別れの言葉を
それから数日が経ち、あっという間に王妃殿下の誕生パーティー当日を迎えた。
朝からレイシェルが派遣してくれた侍女がやってきて、身なりを整えてくれる。
髪を蜂蜜で洗い、顔には泥のパックが施され、爪は丁寧に磨かれた。
こういう扱いを受けたのは、本当に久しぶりである。
テラコッタカラーの落ち着いた色合いのドレスに袖を通し、既婚女性にふさわしい化粧がなされる。
三つ編みをクラウンのように巻き付けたアップスタイルの髪型は、ビネンメーアの流行らしい。
ドレスの試着はすでにしていたのだが、侍女があることに気付く。
「胸元が少々開きすぎているかもしれません」
ヴルカーノではこれくらい普通だが、ビネンメーアでは少し見えすぎている状態だと言う。その辺のささいな感覚は、その国々の社交界で長く過ごしていないとわからない。
侍女に感謝することとなった。
「レースを当てて、隠しましょうか」
侍女はレースのリボンが入った木箱を取り出し、一枚一枚当てていく。
どれもいまいちピンとこないからか、首を傾げていた。
「どういったレースが合うと思いますか?」
「そうですね……。ニードルで刺したような、精緻なポイント・レースがいいのですが」
侍女が持参してきたレースの中に、ドレスにぴったりな物はなかったようだ。
「でしたら、わたくしが今から作りますので」
「作る?」
首を傾げる侍女を前に、ガッちゃんに声をかける。
「ガッちゃん、胸元にレースを編んでいただけますか?」
『ニャ!』
サテンリボンの山に埋もれていたガッちゃんが飛び出し、私の胸にしがみつく。
レースの模様は王妃が愛しているという冬の花、ウィンタージェムをあしらってみた。
あっという間に仕上がったレースを見て、侍女は驚く。
「まあ! なんて美しい。一瞬でレースを編むなんて、すばらしい魔道具です!」
「魔道具ではなく、蜘蛛妖精ですの」
「蜘蛛!! あら、かわいらしい。し、失礼しました」
ビネンメーアには精霊や妖精がいないので、驚くのも無理はないだろう。
レースはドレスに合っている、と侍女は大絶賛してくれた。
開始から八時間後――夜会の場に馴染むような装いに仕上げてくれた。
フロレンシと侯爵夫人に、最終的な確認をしてもらう。
「その……いかがでしょうか?」
そう問いかけると、フロレンシは瞳を輝かせながら叫んだ。
「お母さん、お姫様みたいです! とってもきれいですよ!」
「ありがとうございます」
一方、侯爵夫人は険しい様子だったものの、目が合うと表情が和らいだ。
「あなたの恰好は、完璧ではないわ」
「そ、そうでしょうか?」
「ええ」
侯爵夫人が背後にいたアニーに目配せすると、銀盆に載ったベルベット張りの箱が差しだされる。
「こちらは――?」
「これまでの働きに対する報酬よ」
戸惑いつつも、箱を受け取る。
蓋を開いてみると、真珠の耳飾りに首飾り、指輪という内容の、半一揃えが入っていた。
「真珠はどんなドレスにも合うから、遠慮なく使ってちょうだい」
「こ、このようなお品をいただくわけにはいきません」
「あら、私、言ったでしょう? これまでの働きに対する報酬だと。あなた、無償で働くつもりだったの?」
それに関しては、首をぶんぶんと横に振る。
「報酬は衣食住だと思っておりました。ですので、このようなお品をいただく理由がないと思ったわけです」
「使っていなかった建物を貸すことが、報酬になんてなるわけないじゃない」
改めて真珠を見る。
美しい照りと大粒でなめらかなラインを描いている真珠は、その辺で販売されているありふれた物ではないのだろう。
チェーンや真珠が填め込まれた台座のデザインも洗練されていて、相当よい品を用意したことは見て取れる。
戸惑う私を前に、侯爵夫人はキッと睨みつけてくる。
「あなた、もしかして私の〝好意〟を受け取らないおつもり?」
「いいえ!」
ここまで言われてしまったら、ありがたくいただくしかない。
深々と頭を下げ、ベルベット張りの箱を胸に抱く。
「ドレスだけでなく、このような素晴らしいお品までいただき、心から感謝しております」
「当たり前よ。あなたは私の代理人なんだから。変な恰好をさせたら、私の趣味が疑われてしまうのよ」
「そのとおりでございます」
貴族社会において、第一印象というものは大切な要素のひとつだ。
時と場所、状況に相応しい身なりをしていたら、軽んじられることもない。
この真珠の半一揃えを身に着けていたら、誰もが私を侯爵夫人の名代だと認めてくれるだろう。
「着けてあげるわ。貸してちょうだい」
「あ、いえ、自分でできますわ」
「いいから、よこしなさいな」
侯爵夫人に着けてもらうなんて、罰当たりだろう。
なんて思ってしまったのだが、侯爵夫人の表情を見たら止められなくなる。
これまでにない、慈しむような表情で、真珠の耳飾りを手に取っていたのだ。
そこで気付く。
ビネンメーアでは結婚式の日、母親や祖母、姉妹などがやってきて、最後の仕上げだとばかりに宝飾品を着けてくれるのだ。
侯爵夫人は私を通して、結婚するはずだった愛しい孫娘であるイルマを見ているのかもしれない。
亡くなってしまったイルマについて考えると、胸が切なくなる。
「――できたわ!」
「ありがとうございます」
真珠の半揃えを身に着けた私を、侯爵夫人は嬉しそうに眺めていたが、途中でハッとなる。
「あ、ごめんなさい。少しだけ、あなたがイルマ……死んでしまった孫娘に見えてしまって」
なんと言葉を返していいものか、わからなくなる。
侯爵夫人の中にいるイルマは、亡くなって尚、強い存在感を示しているのだろう。
「ねえ、一度だけ……一度だけでいいから、私のことをお祖母様、と呼んでくれる?」
他人を同一視させる言動はあまりよくないことだ。けれども今、侯爵夫人の心が悲鳴をあげているのがわかった。
一歩前に踏みだし、私は侯爵夫人の手をぎゅっと握ってから言った。
「お祖母様、ありがとう。私、行ってくるわ」
そう伝えると、侯爵夫人の眦から美しい涙が零れた。
「気を付けて、行くのよ。これから向かうのは、遠い遠いところだから、少し大変かもしれないけれど」
あなただったらきっと大丈夫。そんな言葉と共に、侯爵夫人は私を抱きしめた。
しばし、静かな時間を過ごす。
侯爵夫人の事情を知らないフロレンシも、何かを感じ取ったのか、大人しくしていた。
「――ごめんなさい、ララ。私、なんだか気持ちが軽くなったわ」
侯爵夫人はイルマの死に囚われ、マントイフェル卿の言葉を借りるならば、〝死んだように生きていた〟。
イルマがいなくなったことを受け入れられず、ただただ静かに嘆いていたのだろう。
きっと、別れの言葉も言えなかったに違いない。
けれども私から離れた侯爵夫人は凜としていて、瞳にも光が宿っているように見えた。
「ありがとう。それから、今度こそ行ってらっしゃい」
「はい!」
侯爵夫人とフロレンシの見送りを受けながら、私は王妃殿下の誕生パーティーへ挑んだのだった。