空の嘆き
あらかじめ用意していた私とフロレンシの服を、鞄に詰め込む。
裕福な貴族の母子だと思われないよう、普段着ている物よりも質が劣る服を選んだ。
ガッちゃんは小さな布きれを広げ、好物である角砂糖を包んで背負っていた。準備に抜かりはないわけである。
荷物はレイシェルの使用人に託した。なんでも先にビネンメーアに送ってくれるらしい。
ビネンメーアまでは船で三日ほど。
三日分の荷物以外は、身ひとつで行けるというわけである。
なんとも助かる支援であった。
ビネンメーアでの生活はなんとかなりそうで、ホッと胸をなで下ろす。
けれども、まだまだ油断ならない。
自室に展開してある、蜘蛛の糸で編まれた魔法陣が微かに動いた。
悪意を持つ誰かが、屋敷に侵入しようとしたのだろう。
今日だけで、この反応を見るのは何回目になるのか。
偵察に行ってくれたガッちゃん曰く、やってきたのは叔父ではなく、黒尽くめの男達らしい。
記者ならば、そのような恰好をしていないだろう。
おそらく叔父が仕向けた無頼漢に違いない。
私達を攫って、思い通りにするつもりなのだろうか。
目的なんて聞かずともわかる。メンドーサ公爵家の地位と財産を我が物にしたいのだ。
そのためにはどうにかして葬儀の指揮を執り、自分の手柄にしたい。なんて考えているに違いない。
父の葬儀は明日行う予定だ。親族は呼ばずに、私とフロレンシだけでひっそりと執り行う予定である。
もちろん叔父は納得しないだろうから、私達が王都を発ったあとに、二回目の葬儀を行う予定である。
すでにそれらは納棺師に依頼しており、叔父が喪主となる。
きっと叔父は喜んで、二回目とも知らずに喪主を務めるのだろう。
それを知らせる手紙が、そろそろ届いているはずである。
数時間後――魔法陣は反応しなくなった。
ひっきりなしにやってきていた侵入者が、ぱたりと来なくなったのだ。
叔父は無事、手紙を受け取ったに違いない。
やはり、葬儀の件で私を説得するために、屋敷から連れ出そうと画策していたのだろう。
「あの、お母さん?」
フロレンシから呼ばれ、振り返る。
お母さん、というのは私のことだ。
これから私達は母子としてビネンメーアに移り住むので、出発前から私を「お母さん」と呼ぶ練習をさせている。
育ちがよいと思われると、財産目当てに誘拐されてしまうかもしれない。
そのため、一応貴族だけれど、そこまで裕福ではないと暗に主張するため、「お母様」や「母上」ではなく、「お母さん」という、上級貴族が口にしない呼び方をするようお願いしておいた。
フロレンシは思いの他、私をお母さんと呼ぶことに違和感を覚えないようで、本当の息子のように接している。
順応していないのは、私のほうかもしれない。
お母さんと呼ばれるたびに、内心ギョッとしてしまうのだ。
「フロレンシ……いいえ、レンでしたね」
「ええ」
「ごめんなさい。わたくしのほうが慣れていなくて」
「大丈夫です。お母さんは、本番に強いので」
「そう、だといいですわね」
フロレンシの名前でさえ、こうして間違えてしまう始末である。
私が発案者なのに、呆れた話だ。
これから私はララ・ドーサ、フロレンシはレン・ドーサとして生きなければならない。
出発までに慣れなければならないのに……。
「レン、それよりもどうかなさったの?」
「明日は早いので、お母さんはいつ眠るのかな、と思いまして」
「ええ、そうですわね」
父の葬儀は太陽が昇る前の早朝に執り行う。
そのため、今晩は早く眠らなければならないのだ。
「そろそろ眠りましょうか」
「はい!」
予定よりも早いがやることもないので、フロレンシと共に布団に潜り込む。
緊張していて眠れないかも、と思ったものの、目を閉じた瞬間に意識は遠のいていった。
◇◇◇
ついに、葬儀当日を迎える。
まだ夜とも言えるような時間帯に、父の亡骸は納棺師によって棺の中へと収められる。
丁寧に霊柩馬車へと運ばれ、私とフロレンシが乗りこむと走り始めた。
通常であれば、棺は礼拝堂へと運ばれる。けれどもそれは故人が家族以外との別れをするための場所なので、今回はそのまま墓地へと向かった。
墓地ではすでに母が眠っていた土は深く掘り起こされ、父の棺が収められる。
そこに、庭に生えていたオークの枝を添える。
オークは古くから船を造る素材として使われることから、死を新しい旅立ちと解釈し、立派な船出になるよう、棺と共に植えることを習慣としているようだ。
フロレンシは聖水を棺に振りかけ、父の身に悪魔が近寄らないよう祈りを捧げた。
彼は今日も泣くかもしれない、と思っていたものの、なんとか堪えているようだ。
そんなフロレンシを抱きしめ、これからはふたりで生きようと覚悟を決める。
父の棺は納棺師の手によって埋められていった。
そんな様子を前に、私は父へ語りかける。
「お父様、フロレンシはわたくしが絶対に守りますので、お母様と一緒に見守っていてくださいませ」
祈りを捧げる手に、ポツ、ポツと冷たい雨が降り注いできた。
泣けない私達の代わりに、涙してくれているようだった。
雨が酷くなる前に、墓地から去る。
納棺師はこのまま残り、二回目の葬儀のために土を掘り起こすようだ。
屋敷にはすでに、父の遺体に偽装させた人形が置かれている。当日はそれを丁重に運んでもらい、棺へ収めてもらうのだ。
なんとか葬儀が終了したので、ホッと胸をなで下ろす。
太陽は朝になっても顔を覗かせることなんてなく、空は暗い雲が広がっていた。
フロレンシがくしゅん、とくしゃみをしていた。雨で体が冷えてしまったのかもしれない。まだ集合時間まで余裕があるので、彼だけでも一度お風呂に入らせてから出発しよう。
……なんて考えがよくなかったのか。
レイシェルが指定していた場所へ向かおうと屋敷を出発し、大通りへ一歩踏み出した瞬間、叔父と出くわしてしまう。
「グラシエラ、お前――!」
叔父は怒りに歪んだ表情で迫ってきた。