幽霊を探せ!
庭は薔薇が盛りを迎えていた。辺り一面が濃い芳香に包まれている。
「ララ、こっちだよ」
なんでもマントイフェル卿は上層階から庭を覗き込み、東屋のある場所を確認していたらしい。
迷路のように薔薇が植えられた庭を、迷いなくするする進んで行く。
「あの先を曲がって真っ直ぐ行った先が東屋がある場所なんだけれど、幽霊がいたら大変だから回り道をして、後方から覗き込めるようにしようか」
「承知しました」
遠回りをし、やっとのことで東屋が見える場所まで行き着いた。
問題の東屋は白亜の柱がドーム状の屋根を支える、スッキリと洗練された佇まいである。
私とマントイフェル卿はしゃがみ込み、様子を窺っていた。
身を隠すためとはいえ、想定以上に密着状態になり、落ち着かない気持ちになる。
ドキドキと胸がうるさく鳴っていたので、落ち着くようにと自らに言い聞かせた。
「ねえ、ララ」
耳元で囁かれたので、跳び上がりそうになるほど驚いた。
奥歯をぎゅっと強く噛みしめ、なんとか耐える。
「な、なんですの?」
「幽霊って信じる?」
「……」
幽霊というのは未練や恨みがあるあまり、地上に思いだけを残して存在するもの――と言えばいいものか。
「わたくしは、よくわかりません」
侯爵家の裏庭でも、幽霊の目撃情報はあったらしい。
けれどもたいてい、そういった不可解な存在は見間違いである場合が大半だ。
「魔力の集合体が淡く光ったものを、幽霊として勘違いする方も多くいらっしゃいますし」
「ああ、なるほど。そういうのもあるんだ」
ありえないと感じつつも、死んでも死にきれないような人達は幽霊になってしまうのもおかしな話ではない、と思ってしまうのだ。
「ですから、幽霊をはっきり目にしたら、やはりいたのか、と思ってしまうかもしれません」
「うん。僕もそんな感じだ」
イルマが言う幽霊とは、いったいどのような存在なのか。
王家には血濡れた歴史などつきものだから、恨みを持つ幽霊のひとりやふたり、その辺を歩いていてもなんら不思議ではなかった。
草陰に身を隠し、東屋を監視すること一時間――。
見回りの騎士などいないし、王族がやってくる気配すらなかった。
「もしかしたら、イルマがメイドから聞いたデタラメな噂を本気にしてしまった可能性もあるよね」
「ええ……」
イルマは天真爛漫そのもので、他人を疑うことを知らない娘だったと言う。
その場しのぎの会話を、本気に取ってしまったのかもしれない。
「えーっと、どうしようか。僕個人としては、このままララと密着しているのも悪くないけれど」
「帰りましょう」
そう宣言し立ち上がった瞬間、東屋に人影を発見してしまった。
叫びそうになった口を両手で押さえ、その場にしゃがみ込む。
「ん、ララ、どうかしたの?」
東屋を指差し、確認するようにと身振り手振りで伝えてみた。
マントイフェル卿は姿勢を低くしたまま、東屋のほうを確認する。
「あれは――!」
彼もまた、東屋に人のシルエットがあるのを確認できたようだ。
「おそらく女性だろうね。もう少し近付いたら誰かわかるかもしれないけれど」
こちら側に背中を向けて椅子に座ったようだ。
「ここに立ち入りができる女性は今のところ三人、ってところかな」
ひとりは王妃、もうひとりは公妾、最後のひとりはマリアン王女――つまりマントイフェル卿である。
マリアン王女を除外するとしたら、あそこにいるのは王妃か公妾ということになるのだ。
もちろん、本物の幽霊である可能性もあるのだが。
「僕だけこっそり接近して、見てこようか?」
「これ以上接近するのは危険なのではありませんか?」
「大丈夫。ちょっと待ってて」
マントイフェル卿はゆっくり立ち上がり、草むらから一歩踏み出す。
その意識は、東屋一点に向いていたのだろう。
背後からやってきた人物に気付いたのは、声をかけられたときだった。
「おや、リオン。そこで何をしているのですか?」
突然やってきたのは、マントイフェル卿がよく知る人物、ゴッドローブ殿下だった。
護衛も連れずに、ひとりでいた。
「殿下のほうこそ、おひとりで何をしているのですか? 護衛は?」
「先に私の質問に答えていただけますか?」
ゴッドローブ殿下はにっこり微笑む一方で、いつでも余裕たっぷりなマントイフェル卿の表情は凍り付いているように見えた。
幽霊についての話が重要な情報だったら、ここで打ち明けないほうがいい。
そう思って、私はゴッドローブ殿下とマントイフェル卿の間に割って入る。
「申し訳ありません! わたくしがここに来てみたい、とお願いしたのです!」
私の存在には気付いていなかったのだろう。ゴッドローブ殿下は目を丸くしていた。
こうなったら自棄だ。
マントイフェル卿の腕にしがみつき、みっともなく見えるような言い訳をする。
「わたくし達、侯爵夫人に交際を反対されまして、こうしてここで密会するしかなく……。悪いのはすべてわたくしなんです。夫がある身でありながら、リオン様を誘惑してしまいました!」
ちらりとマントイフェル卿の顔を見上げたら、信じがたい、と言わんばかりの視線を向けていた。
演技をしているので、しっかり乗ってほしかった。
「リオン、彼女とこっそり交際していたというのは、本当なのですか?」
「あ……はい」
「なぜ、言ってくれなかったのですか! あなたのためならば、いつだって協力したのに!」
「い、いえ、ただでさえ助けていただいているのに、私生活まで手を貸していただくわけにはいかないと、思った次第で」
珍しく、マントイフェル卿はしどろもどろな感じで言葉を返していた。
おそらく、私の下手な芝居と設定に驚き、動揺しているのだろう。
その様子が私達の関係がバレて平静さを失っているようにも見えるので、功を奏したと言ってもいいのかもしれない。
「ただここは、私のような王族が夜に部屋を抜け出し、散歩をするような場所ですので、こっそり会うならば、別の部屋を用意しましょう」
「ご配慮、痛み入ります」
ゴッドローブ殿下は月と薔薇が美しい晩だったので、気分転換に散歩をしていたらしい。
「先ほど執務室から部屋まで送って、部下より寝所へ向かったと報告があったものですから、とても驚きました」
「一番、抜け出したのを露見してはいけない人に見つかってしまったようですね」
お互いに気まずい出会いだったわけだ。
「私も無意味に歩き回っているわけではなくて、少々ここの風紀が乱されているという話を耳にしていたものですから」
「そういうことは、私に命じてください」
「ああ、そうだね」
王族の間でもいろいろあるらしい。
華やかな世界に生きる人々という印象しかないが、内情は意外とドロドロしているのかもしれない。
「殿下、部屋まで送りましょう」
「ええ」
正規の道を通って帰るらしい。
最後に東屋を振り返ったが、先ほど見かけた女性の姿は忽然と消えていた。
まさか、本当に幽霊だったのではないのか。
そう考えると、ゾッとしてしまう。
この日の調査は、ゴッドローブ殿下との邂逅により中止。
私の身柄はメイドに託され、マントイフェル卿と会話することなく侯爵家に向かう馬車に乗せられてしまった。
それにしても、ゴッドローブ殿下に会ってしまうなんて運が悪い。
言い訳として、私はマントイフェル卿と親密な関係にあると、咄嗟に嘘を吐いてしまった。良心がズキズキと痛む私のもとに、想定外の事件が知らされる。
王妃の首飾りが何者かによって盗まれたらしい。耳にした瞬間、ゾッと鳥肌が立った。