思いがけず人助け
このまま大広間に行けるほど、私の神経は図太くなかった。
ひとまず、ほとぼりが冷めるのを庭で待とう。
宮殿には通常の庭と、貴賓や上級貴族が出入りできる庭がある。
通常の庭は闇に紛れて愛人と逢瀬を重ねる温床となっているので、可能であれば近付きたくない。
当然ながら、貴賓と上級貴族専用の庭へと向かった。
外は少し肌寒いが、大広間で人々からの好奇の視線にさらされるよりはマシだ。
今は秋薔薇のシーズンで、馨しい香りに包まれる。
ガッちゃんとお花見でもしようか。なんて考えていたところ、女性の悲鳴が聞こえた。
「きゃあ!!」
そこまで遠くない距離に、人がいたようだ。
薔薇の荊に用心しながら、何があったのかと覗き込む。
ブルネットの髪を美しく巻き上げた、美しいご令嬢が今にも泣きそうな表情でいるのが見えた。
顔に見覚えはない。おそらく、異国の地から招待を受けた貴賓なのだろう。
「どうすればいいの!? いただいた真珠の首飾りを、バラバラにしてしまうなんて!」
彼女がそう口にした瞬間、私の足先に何かがコツンと当たる。
すぐさまガッちゃんが確認に行ってくれた。
『ニャ』
ガッちゃんが拾って見せてくれたのは、一粒の真珠だった。
関わるつもりはなかったものの、拾ってしまったから仕方がない。
驚かせないように物音を立てながら近付く。
「あの、こちらの真珠はあなた様のでしょうか?」
「え、ええ、そうよ」
女性は付添人と真珠をかき集め、一粒足りないと騒いでいるところだったらしい。
瞳は潤んでいて、今にも涙を零しそうに見えた。
異国の地で不安な上に、せっかくの首飾りをダメにしてしまったのだ。そういうふうになってしまうのも無理はない。
助けを求めるような視線を私に向けていたので、話を聞いてみる。
「あの、どうかなさったのですか?」
「薔薇の蔓に、首飾りを引っかけて、引きちぎってしまったの」
なんでもその首飾りは、婚約者が今日の夜会のために贈ってくれた品だと言う。
本人に身に着けた姿を見せる前に、バラバラにしてしまったそうだ。
「あなた、腕のよい宝飾職人はご存じ?」
その発言に、付添人が言葉を返す。
「レイシェルお嬢様、今から職人に頼んでも、修繕するには数時間かかりますよお」
「そ、そうよね」
千切れた糸を拾い上げる。それを見たガッちゃんが、『ニャ!』と鳴いた。
それを聞いてハッとなる。
蜘蛛細工を使ったら、真珠の首飾りを元通りにできるはずだ。
「あの、わたくし、真珠の首飾りを修繕できますわ」
「あ、あなたが?」
「ええ。正確に言えば、わたくしと契約している妖精がしてくれるのですが」
妖精と聞いて驚いた表情を見せる。
「火山の国には、妖精が残っているのね!」
「ええ、まあ」
二世紀前に起こった魔導戦争の影響で、魔力を溜め世界に供給する世界樹の力が衰えた。その影響で、妖精の数は減ってしまったのだ。
我が国ヴルカーノは火山に魔力を溜め込む天然の核があるので、他国よりも妖精が生き残りやすいのだろう。
「海の国の妖精はずっと前から絶滅したと言われているの」
やはり、彼女は異国の地からやってきた貴賓だった。
ビネンメーアというのは、海を挟んだ向こうにある国だ。
周囲が大地で囲まれた付属海があり、比較的温暖な気候と肥沃な土地を持っていることにより発展した国である。
ヴルカーノより、遥かに大きな国土と軍事力を持っているのだ。
「それにしても、妖精とはどうやったら会えるの?」
「ガッちゃん……この子との出会いは偶然でして」
私が幼少時代、花壇でしおしおになって倒れているガッちゃんを発見し、魔力を分けてあげたのだ。
それをきっかけに、ガッちゃんは私と契約を結んで、ずっと傍にいたいと望んでくれた。
以降、いつでも一緒なのだ。
「すてきな話だわ! その妖精さんは、あなたにとって一番のお友達なのね」
「ええ、そうなんです」
と、昔話をしている場合ではなかった。
一刻も早く、真珠の首飾りを修繕しないといけない。
「えーっと、では、妖精の力で直しますね」
「ええ、お願い」
ハンカチに包んで集めていた真珠を、地面に置いてもらう。
女性は興味津々な視線を向けていた。一応、妖精は蜘蛛で怖いかもしれない、と言っておいたのだが、平気だと言ってのける。
「ガッちゃん、お願いします」
『ニャ』
ガッちゃんと魔力を連動させ、指揮棒を揮うように魔法の糸を紡いでいく。
真珠の穴にひとつひとつ通し、端と端はレースのリボンにして仕上げた。
仕上がった物を女性へ差し出すと、驚いた表情で受け取ってくれた。
「すごいわ! こんな短時間で元通り以上にしてくれるなんて。ありがとう! 本当にありがとう!」
問題ないようで、ホッと胸をなで下ろした。
「ごめんなさい。名乗り忘れていたわ。私はエーレルト大公の娘、レイシェルよ」
聞き覚えのある名にハッとなる。
堂々とした様子から、かなりの上級貴族ではないのか、と思っていたのだ。
まさか、エーレルト大公家のレイシェル嬢だったなんて。
エーレルト大公家はビネンメーアの王族に与えられる地位である。
さらに彼女は慈善活動に熱心だ、という噂話を耳にした覚えがあった。
弱き者達に手を差し伸べ、慈愛を見せることから、ビネンメーアの聖女とも呼ばれている。
そんな相手と、偶然出会ってしまうなんて。
「わ、わたくしは……」
名乗るほどの者ではないと言いたかったのだが、相手が王族に準ずる者なので、はぐらかせるわけがなかった。
胸に手を当てて会釈しつつ、自らを名乗る。
「メンドーサ公爵の娘、グラシエラですわ」
「まあ! そうだったの。お会いできて光栄だわ」
「わたくしもです」
レイシェルは私の手を握り、感激した様子でいた。
「あなたには何かお礼がしたいのだけれど」
「いえいえ、どうかお気になさらずに。わたくしはただの通りすがりですので」
「そんなこと言わないで」
レイシェルは「そうだわ!」と言って、付添人に何か耳打ちしていた。
付添人はすぐさま、手にしていたポーチから便箋を取り出す。
「こちらは鳥翰魔法――魔法がかかった便箋で、名前を書いた相手に鳥のように飛んでいくの。もしもビネンメーアに来ることがあったら、案内するわ。いつでも連絡してちょうだいな」
「魔法!? このように貴重なお品を、よろしいのですか?」
「もちろんよ」
魔道戦争の影響で衰えたのは世界樹だけではない。魔法使いの存在も、減っていったのだ。
そのため、この世界で魔法は大変貴重なものであり、魔法が付与された品は高額で取引されるほどである。
レイシェルの付添人が「姫様、そろそろ」と声をかけていた。ここでお別れというわけである。
「グラシエラさん、またどこかでお会いしましょう」
「え、ええ」
まさか、ビネンメーアの大公令嬢と繋がりができた上に、魔法の便箋まで貰ってしまうなんて……。
巻き戻る前の人生では考えられなかったことだ。
新しい道を選択することによって、運命が変わる。
心に希望が差し込んだ瞬間でもあった。