蜘蛛細工(テララニャ)
今晩の夜会に着ていくドレスが躯幹人形に着せられ、部屋に置かれていた。メイドが運んでくれたのだろう。
麦藁カラーのドレスは父が闘病中とあって、あまり華美でないものを、とデザイナーに注文していたのだ。
フリルやリボンなどの装飾はまったくなく、ただただドレスの形を成しただけの一着であった。
現物を前にすると、かなり地味な印象のように思えた。
きちんと布を見て注文したはずなのに、数ヶ月前の私はどうして「これでいこう」と決めたのか。
アントニーと婚約解消された今、こんなドレスを着ていったら、笑いものにされてしまうだろう。
ドレスを前にうんうんと唸っていたら、私の肩に乗っていたガッちゃんが『ニャ!』と鳴いた。
ガッちゃんは糸を作ってあやとりをするように、小さなレースを作って私に見せる。
まるで、蜘蛛細工でレースを作ってドレスにあしらう? と聞いているようだった。
「そうですわ! わたくし達には、蜘蛛細工がありました」
蜘蛛細工は私の魔力を媒体とし、ガッちゃんが魔法の糸を作り出す。それに私の想像力と糸が連動し、世にも美しいレースを作り上げるのだ。
これまで私はガッちゃんと作る蜘蛛細工を、レース編みに使ったことなどなかった。
思いついたのは、時間が巻き戻る前の悲惨な人生の中である。
もしかしたらガッちゃんが、不思議な力で時間を巻き戻してくれたのだろうか?
『ニャ?』
どうしたの? と覗うようなガッちゃんの声を聞き、ハッと我に返る。
「い、いいえ、なんでもありませんわ。蜘蛛細工でレースを作りましょう」
『ニャ!』
実を言えば時間が巻き戻る前に作っていたレースのすべては服飾店に納品するための品で、自分のために蜘蛛細工を使うのは初めてだった。
上手くできるのか、ドキドキしてしまう。
大きく息を吸い込んで――吐く。心の準備はすぐにできた。
「ではガッちゃん、始めましょうか」
『ニャ』
意識を集中させ、体内にある魔力を感じ取る。
空中に魔法陣を描くと、全身の血が沸き立つような感覚を覚えた。
描いた呪文が発光すると、ガッちゃんは大きく跳躍し、魔法陣に小さな体をぶつける。すると、ガッちゃんのフワフワの体が白く光った。
魔法陣に触れることにより、私の魔力はガッちゃんと連動するのだ。
ガッちゃんはドレスの肩部分に着地すると、準備ができたとばかりにつぶらな瞳を私に向けた。
ここから、魔法の糸を使ったレース編みを開始する。
脳内に思い浮かべたのは、ニードルを使って作る美しいレース。
職人が数ヶ月かけて仕上げるような、精緻な薔薇模様を想像した。
指揮棒のように指先を動かすと、それに合わせてガッちゃんが魔法の糸を作り出す。
『ニャ、ニャ、ニャ~』
ガッちゃんは上機嫌な様子で、私の脳内にあるレースを編んでいく。
蔓がしなやかに伸び、大輪の花を咲かせる優美な薔薇が施される。
あっという間に完成したレースは、質素な袖口に合わせた。
『ニャ!』
ただレースを付けただけなのに、ドレスは華やかな雰囲気へと替わった。
ガッちゃんはもっとレースを作ろう、と提案する。
華美になりすぎない程度に、胸元や腰周り、裾にレースをあしらっていく。
一時間ほどで、ドレスのレースを完成させた。
すばらしい仕上がりに、ガッちゃんと手と手を合わせる。
キャッキャと喜んでいたら、突然ガッちゃんがハッとなった。
『ニャ、ニャ、ニャニャニャ!?』
必死の形相を浮かべ、私を心配しているように見える。
「もしかして、わたくしが魔力を使い過ぎたのではないか、と心配していますの?」
『ニャ~~』
ガッちゃんはコクコクと頷く。
「この程度であれば、まったく問題ありません」
時間が巻き戻る前は、レースだけでドレス一着作れるのではないか、という量をたった一日で仕上げていたのだ。
それに比べたら、なんてことない。
「ガッちゃんのおかげで、すばらしいドレスができました。ありがとうございます」
『ニャ~~~~』
ガッちゃんは安堵するように鳴き、にっこり微笑んでくれたのだった。
◇◇◇
夕方より、夜会に行くため身なりを整える。
侍女は解雇してしまったので、ガッちゃんが着付けを手伝ってくれるらしい。
手先が器用なガッちゃんは、ドレスの背中を丁寧に留めてくれたり、裾上げしてくれたり、と侍女顔負けの活躍をしてくれる。
それだけでなく、魔法の糸で作ったブラシとパフで化粧を施してくれたのだ。
陶器の肌みたいな美しい仕上がりに、驚くばかりである。まさか、化粧までできるなんて……。
さらに、髪結いまでしてくれた。
ガッちゃん特製のリボンは絹のような美しい照りがあり、私の金色の髪によく合っているような気がする。
着付け、化粧、髪結いが終了すると、ガッちゃんは姿見の前にくるように私を誘った。
ドキドキしながら鏡を覗き込むと、別人のような姿に驚いてしまう。
「ガッちゃん、今日のわたくし、とってもきれいに見えます」
『ニャー』
姿見の上に下りたったガッちゃんは、パチパチと手を叩いてくれた。
「ガッちゃんにこんなすばらしい才能があったなんて」
『ニャニャ』
ガッちゃんは少し照れたようで、後頭部をカシカシ掻いていた。
そんな姿も愛らしい。
と、ガッちゃんを愛でている場合ではなかった。
「ガッちゃん、一緒に行きませんこと?」
『ニャ!』
ガッちゃんは腰周りに巻いたレースのリボンに飛び移った。
リボンの結び目にしがみついたので、まるでブローチのようである。
普段はひとりで参加するのだが、今日は少しだけ不安だった。そのため、付き合ってもらうことに決めた。
「ガッちゃん、ありがとうございます」
いざ夜会へと思ったものの、その前にフロレンシに会ってから行こう。