子からの評判だ。自慢の金髪に染められたロングヘアを活かして色んな髪形をする。まぁとにかく動くたびに髪とスカートが揺れるのだ。揺れるものを追ってしまうのは男子の狩猟本能的な物が働いているのか、ともかく多くの男子生徒を魅了していることに間違いない。
そんなこんなで、学校の彩りを感じながら千吉良は下校した。
「なぁ、おい、知ってるか? またガス爆発事故だってさ」
「朝のニュースで見たよ。隣町だろ、今日はその話で一日中もちきりだったよ」
千吉良の前を歩く二人の男子生徒の声が耳に入る。
「ガス爆発ねぇ」
特段詳しいわけでもないが、最近のニュースでガス爆発事件が多いと聞いたことがある。加えて一緒に報道されるのは、身元不明の遺体の話や、そもそも行方不明になってしまったと言う話だ。
その二つの事件の起こった場所があまりに被ることから、なにかと噂が絶えない事件だ。
そんなオカルティックな話題が日本を席巻しているなど驚きだ。せいぜい、数週間にわたって騒がれることなど不倫くらいだと思っていた。
とはいえ、そんなニュースも特段変わりない日常を彩るちょっとしたスパイスに過ぎない。
とぼとぼと歩いていると、同じく下校中なのだろう八丁唯を見かけた。
「一人でいるのは珍しいな」
ギャルだから、というわけではないが八丁は人気者で一人でいるところを見かけるほうが珍しい稀有な人間だ。
そんなレアなシーンを見れたことに感動を覚える。
「ん? そっちは駅じゃ……」
つい、気になって後を追いかけてしまう。
駅に向かう直線を曲がった先、そこに彼女はいるはずだった。
「なっ!」
姿を見失った。
曲がった先は入り組んでいるが、ほぼ直線だ。視線の先のさらに奥、曲がり角はあるが八丁との距離はそこまで離れていなかった。それだけ早く歩いたり走ったりしても、絶対にたどり着けない距離だ。
「ギャルの幻影でも見たのか……?」
それこそバカな話だ。
幻影があれだけ色濃く、目に映ることなんてありえない。
「んぁ!?」
情けない声が出た。
突如感じたことの無いような浮遊感があれば、こんな声を出してしまっても仕方がないだろう。
「んだよ、これっ!」
重力と浮遊感がせめぎ合い、引き裂かれるような感覚だ。
少なくともこれまでの人生で味わったことの無い感触だ。強いて言うなら飛行機の離陸が最も近い感覚かもしれない。それを数倍不快にした感じだ。
その不快感のせいか、見知った景色もおかしな風景に変わっているように思える。
なんというか、これは異世界、だ。
千吉良の知らない世界が広がっている。
原色で彩られた不思議な世界は千吉良の知っている限り日本には存在していない。少し不気味な世界だ。
「嘘だろ、なんだよここ」
辺りを見回して声を出すころには浮遊感による不快感は消えていた。代わりに視界に映る色の多さに不快感を得る。
「誰かいないのかっ! っ! そうだ、八丁さん」
千吉良は走り出した。
少し、ほんの少しだけ、こんな状況になったことをワクワクして感謝している自分がいた。なぜなら、こんな非日常の危機的状況から彼女を救い出してみれば、そういう展開も見えているからだ。
純粋な善意、ではなく。純然たる下心で千吉良は動いていた。
走り出して気が付いたことがある。
見知らぬ世界、というのは勘違いだ。
いや、確かに知らない世界ではあるのだが、見覚えがある。
間違いなく、ここは駅近くの住宅街だ。千吉良の通う学校からさほど離れていない通学路の一つ。
「見覚えある方が現実感あって怖えぇな。っ! なんか、動かなかったか」
恐怖も相まって、一人でいる時の口数が増えている。
そんな千吉良の視線の先に、自分以外の動く物が見えた。
八丁だと完璧に認識できたわけではないが、自分以外の生物だ。きっと八丁だと千吉良は思う。
「待って、八丁さん!」
さらに速度を上げて千吉良は影を追いかける。
千吉良の身体能力は、決して悪くない。寧ろ帰宅部としては高水準だろう。どれくらいかというと、体力テストでは五段階中上から二番目の評価を貰うことができる。足の速さだってそれなりだ。体育祭でのリレーは青春ポイント獲得の重要な一面だ。
だが、全く追いつかない。というよりも、本当にいたのかさえ分からない。
そこに生物の影を感じないのだ。
「はぁ、はぁ、くっそ、まじか…………っあほんだら、諦めんな」
膝に手を着いて呼吸を整える。
このまま諦めてしまっても構わないのだが、理性とのせめぎ合いがそれを許さない。どちらかと言えば今は獣性に支配されているらしい
。
「おいおいおいおいおいおいおい、まてって、まてって」
膝から手を放し、顔を上げた先。
視界の光景は簡単には信じられない。
化け物だ。
少なくとも腕は七本ある巨大な、モンスター。
腕の先には指は見えず、カマキリのような鋭い爪が生えどう見ても殺傷能力が高そうだ。
誰かがゴキブリを人間大にしたら相当強いと話していたような気がするが、まさにそうだ。どんな生物なのかは分からないが、なんであろうが脅威話感じざるを得ない。
「こんにちは……? はろ~? いい天気ですね、それじゃっ!」
失礼にならない程度の挨拶をして、すぐにその場から立ち去る。
ギャングに会ったときはビビっている方がカモだと思われてしまうらしい。同じ感覚が通用するのか分からないが、今はどんな知識にもすがりたい気分だった。
「おおおおおおおおおおおおっ!」
追いかけてくるッ!
「熊か、お前は熊なのか? 背中がそんなに好きなのかっ!?」
体力的にも限界が来ていたのだが、変わらず走り続けられるのは危険な感覚に充てられているからだろうか。
景色なんて見てる余裕はなかったが、突如視界に入ってきた金髪に見惚れ、そしてコケた。
「なっ」
ズシャァァァ、と顔からこける。
「八丁さ、ん……ひっ」
後ろから迫りくる金属音にビビったのは半分、目の前の美少女があまりに似合わない剣を持っていることでビビったので半分。既に千吉良の恐怖の容量は範疇を越えていた。
「やばいやばい、ストーカーにしては殺傷能力が二人とも高すぎる……っ、愛で殺されるのはいいが、本当に自分もそれで死ぬ覚悟はあるんだろうな!? あなたも殺して私も死ぬわ、だよな! あなただけ死んではなしだぞっ!」
足の痙攣を感じながらも、恐怖に苛まれる形で体に鞭を撃って走り出す。
「あ、ちょっと、千吉良君、待って!」
「待てないですけど!?」
怖すぎて敬語が出る。
こうして千吉良は二人の化け物から追われる運びとなった。