運命の分かれ道に立つ
少し時間を置いてから、大広間へと足を運んだ。
仲良くしているご令嬢に声をかけたら帰ろう。なんて考えていたのに、私のもとに真っ先にやってきたのはアントニーを連れたソニアだった。
「グラシエラ、もう逃げ帰ったのかと思っていたわ」
「いえ、少し風に当たっていただけですので」
アントニーは諦めの境地なのか、虚無の表情でいた。もちろん、私と視線なんて合わせない。
「グラシエラ、見なさい。みんな、楽しそうにダンスを踊っているわ。あなたも参加したらいかが?」
私に同伴者がいないのをわかっていて、そのようなことを言ってくるのだろう。
我が従妹ながら、本当に性格が悪い。
彼女は私が想定していなかった提案をしてくれる。
「よかったら、アントニーを貸しましょうか?」
まるで、自分の男だと言わんばかりの言葉である。
当然ながらお断りだ。
「いえ……。今日は踊るような気持ちではなくて」
「だったらどうして、夜会にやってきたの? 踊らないのならば、参加する意味なんてないじゃない」
私のいない場所で勝手な憶測や噂話が広がるのは我慢ならない。
夜会に参加した理由は、私の意地とでも言えばいいのか。
「それはそうと、グラシエラ、あなた、少し老けこんだんじゃない?」
昔は大人っぽいだなんて言われていたのだが、それ相応の年齢になると老けて見えるようだ。
老いは誰にでも平等に訪れる。指摘されても、別に「そうなんだ」としか思わない。
「私もあなたと同じ年頃になったら、そういうふうに見えるのかしら。年を取るって、恐ろしいわ」
少し困ったような表情を浮かべ話を聞き流していると、ソニアは愉快だとばかりに上機嫌になる。
その後も、ソニアは楽しそうに私をいびってきた。
こういうときロマンス小説であれば、かっこいいヒーローが颯爽とやってきて、ヒロインを助けてくれると言うのに。
ただ、誰かに救ってもらうことを期待するのは危ういものだ。
物語の世界では事件をきっかけに愛されるようになり、めでたしめでたし、というパターンが多い。
けれどもそのヒーローが別の女性を愛してしまったらどうなるのだろうか?
愛だけが繋ぎ止める居場所なんて、私は信じられない。
これは私の人生だ。何をするにも、他人を頼ってはいけない。
自分自身の意思で、未来を切り開かなければならないのだ。
「ソニア、アントニーが退屈しているようです。一緒に踊ってきたらいかがでしょうか?」
「それもそうね。アントニー、行きましょう」
「あ、ああ」
去りゆく彼らに対し、切なげな視線を向ける。もちろんそういう〝振り〟だ。
周囲の者達に見せるパフォーマンスは、これくらいやれば十分だろう。
そろそろ帰ろうか、と踵を返したら、誰かが走ってやってくる。よくよく見たら、父の従僕だった。
「グラシエラお嬢様、今すぐお帰りください!!」
常に父の傍にいる彼がこのように慌てているということは、何かあったのだろう。
急いで馬車に乗りこみ、メンドーサ公爵家の屋敷を目指す。
「どうかなさったの?」
顔色を青くさせていた従僕は、涙目で事情を打ち明けた。
「公爵様が、大量の血を吐きました。お医者様曰く、今夜が山だろう、と」
「お父様が!?」
父が亡くなる日まで、まだ日数があるはずなのになぜ!?
どくん、どくんと嫌な感じに脈打つ胸を押さえつつ、父がいる寝室を目指した。
「お父様!!」
「うう、がああああ」
父はシーツを真っ赤に染めるほど血を吐き、苦しみもがいていた。
いったい何が起こったというのか。
巻き戻る前の人生では、父は静かに息を引き取っていたというのに。
「これはどういうことですの!? お父様はどうなさったの!?」
「いきなり容態が悪化したようです」
今は痛み止めを飲ませるしか、打つ手はないと言う。
そんな中で、執事が声をかけてきた。
「グラシエラお嬢様、フロレンシお坊ちゃんはどうしましょう?」
フロレンシはすでに就寝していると言う。
このように血まみれで苦しむ父を見たら、ショックを受けるだろう。
「フロレンシを呼ぶ必要はありません。お父様の傍には、わたくしがついておりますので」
「承知しました」
父は一晩中血を吐き、苦しみ抜いた末、息を引き取った。
壮絶な最期だった。
執事の手によって、父はきれいな状態にされる。
血まみれだった寝具も取り替えられ、清潔な寝台の上に眠っているようだった。
穏やかな表情で逝ったことが、唯一の救いなのか……。
私は父の亡骸の前で、涙が涸れるほど泣いた。
そんな私にガッちゃんは優しく寄り添い、励ましてくれる。
一度、父の死は経験しているのに、それでもショックが大きいし悲しい。
夜会になんて行かずに、傍にいたらよかったという後悔に苛まれた。
だんだんと外が明るくなっていく。新しい一日が始まろうとしていた。
「グラシエラお嬢様」
私は執事を振り返る。彼が何を言わんとしていたかは見て取れた。
「お父様の葬儀は三日後に行います。フロレンシにはあとで話しますので、ご心配なく」
一晩中父の傍にいて、執事も疲れただろう。しばし休むように、と言っておいた。
ひとりになると、これからどうしようか、という考えの渦に呑み込まれる。
叔父の相手をすることを考えただけで、頭がズキズキと痛んだ。
ひとまずメンドーサ公爵家の地位と財産は凍結されている。叔父に奪われようがない。
それについて叔父が知るのは、きっと時間の問題だろう。
私を恨んで、何か行動に出てくるかもしれない。
もしかしたらフロレンシさえいなければ、メンドーサ公爵家の地位と財産は叔父に転がり込んでくる、などという愚かな考えに辿り着く可能性だってあった。
ゾッと全身に鳥肌が立つ。
「……ここにいてはいけませんわ」
フロレンシを連れて、しばらくどこか遠くに行って、身を潜めていなければならないだろう。
「けれども、どこに行けばいいものか」
領地や親族以外に伝手なんてない。
敵が叔父である以上、それらを頼るわけにはいかなかった。
「どうしましょう」
そう呟いた瞬間、ガッちゃんが便箋を旗のようにヒラヒラとはためかせる。それはレイシェルから貰った、鳥翅魔法がかけられた便箋であった。
「そうですわ!」
私にも伝手があった。それはビネンメーアの大公令嬢、レイシェルである。
彼女ならば、私を助けてくれるかもしれない。
ごくごく普通にビネンメーアに逃げただけでは、すぐに見つかってしまうだろう。
私やフロレンシの身分を偽るくらい、徹底的に対策を打つ必要がある。
ただ、ヴルカーノからやってきた年の離れた姉弟であれば、悪目立ちしてしまうかもしれない。
フロレンシを守るためには、どうすればいいものか。
「わたくしがフロレンシの本当の母親であればよかったのに」
『ニャニャ!!』
ガッちゃんが「それだ!」と叫んだような気がした。
「母子……。そうですわ! 母子として偽装しビネンメーアに渡ったら、怪しまれずに済みます」
二十歳の娘に六歳の息子というのはいささか無理があるが、ソニア曰く私は老けているそうなので、きっと誤魔化せるだろう。年齢も二十代半ばくらいにしておいたほうがいいだろう。
父の手を握り、私は誓った。
「お父様、わたくし、フロレンシを守ってみせますわ!」
いつまでもめそめそしている場合ではない。涙を拭い、立ち上がった。