無実の罪を着せられ婚約破棄されたクラウディア・ヴィヴィアーニは婚約者に手袋を投げつける
「クラウディア・ヴィヴィアーニ、ただ今をもって、キミとの婚約を破棄する!」
「――!」
国中の貴族が集う煌びやかな夜会の最中。
わたくしの婚約者であり、我が国の王太子殿下でもあらせられるアレッシオ殿下が、唐突にそう宣言しました。
「……どういうことでしょうか殿下。お芝居を披露するのであれば、事前に言っておいていただかないと困りますわ。わたくしにも心の準備というものがありますので」
「芝居などではない! ボクは本気で、キミとの婚約を破棄すると言ったんだ、クラウディア!」
「……理由をご説明いただいても?」
「身に覚えがないとは言わせないぞ! 君が裏でロレッタに、陰湿な嫌がらせをしているのはバレているのだからな!」
「嗚呼、アレッシオ様」
アレッシオ殿下の横に悲劇のヒロインぶって佇んでいた男爵令嬢のロレッタ嬢が、目元に涙を浮かべながら殿下にしなだれかかります。
なるほど、そういうことですか。
「それは誤解ですわ殿下。わたくしはロレッタ嬢に、わたくしの婚約者である殿下に色目を使うのはいかがなものかとご注意したまでですわ。しかも仮に殿下に婚約者がいなかったとしても、下級貴族の身で殿下の婚約者になろうなど、身分違いも甚だしい」
「それが嫌がらせだと言っているんだボクは! 大方キミのことだ! さぞかし高圧的に、ロレッタに対して口に出すのもはばかるような罵声の数々を浴びせたんだろう! 見ろ、ロレッタがこんなにも怯えているじゃないか!」
「アレッシオ様、私、怖かったです……」
何を白々しい。
確かに厳しい言い方をした点は否定しませんが、それは誇り高き上級貴族として当然のこと。
しかもロレッタ嬢は、わたくしがどれだけキツく注意しても、常にケロッとしてましたわよ。
「挙句の果てにはロレッタを階段から突き落とすとは! これは立派な殺人未遂だ! キミのような犯罪者は、ボクの婚約者に相応しくない!」
殿下はロレッタ嬢の右腕に大袈裟に巻かれている包帯を一瞥してから、わたくしを睨みつけます。
やれやれ。
「それも誤解です。あれはロレッタ嬢が、ご自分でワザと落ちたのです」
「そ、そんな! ヒドいですクラウディア様! 私がそんなことするわけないじゃないですか!」
「そうだ! ロレッタがそんなことをする意味がどこにある!? 罪を認めたくないからといって、見苦しい言い訳はやめろ!」
少し考えれば意味はわかると思うのですが、まあ、これ以上は時間の無駄ですか――。
「承知いたしました。このクラウディア・ヴィヴィアーニ、婚約破棄を謹んでお受けいたします」
わたくしは殿下に対して、うやうやしくカーテシーを取ります。
「ハッ、やっと素直になったか! それでいいんだよ、それで!」
「――ですが」
「ん?」
わたくしはおもむろに手袋を外し、それを殿下の顔面目掛けて――。
「ブベッ!?」
「「「――!!?」」」
思い切り投げつけました。
「我が誇りを穢されたことだけは許せません。わたくしは殿下に――決闘を申し込みます。わたくしが勝った暁には、ロレッタ嬢と共に、誠心誠意謝罪していただきます」
「き、貴様ぁ!! よくもこの高貴なるボクの美しい顔にいいいッ!!! 何が決闘だ! 貴様など今すぐこの場で、不敬罪で処刑だ、処刑ッ!」
「ホウ、本当にそれでよいのかアレッシオ?」
「「「――!!」」」
その時でした。
アレッシオ殿下のお父上である国王陛下が、顎を撫でながらわたくしたちの間に割ってお入りになります。
「ち、父上、どういうことでしょうか……」
「我が国は代々圧倒的な武力をもって発展してきた。その次期国王であるお前が、細腕の令嬢との決闘から逃げたとあれば、果たして国民はどう思うであろうな」
「――! そ、それは……」
フフ、流石陛下、よくおわかりでらっしゃいますわね。
「それともまさかお前、クラウディア嬢に勝つ自信がないのか?」
「なっ!? そんなわけないじゃありませんか! ボクは男ですよッ! こんなペンより重い物を持ったこともないような、非力な女に負けるはずがありません!」
「では、クラウディア嬢との決闘を受けるのだな?」
「当然ですッ!」
よし、殿下ならそう言うと思いましたわ。
「ならばこの私自らが立会人となろう。――勝負は1ヶ月後の武闘大会当日。大会の前座として行うものとする。武器は用いず、己の肉体のみでぶつかり合い、最後まで立っていたほうの勝利だ。原始的でシンプルな、我が国に相応しい決闘方法と言えよう」
陛下は顎を撫でながら、ニヤリと口角を吊り上げます。
「わかりました! この痴れ者に、目に物見せてやりますよ! その代わりクラウディア、ボクが勝ったら、貴様はその場で即処刑だからなッ!」
「ええ、それで問題ございません」
さて、これで舞台は整いましたね。
「アレッシオ様! 絶対勝ってくださいね!」
ロレッタ嬢が両手をブンブン振りながら、満面の笑みで殿下に声援を送ります。
あなた、右腕を痛めているのではなかったかしら?
