不吉で恐ろしい〝夢〟
悪夢は父が亡くなるところから始まる。
容態は安定しているという医者の言葉を疑わずに信じていたのに、父は命を散らしてしまった。
突然の別れに意気消沈し、何をしていいのかわからなくなった私のもとに現れたのは、叔父一家だった。
叔父ガエル、その妻ロミーナ、従妹のソニア。
彼らは私に寄り添い、励まし、優しい言葉をかける。
それが悪魔の所業とも気付かず、私は信じてしまったのだ。
これが、不幸の訪れだったように思える。
父の葬儀は叔父が喪主を務め、滞りなく終了した。
その後も、落ち込む私を心配し、公爵家の執務を任せてしまった。
さらに仕事がしやすいように、と当主の証であるメンドーサ公爵家の家紋入りの懐中時計を渡してしまったのだ。
そこから、私とフロレンシの人生は急下降した。
叔父曰く、屋敷はたくさんの人達が押しかけてくるから静かに過ごせるように、と使用人が寝泊まりしていた離れに移るように言ったのだ。
父の死が受け入れられず、気落ちしていた私とフロレンシは、それが叔父の優しさだと勘違いし、住まいを移した。
初めこそメイドが衣食住の世話をして、料理は三食用意されていたものの、しだいに扱いが変わっていった。
メイドがいなくなり、食事が一回になり、ついには一食も届かなくなる。
不思議に思ったものの、本邸に足を運んだら食事を分けてもらえた。
慈善活動で炊事、洗濯などもできたし、シスター達からお菓子作りも習っていたのだ。
フロレンシとふたり、慣れない家事をしつつ、静かに暮らす毎日だった。
ただ、ほんの少しだけ「どうして?」と思う日もあった。
けれども叔父も慣れない仕事の連続で、私達に気を回している余裕はないのかもしれない。
そう信じていた。
おかしいと思ったのは、メイドから食事を渡すのを拒否された日からである。
メイドははっきりと、「あんた達の食事はないって、当主様が言っていたんだよ」と口にした。
いったいどういうことなのか。叔父に話を聞きに行ったところ、まさかの展開となる。
叔父は私に、メンドーサ公爵家の当主になったことを告げたのだ。
正式な継承者はフロレンシだ。なぜ、叔父が当主になっているのか。
代理人ならばわからなくもないのだが。
もしかしたらフロレンシが成人するまで当主を務めてくれるのかと聞いたら、叔父は首を横に振る。
当主の座は自分の物だ、と言ってのけたのだ。
ここでようやく気付く。
叔父はメンドーサ公爵家を乗っ取るために、父の死で弱り切った私達のもとへやってきて、親切な振りをしたのだ。
なんでも叔父は国王陛下からの〝お墨付き〟も手にしたようで、メンドーサ公爵の任命書を見せびらかした。
おそらく上手く立ち回ったのだろう。
話はそれだけではなかった。
ここを出て行くか、これからも離れで暮らすかの二択を迫られたのだ。屋敷での暮らししか知らない私達が、外で暮らして行けるわけがない。
離れでの暮らしを続けるしかなかった。
叔父は離れで暮らす私達に、高額な家賃を要求してきた。
どこかで家庭教師をするか、高貴なご夫人相手にコンパニオンになるか、悩んでいるところにとんでもない提案を叔母がしてくれた。
なんと、従妹のソニアの専属侍女になればいい、と提案してきたのだ。
余所の家で働くには紹介状が必要になる。叔父はきっと書きたがらないだろうと思い、私はソニアの侍女になった。
それからというもの、酷い日々を送っていた。
これまで姉のように私を慕ってくれたソニアはどこにもおらず、まるで女王のように振る舞い、我が儘放題だった。
紅茶がまずいだの、わざわざ並んで買ったお菓子が気に入らないだの、ドレスを選ぶセンスがないだの。
ソニアに怒鳴られなかった日はなかったように思える。
唯一の味方だった婚約者アントニーも、ソニアに心奪われ、婚約破棄を言い渡されてしまった。
なんと彼はソニア以外にも関係があった女性がいたらしく、隠し子まで存在していた。
誠実感のカケラもないアントニーを信じ、心の拠り所にしていた自分自身がバカみたいに思える。
絶望する私に追い打ちをかけるように、とんでもない事件が起きた。
ソニアの要望を受けて注文したドレスに、レースやリボンなどの装飾が一切ついていない状態で届いたのだ。
たしかに注文したはずなのになぜ? 裁縫店に問い合わせに行くも、明日は夜会がある日。従業員は取り合ってくれなかった。
激昂したソニアは、死んで詫びるように言い渡す。
