親として
ひとまず、叔父一家を追い出すことに成功した。
私にとっては大きな第一歩である。
けれども喜んでもいられない。
叔父はこのまま引き下がるような男ではないだろう。
次なる策を打って、危機に備えなければならない。
まず、フロレンシの様子を見に行き、声をかける。
あまり眠れていないようで、顔色が悪かった。
私に心配をかけさせまいと思っているのか、暗い部屋に引きこもるばかりである。
「フロレンシ、暗い部屋にいては、気持ちが落ち込んでしまいますわ」
カーテンを開いて、太陽の光を部屋に入れる。
フロレンシは眩しいのか、目を窄めていた。
朝食や昼食もまともに口にしていなかった。このままでは、寝込んでしまうだろう。
「フロレンシ、夕食に食べたい物はありますか?」
「いいえ、何も」
フロレンシは私が作るひよこ豆のスープが大好きだった。今はそれすら、食べたいと思わないらしい。
「何か食べないと、元気になりませんよ」
「わかっているのですが、お父様のことを考えると、とても悲しくて……」
「フロレンシ」
小さな体を抱きしめ、あやすように背中を叩く。
「フロレンシ、あなたの元気までなくなってしまったら、お父様も悲しみます。まだまだ辛いかもしれませんが、わたくし達は生きていかなければならないのです」
身を引き裂かれるような出来事があっても、雨に打たれるように悲しい出来事があっても、人生という時間は刻々と進んでいく。
感情に溺れ、自分を見失ってしまったら、それは弱みになる。
そこに付け入るような輩の食い物にされないためにも、強くならないといけない。
ただこの子はまだ幼く、親の庇護が必要な年頃だ。今の彼に強さは必要ない。
「お母様だけでなく、お父様までいなくなるなんて。みんな、みんな僕のもとからいなくなってしまうのです」
フロレンシは涙で濡れた瞳で私を見上げる。
言葉はなくとも、いずれ私もいなくなるのだろう、と訴えているように思えた。
父の死と同時に、彼は孤独になることを恐れていたのだ。
それに気付いた瞬間、胸がぎゅっと切なくなる。
私はフロレンシを見つめ、覚悟を口にした。
「これからはわたくしが、フロレンシの〝親〟として生きます。あなたが大人になるまでずっとずっと傍にいます」
フロレンシはポカンとした表情を浮かべていた。
「え……。お姉様は他の方と結婚するのではないのですか?」
「いいえ、結婚する予定はありません」
「もしや、僕の傍にいるためですか?」
それは違う、とすぐに否定する。
「貴族と言えど、結婚だけがすべてではありませんので」
「そう、なのですね」
本当のことは、彼がもう少し大きくなったら話そう。今は申し訳ないが、本心は隠しておく。
「僕の親になるとお姉様はおっしゃっておりましたが、具体的にはどういうことをされるのでしょうか?」
「海の国ビネンメーアへ行って、母子ごっこをしましょう」
私の突拍子もない提案に、フロレンシは目をぱちくりと瞬かせる。
「ビネンメーアで母子ごっこ、ですか?」
「ええ。名前と身分を偽って、しばらくのんびり暮らしましょう」
「なぜ、国を出てまでそのようなことをなさるのですか?」
父を亡くしたばかりのフロレンシに、叔父一家から地位と財産を狙われている、なんて過激な理由なんて言えるわけがない。
私はあらかじめ考えていた理由を述べる。
「この国にはお父様との思い出がありすぎて、悲しくなってしまうからです。一度ここを離れて、心を休める時間がわたくし達には必要だと思いました」
可能であるならば、葬儀を行った翌日にはここを発ちたい。悠長に構えている暇なんてないのだ。
フロレンシは依然として戸惑っているように見えたが、先ほどとは違って瞳に光が宿っているように見えた。
「僕ではない僕になったら、この悲しみから逃れられることができるのでしょうか?」
「ええ。あなたは大好きな母親とふたり暮らしをする、幸せな子になれるのですよ」
悲しみに歪んでいたフロレンシの表情が、少しだけ和らぐ。
それを見た私は安堵したのだった。
◇◇◇
フロレンシはひとりにしないほうがいいと思い、私の部屋に連れてきた。
しばらくガッちゃんと遊んでいたのだが、一時間くらいで眠ってしまった。
ブランケットをかけ、頬を撫でる。
穏やかな寝顔だったので、ホッとした。
ビネンメーアへ旅立つ準備を進めていく。それと同時に、ビネンメーアの大公令嬢であるレイシェル宛てに手紙を書いた。
便箋は魔法が掛かっており、書き上げると自動で折られていく。
それは鳥の形となって、パタパタと飛び始めた。
窓を開くと、大空へ羽ばたいていく。
これが鳥翰魔法か、と感心する気持ちで眺めてしまった。
レイシェルはもうビネンメーアに帰っただろうか。
まだヴルカーノに残っているならば、直接会って話をしたい。
手紙には父が亡くなり、困った状況にある。助けてほしい、と書き綴った。
他人同然の私から助けを求められ、迷惑でしかないのだろう。
これは聖女と呼ばれる彼女の優しさにつけ込むような行為なのだ。
フロレンシと生き残るためだったら、なんでもするつもりである。
祈るような気持ちで、レイシェルからの返信を待った。