「ああ、ボクが女なんかに負けるわけがないだろう!」
確かにいくら殿下にこれといった武芸の心得がないとはいえ、それはわたくしも同様。
男女の体格差はそう簡単には埋まるものではないでしょう。
――ですが、そんなものは些末なことですわ。
わたくしは夜会に参列していたお父様とお兄様のところに歩み寄り、一礼します。
「このようなことになってしまい、申し訳ございません、お父様、お兄様」
「いや、よい。それでこそヴィヴィアーニ家の娘だ。私はお前を、誇りに思うぞクラウディア」
お父様はわたくしの肩に手を置き、コクリと頷かれます。
お父様……。
「で、でででででですが父上!? クラウディアはか弱い女の子ですよ!? こんなの、絶対勝てるわけないじゃないですかああああ!!!! あああああ、僕の可愛いクラウディアがあああああ!!!!」
もう、こんな時でも相変わらずですねお兄様は。
「フム、それは一理あるな。何か策はあるのか、クラウディア」
「いいえ、これといってございません」
「なるほど、ではどうやって勝つと?」
「それはこれから考えます。――ですが、わたくしの胸にヴィヴィアーニ家の誇りがある以上、これに勝る武器はこの世にございません。必ずや勝って御覧に入れますわ」
わたくしは左胸に手を当て、一礼します。
「フム、それもそうだな。頑張れよ、クラウディア」
「はい、お父様」
「あああああああ、クラウディアアアアアア!!!!!」
さてと、今日はもう遅いですし、ゆっくり寝て明日に備えましょう。
「ここですね」
そして翌日わたくしが訪れたのは、1ヶ月後の武闘大会の会場でもある、円形闘技場に併設されている酒場。
因みにこれはあくまでわたくし個人の決闘ですので、ヴィヴィアーニ家から援助を受けるつもりは一切ありません。
ですのでこの酒場には、お供も連れずわたくし一人で来ています。
フフ、一人でお出掛けなんて生まれて初めてですから、少しだけワクワクしますね。
「ごきげんよう」
わたくしはおもむろに酒場の扉を開け、店内を一瞥します。
そこにはむくつけき男性たちが所狭しとたむろしており、汗とアルコールと吐瀉物が入り混じったような、お世辞にも良いとは言えない臭いが充満していました。
あまりにも場違いな令嬢の訪れに、店内がざわつきます。
フム。
わたくしはお一人でビールを呷っていた、無精髭の男性にお声を掛けます。
「ごきげんよう、少しお時間よろしいでしょうか」
「……今すぐ帰んな。ここは嬢ちゃんみたいな高貴なご令嬢が来る場所じゃない」
無精髭さんはこちらを一瞥もせずに、素っ気なくそう答えます。
ムッ。
この方、ちゃんと身なりを整えれば、端正なお顔になりそうですのに。
それにこの顔、どこかで見たことがあるような……?
