グラシエラの揺るがない決意
「グラシエラ、お前には苦労をかけさせ、本当にすまないと思っている」
「お父様、わたくしは平気です。これからはフロレンシのことを第一に考え、生きるようにしますので」
「しかし、お前の人生はどうなる? せめてアントニーと結婚して、幸せになってほしかったのだが」
私も心のどこかで、アントニーと結婚したら幸せになれると信じていた。けれども彼との未来なんて絶望しかなかったのだ。
「もしもアントニーが婚約解消を受け入れたら、他の候補を探すのはどうだ?」
「お父様、わたくしは結婚をして幸せになろうなどと、欠片も考えておりません」
「しかし」
胸に手を当てて、父に宣言する。
「わたくしはメンドーサ公爵家の歯車のひとつに過ぎない存在なのです。幼いフロレンシには、よく動く歯車が必要だと考えております」
母は亡くなり、父は病で臥せっている。そんな状況で、フロレンシを守れるのは私しかいない。
「わたくしはフロレンシの親代わりになりたいのです」
父は悲しげな表情で私を見つめる。
瞳には申し訳なさと、ふがいなさが滲んでいるように思えてならなかった。
それから親の務めが果たせない自らを、嘆いているのだろう。
ここまで言ったら、父は私に結婚を勧めることはなくなった。
「まずは、アントニーに手紙を送ろうか」
「お願いします」
もうひとつ、父に頼みがあった。それは、今回の件はなるべく周知させないということ。
叔父が知ったら、猛烈に腹を立ててこの屋敷に乗りこんでしまうだろう。
彼らとのトラブルは避けたいので、必死になって父に頼みこむ。
「それに、フロレンシも気に病むかもしれません」
「たしかに、そうだな」
アントニーに関しても、口止めするよう厳命してくれるらしい。
「婚約解消に対する賠償金を多めに支払っておこう」
アントニーに対する対策も練ってくれたので、ホッと胸をなで下ろす。
「お父様、使用人はどうしましょう」
財産が凍結されたら、彼らに給金を払う余裕などなくなってしまう。
事情を説明したら納得してくれるだろうが、情報を知る者は少ないほうがいいだろう。
「ならば、私の地方療養を理由に解雇し、新たに王宮の仕事を斡旋すればよいだろう」
「それはいい考えですわね」
使用人の言い訳として使うだけでなく、本当に自然豊かな静養地で過ごすことを検討するらしい。
たしかに、工場の空気汚染で空が毎日淀んでいる王都よりも、空気がきれいな場所のほうがいいだろう。
「グラシエラはどうする?」
「そう、ですわね」
フロレンシの教育について考えたら、王都に残るほうがいい。
けれども叔父からの脅威が届かないのは地方だろう。
「少し考えておきます」
「わかった」
ひとまずなんとかなりそうで、ホッと胸をなで下ろす。
深々と頭を下げ、父の寝室を去ったのだった。
使用人のほとんどを解雇し、屋敷はずいぶんと閑散としていた。清掃は最低限の人数でしているからか、少しだけ埃っぽい気がする。
フロレンシが使う部屋だけでも、しっかり掃除してもらうよう頼んでいた。
料理人は夜のみ来てもらっている。朝と昼は私が腕によりをかけて、食事を作っているのだ。
今日も厨房に立ち、時間が巻き戻る前に覚えた料理を作る。
少し冷えるので、体が温まる料理を作ろう。
朝仕込んでおいた鶏のブイヨンに、炒めたショウガとニンジンを加えてコトコト煮込んだ。
ふた品目はカブにひき肉を詰めてチーズを振りかけ、オーブンで焼いたもの。
三品目は刻みパスタの海鮮煮込み。
手早く仕上げ、やってきた執事に父の寝室に運ぶように頼んだ。
「あなたも、ここにある料理は食べてくださいね」
「グラシエラお姉様、ありがとうございます」
私はフロレンシと一緒にいただく。