フロレンシを遺して死ぬわけにはいかなかった私は、奥の手を使った。
それは、幼少期から仲良くしている蜘蛛妖精ガッちゃんが使う〝蜘蛛細工〟。
蜘蛛細工は私の魔力を媒体とし、ガッちゃんが魔法の糸を作り出す。そして、私の想像力と糸が連動し、レースを編み上げるという魔法だ。
蜘蛛細工を使ってソニアのドレスを仕立て直したところ、彼女の機嫌は直った。
夜会でレースを使ったドレスは大絶賛されたらしく、ソニアはちやほやされて気持ちよかったらしい。
ホッとしたのも束の間のこと。
レースをどこの工房に頼んだのか、という問い合わせの手紙がメンドーサ公爵家に殺到した。
それを知った叔父と叔母は、レースを商品にすることを思いついた。
家賃は払わなくてもいいから、レース編みをするように命じたのである。
それからというもの、私は離れに引きこもって、レースを作り続けた。
魔力の使い過ぎで髪はパサパサになり、肌は荒れ、唇はカサカサになった。
頬は痩け、手足は枝のようにやせ細っていく。
まだ若いのに、老婆のようだと叔父一家に言われたのは一度や二度ではない。
毎日くたくたになるまでレースを編んで、泥のように眠る。
そのように過ごしていたが、フロレンシは私と過ごせる時間が増えたと喜んでいた。
彼について、せめて教育を受けさせてほしいと叔父に訴えたものの、教育に使うお金なんてないと言われてしまう。
ならば私が少しでも勉強を教えなければならないと、早起きして教材を作った。
外で遊んで体力も付けさせなければならない。
ちょうど、使用人の子ども達と仲良くなったと言うので安心していたら、ある日泣いて帰ってきた。
これまで仲良くしていたのに、急にいじめられたと言う。
おそらく、叔父の命令なのだろう。子ども相手に酷いとしか言いようがない。
それからフロレンシは私にべったりだった。
これまであまり一緒にいられなかったので、私もフロレンシと過ごす時間は幸せでしかなかった。けれども、頼る相手が私しかいないという状況も困りものだ。
慈善活動をさせて、外の世界を知ってもらえばいいのか。なんて考えているところに、フロレンシの病気が発覚する。
父と同じ症状だった。医者は若いのですぐに完治すると言ったが、容態はどんどん悪化の一途を辿る。
高価な薬ならば即効性があると叔父が言うので、大量のレースと引き換えた。
体が限界を訴えても、フロレンシのためならば頑張れたのだ。
このような生活を四年続けたある日、私の魔力は尽き欠け、蜘蛛細工で糸を作れなくなってしまった。
しばらくは手縫いでレースを編んでいたのだが、目を酷使し過ぎたせいで、ほとんどの視力を失ってしまった。
目が見えなければ、精緻なレースは編むことはできない。
叔父はすっかり使い物にならなくなった私を「役立たずだ!!」と詰り倒し、代わりに届けられた品物を何でも屋〝フルットプロイビート〟に売りに行くように命じたのだ。
〝禁断の木の実〟を意味する店では、本当になんでも売買されていた。
人の血肉から禁書、奴隷まで、売っていない品はないほどだった。
私はほぼ毎日、なんでも屋で叔父が売ってくるように命令された首飾りや腕輪などの宝飾品を運んでいたのだ。
五年目のある日、それが隣に位置する海の国〝ビネンメーア〟の王妃の私物が含まれていたことが発覚した。
届けられていた品はすべて盗品だったのだ。
私はそうと知らず、せっせと運んでいたわけである。
国家間の盗難騒ぎに、ビネンメーア王は激怒したらしい。
結果、叔父ではなく、私が事件の主犯として捕らえられた。
私だけでなく、フロレンシも連行されたと耳にしたときは絶望から喉を掻き毟ってしまったほどである。
その後、ビネンメーア王の怒りを一刻も早く鎮めようと思ったからか、私の処刑はすぐに決まったと言う。
私とフロレンシは断頭台に立ち――無惨にも殺されてしまった。
◇◇◇
以上が私がみた悪夢である。
ただこれを、夢だと片付けるつもりはない。
フロレンシの死を目の当たりにした恐怖と悲しみ、そして叔父一家に利用されたおぞましい記憶は鮮明に私の脳裏にこびりついているから。
容態が安定しているように見える父は突然悪化するかもしれないし、メンドーサ公爵家を狙う叔父一家は今頃息をひそめている可能性がある。
涙を拭い、立ち上がる。
私にめそめそしている時間はないのだ。
二度と同じ過ちは犯さない。そのためには、父が亡くなる前にやることが山のようにあった。