まあいいですわ、他を当たりましょう。
「これはこれは、お寛ぎのところ失礼いたしました」
「……」
無精髭さんに一礼し、背を向けます。
さてと、次はどなたに――。
「お嬢様、どんなご用命でしょうか? オレでよければお話を伺いますよ」
「アラ?」
と、そんなわたくしのところへ、にこやかな笑顔を浮かべた好青年風の男性が一人。
「これは助かります。実はわたくし、1ヶ月後に王太子殿下と決闘することと相成りまして。わたくしを鍛えてくださるトレーナーの方を探しているのです」
「……なるほど、そういうことでしたら、オレがお力になりますよ」
「まあ、本当ですか」
「ええ、こう見えてオレ、1ヶ月後の武闘大会じゃ優勝候補の一人って言われてるんです」
何と、武闘士の方でらっしゃいましたか。
あまりそうは見えなかったのですが、人を見掛けで判断してはいけませんね。
「それは心強いですわ。わたくしはクラウディア・ヴィヴィアーニと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「オレはウーゴっていいます。では早速隣のトレーニングルームで特訓といきましょう」
「はい」
これはツイてますわね。
優勝候補の方に鍛えていただければ、最早勝ったも同然ですわ。
「……?」
「どうかされましたか、クラウディア様」
「ああ、いえ、何でもありませんわ」
はて、背中に先ほどの無精髭さんの視線を感じた気がしたのですが、多分気のせいですわね。
「まあ、ここがトレーニングルームですか」
「むさ苦しいところですけどね」
ウーゴさんに案内されたトレーニングルームは、壁や床に夥しい数の傷が刻まれており、それが武闘士の方々の日々の過酷さを表しているようでした。
「さて、と、じゃあ早速始めますか」
「は、い?」
ウーゴさんは後ろ手に扉に鍵を掛けて、こちらに歩み寄ります。
何故鍵を?
「キャッ!?」
「おっと、騒ぐんじゃねーぞ。可愛い顔をグチャグチャにされたくなきゃな」
「――!?」
途端、まるで爬虫類みたいな冷たい目に豹変したウーゴさんに押し倒されて、右手と口を押さえられます。
ウ、ウーゴさん!?
「へへへ、アンタもバカな女だなぁ。こんなとこにノコノコ一人で来てよぉ。襲ってくれって言ってるよーなもんじゃねーか。それとも襲われ待ちだったか? 貴族様もイイ趣味してんねぇ」
「んー! んー!」
押さえられた右手はピクリとも動きません。
左手で必死に抵抗するも、焼石に水。
これが筋力の差……。
嗚呼、確かにわたくしはバカでした……。
誇りだけでは成し遂げられないことも、この世にはあったのです、ね……。
「その辺にしとけ」
「「――!!?」」
その時でした。
ゴシカァンという謎の音を立てながら、鍵が掛かっていたはずの扉が紙みたいに吹き飛びました。
――その先に立っていたのは、眠そうな顔立ちの無精髭さん。
「チッ、イイトコなんだから邪魔すんなよ。場合によっちゃ、いくらアンタでも容赦しねーぜ?」
「へえ、どう容赦しないってんだ。よかったら俺に教えてくれよ」
「クッ、ああいいぜ。もうアンタの時代は終わったんだよおおお!!」
荒ぶる獣のような俊敏な動きで、ウーゴさんが無精髭さんに突貫して右の拳を突き出します。
危ない――!
「――遅ぇな」
「ゴベラッ!?」
っ!!?
が、次の瞬間わたくしが目にしたのは、無精髭さんの左拳がウーゴさんの顔面にめり込む画でした。
そのままウーゴさんは壁際まで吹き飛び、白目を剥きました。
す、凄い……。
「……今のパンチで思い出しましたわ」
立ち上がりドレスの埃を払ったわたくしは、無精髭さんの前に立ち、そのお顔を見上げます。
「武闘大会を3年連続優勝した覇者――『英雄』ベルナルド」
わたくしは3年前、ベルナルドさんが初めて優勝した大会だけ未来の王太子妃として観覧しましたが、優勝を決めた最後のクロスカウンターの鮮やかさは、素人のわたくしでも芸術的だとわかりました。
ですが、去年の大会で3連覇を成し遂げた直後、電撃引退したという噂を聞きましたが……。
「嬢ちゃんに名前を覚えてもらえてたとは光栄だ。だがこれでわかったろう? さっきも言ったように、ここはあんたが来るような場所じゃない。さっさと帰れ。これ以上変な虫が寄る前にな」
「そういうわけにはまいりません。わたくしは1ヶ月後に王太子殿下と決闘するのです。その決闘に負ければ、わたくしは処刑されます。ですから勝つためにも、どうしても優秀なトレーナーをここで探す必要があるのです」
「……冗談じゃなかったのか、その話」
ベルナルドさんは左手で顔を覆い、天を仰ぎます。
冗談でこんなこと言えるものですか。
わたくしが詳しい事情を説明する間、ベルナルドさんは無言で腕を組みながら耳を傾けていましたが、説明が終わると――。
「……わかった。そのトレーナーの話、俺が引き受けよう」
と、一転してそう言ってくださったのです。
「本当ですか!」
引退したとはいえ、あの『英雄』ベルナルドに鍛えていただけるなら、これは完全に勝ち確ですわ!
