ビネンメーアの社交界
ガッちゃんは銀細工の腕輪にしがみつき、私と共に在ってくれるようだ。
遠目で見たら、極めて緻密な細工にしか見えない。今回も上手く装いに溶け込んでくれていた。
同行者はガッちゃんだけではなかった。
ありがたいことに侯爵夫人が、知り合いを私の付添人に付けてくれたのだ。
名はニーナといい、伯爵夫人だと言う。年頃は四十前後で、優しげでやわらかな雰囲気を漂わせる女性である。
「それにしても、大変な時期にいらっしゃいましたね」
「ええ、まあ」
大変だと言うのはここ最近、王妃や公妾の派閥同士の睨み合いが活発になっている件だろう。
「侯爵夫人にも騒動に巻き込まれないよう言われているのですが、どこの誰がどちらに所属しているのか、まったくわからなくて」
「ああ、それならば、目印があるんですよ。王妃殿下の派閥の者は白い羽根を付けているはずです。公妾であるカリーナ様の派閥は、錫を加工した細工を身に着けているのが特徴かと」
ニーナは胸に白い羽根をあしらった細工を身に着けていた。彼女は王妃派なのだろう。
レイシェルが派遣してくれた侍女は、それらの特徴を作らないようにコーディネートしてくれたに違いない。これも、知らなかったらトラブルに巻き込まれる可能性があったのだ。
「どちらにも所属しないのであれば、王弟ゴッドローブ殿下を中心とする中立派の集まりに身を寄せるのが一番でしょう」
そういえばマントイフェル卿も中立派だと話していた。護衛対象であるゴッドローブ殿下が中立派なので、彼も自然とそうなったのかもしれない。
「長年、ゴッドローブ殿下が王妃殿下とカリーナ様の間に割って入って、争いは止めるように言っているようなのですが、なかなか改善しないようで」
王妃の子は王太子であるエンゲルベルトただひとり。
一人息子がもしも暗殺されてしまったら、王位継承権は他の王族に下がってしまう。
「ちなみに、王位継承権第二位はどなたになりますの?」
「カリーナ様のご子息、レオナルド殿下ですわ」
エンゲルベルトの下にもうひとり、女性王族がいるようだが、継承権は年下のレオナルドよりも下位になるようだ。
ちなみに女性王族については、謎が多いらしい。一度も社交界に姿を現さず、名前さえも一部の者達しか把握していないと言う。
十年前に亡くなった公妾の娘なので、妥当な扱いだと囁かれているようだ。
「王位継承権の第二位はレオナルド殿下なのですね。てっきり、ゴッドローブ殿下だと思っていたのですが」
「ゴッドローブ殿下は……その、先王陛下の公妾の子でして、王族として迎えられていたものの、王位継承権は与えられなかったそうです」
「まあ、そうでしたのね」
王位継承権を持たないゴッドローブ殿下だからこそ、間に入って争いを諫める役割を担う者として相応しいのだろう。
馬車が王城に近付くにつれ、竜の巣に飛び込むような不安を覚えてしまう。
争いがうごめく社交界で、無事、帰宅を果たすことができるのか。
不安でしかなかったが、侯爵夫人が贈ってくださった真珠が、私を守ってくれるような気がした。
きらびやかな白亜のお城に、大理石の輝く床、水晶のシャンデリアなど――まるで物語の世界にいるような、美しい王城に心が震えた。
調度品はどれも洗練されていて、とても趣味がいい。
ビネンメーアという国がどれだけ裕福なのか、目の当たりにすることとなった。
見ない顔である私に対しビネンメーアの貴族たちは興味津々という視線を向けていたのだが、人当たりがよいニーナが私のことを紹介して回ってくれた。
皆、侯爵夫人の名代だと聞くと、丁寧な態度で接してくれたのだ。
このまま無事に終わるよう願っていたのだが、私のほうへツカツカと歩いてくる人物が現れる。
燃えるような真っ赤な髪をなびかせ、パウダーブルーのドレスを翻しながらやってきた。
すぐに、ニーナが耳打ちする。
「彼女はマイン公爵の娘、リーザ様です」
身分が高いご令嬢がいったい私に何用なのか。ついつい身構えてしまった。
リーザは手にしていた扇で私をビシッと差し、鋭く睨みながら叫んだ。
「あなたがファルケンハイ侯爵夫人に取り入ったっていう、女狐ね!?」
「め、女狐、ですか!?」
「ええ、そう。人の弱みにつけ込んで、侯爵家で贅沢をしているみたいじゃない」
「それは誤解です」
「だったら、その真珠の半一揃えはなんなのかしら!?」
リーザは私の首元へ手を伸ばし、真珠の首飾りに細い指先を引っかけた。
彼女が少し引っ張ったら、真珠がバラバラに散ってしまうだろう。
ガッちゃんが心配そうな表情で、私を見上げているのがわかった。ニーナも顔色を青くさせながら、私とリーザを交互に見る。
「ご存じ? この真珠は〝人魚の涙〟という、最高峰の真珠なの。私が王妃殿下への贈り物として取り寄せようとしたら、ファルケンハイ侯爵夫人が先に購入された、って話を聞いたものだから」
つまり、私はリーザが買おうとしていた品を身に着ける、気に食わない相手なのだ。
それにしても、侯爵夫人の弱みにつけ込む女だと思われていたなんて。
誤解だと訴えても、聞く耳なんて持たないようだ。
周囲の視線が痛いほどに突き刺さる。
これ以上は醜聞になるかもしれないので、どこか静かな場所で話をしたい。
「あの――」
「お黙りなさい、この女狐が!」
これ以上言い訳をしたら、真珠の首飾りをこの場で千切ると宣言されてしまった。
どうしようか困り果てているところに、国王陛下のおなり、という声が響き渡る。
どよめきと歓声が響き渡った。
なぜならば、国王はカリーナと仲睦まじく腕を組んでやってきたから。