幸いにも、彼は私の手料理を喜んで食べてくれるのだ。
もしかしたらこの先、料理人が作った贅沢な料理なんて食べられないかもしれない。
そのため、私の料理に慣れてもらおうと始めた。
今日もフロレンシは残さず食べてくれる。ホッと胸をなで下ろしたのだった。
◇◇◇
メンドーサ公爵家の地位と財産の一時的な凍結について、国王陛下から受理されたという。私が望んでいた〝お墨付き〟も、しっかりもらったらしい。
踊り出しそうなくらい喜びがこみ上げ、父の寝室から出たあと、足取りが軽くなる。
ガッちゃんに報告しようと私室に戻ったら、私めがけて飛んできた。肩に着地し、つぶらな瞳で見上げてくる。
「ガッちゃん、わたくし、やりましたわ。メンドーサ公爵家の地位と財産を凍結させることに成功しました!!」
『ニャ!』
ガッちゃんはよくやった、とばかりに頬ずりしてくる。フワフワの体に触れていたら、張り詰めていた心が和らいだ気がした。
ひとまず、この家を叔父一家に乗っ取られる未来は訪れないだろう。
不思議な気分である。
一度死んだのに、こうやって同じ人生をやりなおせるなんて。
「それにしても、ガッちゃんがわたくしの人生を巻き戻してくれましたの?」
『ニャ?』
私の質問に対しガッちゃんは首を傾げ、よくわからないという眼差しを私に向ける。
ガッちゃんとは契約関係にあるものの、意思の疎通ができるわけではない。
ざっくりとした喜怒哀楽がわかる程度なのだ。
「誰がこの人生をもたらしてくれたのかわからないけれど、同じ轍を踏むつもりはありません。ガッちゃん、わたくし、頑張りますわ」
『ニャー!』
今、私はひとりではない。ガッちゃんもいるし、フロレンシもいる。父だって生きているのだ。
できることからコツコツやるしかない。
不幸な未来を回避するために……。
それからというもの、私は使用人の数を減らすために解雇通知を作成し、新しい職場を斡旋する。
地方にもついて行きたい、と望む使用人がほとんどだったものの、断腸の思いで断った。
父の地方療養についても、話が進んでいく。
依然として、私とフロレンシがどうするかは決まっていなかったが。
そうこうしているうちに、アントニーから返信があった。
父が暗い表情で、私に報告する。
「アントニーはお前との婚約解消を受け入れるそうだ」
「そう、でしたか」
喜びがこみ上げそうになったものの、すぐに口元を手で隠し、顔を背ける。
父は私の様子を見て「グラシエラに落ち度があって、婚約解消を受け入れたわけではないだろう」と励ましてくれた。
「それはそうと、婚約解消以上に頭が痛くなるような問題が浮上した」
「なんですの?」
なんでもどこからか私達の婚約解消を聞きつけた記者が、屋敷へ押しかけてきたらしい。
執事が追い返したようだが、気を付けるように言われた。
「しばらくはゆっくりしておくといい」
「いいえ、今晩の夜会に参加しますわ」
「――っ!?」
父が呑み込んだ言葉は、聞かずともわかる。
アントニーとの婚約解消を記者は嗅ぎつけている。きっと、すでに周囲の者達にも知れ渡っているだろう。
どうしてそのような行動に出たのか、と今の私は社交界の時の人となっているだろう。
なぜ、自ら晒し者になるような行動を取るのか、と父は言いたかったに違いない。
「わたくしが不幸の渦中にいるのではなく、元気で幸せに暮らしている、と周囲に示す必要があると思いましたので」
「そうであっても、アントニーと婚約解消した当日に行かなくてもいいのに」
私もそう思うが、周囲の者達に弱みを見せるわけにはいかない。強く在るためには、こそこそと隠れているだけではダメなのだ。
「グラシエラ、無理はするな」
「ええ、わかっております」
絶対に負けないという志を胸に、私は夜会へ挑んだのだった。