「ただし、やるからには徹底的にやる。地獄が待っていると思えよ」
「望むところですわ」
地獄だろうが何だろうが、わたくしの誇りに懸けて乗り越えてみせますわ。
「じゃあ明日の朝一に、動きやすい格好でここに来てくれ。そんなヒラヒラしたドレスじゃ、とてもじゃないがトレーニングなんかできないからな」
「承知いたしましたわ」
さあて、張り切ってまいりますわよ!
「まずは柔軟からだ」
「はい!」
そして迎えた翌日。
わたくしはベルナルドさんと二人で、昨日のトレーニングルームで向き合っています。
扉はまだ壊れたままですが、却って風通しがよくなって結果オーライじゃないでしょうか。
「嬢ちゃんの身体の柔らかさを見せてもらう。俺の真似をしてみろ」
「その前に一つよろしいでしょうかベルナルドさん。わたくしにはクラウディア・ヴィヴィアーニという誇り高き名前がございます。どうかわたくしのことは、クラウディアとお呼びくださいませ」
「…………嬢ちゃんは嬢ちゃんだ。いいから言う通りにしろ」
ムウ。
まあこちらは教えを乞う身ですからね。
ここはお譲りいたしましょう。
「わあ!」
ベルナルドさんは床に座ると180度開脚し、お腹をペタンと床に着けました。
ひゃあ、見掛けによらず何て柔らかいのかしら!
早速わたくしも真似してみますが……。
「ぐぬぬぬぬぬ」
わたくしの足は90度くらいしか開かず、お腹と床の距離も太陽と月くらい離れています。
「……まあ、今ので大体わかった。毎日やってりゃ自然と柔らかくなる。とにかく根気よく続けろ」
「は、はい」
その後もたっぷり30分くらいかけてじっくり柔軟を教えていただきましたが、あまりの自分の身体の硬さに、わたくしは若干ショックでした……。
「次はランニングだ。俺についてこい」
「はい!」
外に出たわたくしたちは燦燦と照りつける太陽の下、並んで走り始めます。
フフ、こう見えてわたくし、走るのは速いほうですのよ。
「ゼハァ……、ゲハァ……、ゲハッ……」
「どうした、もうギブアップか?」
が、ベルナルドさんのペースがあまりにも速いため、1キロほど走ったところで、わたくしの全身の細胞が悲鳴を上げ始めました。
「ま、まだまだいけます、わ……。と、ところで、これはあとどのくらい走るご予定なのでしょうか?」
「まあ、今日は初日だし、あと2キロってところか」
2キロ!?!?
まだ半分もいってないと!?!?
「この程度でへばってちゃ、王子さんに勝つなんざ夢のまた夢だぞ。貴族の誇りとやらを、俺に見せてみろよ」
「――!」
ベルナルドさんは嫌味ったらしい笑みを向けてきます。
こ、この方、意外と性格悪いですわ……!
「わかりました、お見せいたしましょう、ヴィヴィアーニ家の誇りを!」
わたくしは死に物狂いでペースを上げます。
「そうそうその意気だ。頑張れ頑張れ」
くうううう、絶対負けるものですかあああ!!
「次は筋トレだ」
「は、はい……」
這う這うの体でトレーニングルームに戻って来たわたくしに対し、ベルナルドさんは息一つ乱れていません。
この方本当に、わたくしと同じ人間なのでしょうか?
「腹筋と背筋と腕立て伏せ。それぞれできる限界までやってみろ」
「しょ、承知いたしました……」
こうなったら、100回でも200回でもやってやりますわ!
はい、ダメでした……。
「腹筋が8回に、背筋が10回、腕立て伏せが2回か。……なるほどな」
随分含みのあるなるほどなですわね?
「まあとりあえず、準備運動はこのくらいでいいだろう」
今までのが準備運動!?!?
ぶっちゃけもう既に満身創痍なんですが!?!?
「さあ立て。嬢ちゃんに俺の必殺技を伝授してやる」
「――!」
必殺技!
嗚呼、何という甘美な響き――!
嘘のように力がみなぎってきたわたくしは、瞬時に立ち上がりベルナルドさんのお顔を見上げます。
「ベルナルドさんの必殺技というと、やはり――」
「ああ、クロスカウンターだ」
キターーー!!!!
あれメッチャカッコイイですものね!
わたくしも是非、アレッシオ殿下に決めてみたいですわ!
「クロスカウンターは嬢ちゃんみたいな細腕でも、上手く当てれば相手に大ダメージを与えられる。1ヶ月で嬢ちゃんが王子さんに勝つには、この方法が最適解だと俺は思う」
「わかりました! 必ずや1ヶ月で習得してみせますわ!」
くう、腕が鳴りますわ!
「よし、じゃあまずは実際に喰らってみたほうが感覚が掴めるだろう。俺の顔面に、思い切りパンチを打ち込んでこい」
「え?」
わたくしがクロスカウンターを喰らう側をやるんですか?
「で、ですが、流石にあんなのをわたくしが喰らったら、決闘を待たずして死んでしまいますわ……」
わたくしの脳裏に、昨日壁際まで吹き飛んだウーゴさんが浮かび、悪寒が走ります。
「もちろん手加減はするさ。――言っただろ、地獄が待ってるって。戦いの世界は嬢ちゃんが思ってるほど甘くないんだ。勝ちたかったら腹を括れ」
「――!」
途端、ベルナルドさんの纏うオーラが、ビリビリとした殺気を孕むものに変わりました。
こ、これが、武闘士の気迫――!
「……失礼いたしました。もう二度と泣き言は申しません。わたくしを殺す気でクロスカウンターを放ってください!」
「だから手加減はするって。いいから打ってこい、ほら」
ベルナルドさんのオーラが、朗らかなものに戻ります。
「はい、まいります。――セイッ!」
わたくしは右の拳を握り込み、全身全霊の右ストレートを放ちました――。
「アラ?」
気が付くとわたくしは、床に寝て天井を見上げておりました。
はて?
ベルナルドさんのお顔に右ストレートを放ったあとの記憶がありませんが?
「目が覚めたか?」
「――!?」
ベルナルドさんのお顔がにゅっとわたくしを覗き込みます。
このお顔の角度、そしてわたくしの後頭部に当たっているこの逞しい肉の感じは、まさか……!
「あわわわわ!!」
わたくしはベルナルドさんに、ひ、膝枕をされていたようです……!
堪らず起き上がります。
ああもう、未婚の身でありながら、殿方に膝枕されてしまうなんて……!
もうお嫁に行けません!
でも、ベルナルドさんのふともも、程よいハリがあって寝心地よかったですわ……。
ハッ、わたくしったら、何てはしたないことを!?
「勘弁しろよ。流石に脳震盪が起きてる嬢ちゃんの頭を、床にそのままってわけにはいかなかったからな」
「……わたくしは気絶していたのですか?」
「ああ、綺麗に白目剥いてて、笑いを堪えるのが大変だったぜ」
「まあ!」
ベルナルドさんにそんな間抜け面を晒してしまったなんて……!
わたくしの顔が真っ赤に染まっていくのが、自分でもわかります。
「今回は顎に軽く当てただけだが、それでも嬢ちゃんの意識を刈り取るには十分だったわけだ。どうだ、クロスカウンターの威力を実感できたろう」
「……はい」
確かにこれなら、非力なわたくしでも殿下に勝てるはず――!
俄然希望の道が拓けましたわ!
「じゃあ今度は嬢ちゃんがやってみる番だ。最初はゆっくりやって型を身体に覚えさせろ。そしたら実践だ」
「はい!」
この日わたくしは、日が暮れるまでクロスカウンターの極意を教わりました。
家に着いたわたくしは泥のように眠り、そのまま朝まで起きませんでした――。
こうしてベルナルドさんの地獄の特訓の日々は幕を開けました。
いえ、むしろ地獄と形容することすらヌルいと言えるかもしれません。
正直何度も心が折れそうになりました。
そんなわたくしをギリギリで支えたのは、貴族の誇りと、ベルナルドさんの真摯な声援でした……。
――そして迎えた決闘前日。
「セイッ!」
「うん、今のは過去最高によかったぞ」
「ほ、本当ですか!」
シャアッ!
遂にベルナルドさんからお墨付きをいただきましたわ!
これで勝つる!(誤字にあらず)
思えば本当に辛い1ヶ月でした……。
でもその甲斐あって、今では足も120度くらいは開くようになりましたし、ランニングは6キロ、腹筋背筋は50回、腕立て伏せは20回までできるようになりました。
1ヶ月前と比べれば、まるで別人の身体と言っても差し支えないでしょう。
「この1ヶ月、よく頑張ったな嬢ちゃん。正直見直したぜ」
「ベルナルドさん……!」
わたくしの顔ほどある、大きくゴツゴツした手で頭を撫でられます。
嗚呼、何故か胸の高鳴りが止まりませんわ!
明日は大事な決闘だというのに、病気にでもなってしまったのでしょうか……。
「嬢ちゃんは十分仕上がった。今の嬢ちゃんなら、きっと王子さんにも勝てるさ」
「ありがとうございます。この御恩は貴族の誇りに懸けて、決して忘れないとここに誓いますわ」
「よしてくれ。俺は別に、大したことはしちゃいない」
「そんなことはございません!」
この1ヶ月、あなた様の存在が、どれだけわたくしの心の支えになったか……。
「ハハ、じゃあありがたく礼は受け取っとくよ。そういえばまだ教えてなかった、もう一つの必殺技があるんだが」
「え!?」
そ、そんな、前日にそんなこと言われましても!
「なあに、こっちは別に技術が必要なものじゃない。――所謂『金的』さ」
「き、きん……!?」
そ、それって殿方の、こ、股間を蹴り上げるという、あの……!?
あわわわわわわわ……!
わたくしにできるでしょうか……!
「金的の威力は絶大だ。俺でさえ、まともに喰らえば一撃でノックアウト確実さ」
「そんなに痛いのですか……?」
「ああ、腹を引き裂かれて、内臓を握り潰されるような痛みとでも言うか」
「そ、そんなに……!」
そんな急所を常にぶら下げてらっしゃるなんて、男性って大変なんですのね……。
「とはいえ、王子さんもそんなことは百も承知だろう。意図的に狙えるようなもんじゃねーが、隙があれば迷わず蹴り上げろ」
「は、はい! やってみます!」
「おう、その意気だ」
わたくしたちの間に、ハチミツみたいな甘い空気が流れた――ような気がしました。
……今なら。
「……ベルナルドさん」
「ん? 何だ改まって」
「どうして武闘士を引退されてしまったのですか?」
「――!」
途端、ベルナルドさんのお顔を陰が包みます。
「ああ! これは失礼いたしました! わたくしったら、デリカシーのないことを!」
どうしても、ベルナルドさんの過去が気になっていたものですから!
「いや、嬢ちゃんにだったら別に話してもいい」
「っ!」
わたくしに、だったら……!?
何故でしょうか!
またしても心臓の鼓動が1億倍くらいになりましたわ!
わたくし死ぬかも!
「……親友をな、殺しちまったんだよ」
「――!」
が、その衝撃の告白を聞いた途端、わたくしは冷水を頭から掛けられたような感覚がしました。
「俺は孤児院出身でな、そこで実の兄弟同然に育った男がいたんだ。そいつと俺は切磋琢磨しながら、共に武闘士のチャンプを夢見ていた。――3年前の武闘大会の決勝で、俺と戦った男だよ」
「……ああ」
あの屈強な男性ですか……。
確かにあの方も、ベルナルドさんに負けず劣らずお強い方でした。
特に勝利に対する執念が凄まじかった。
そのあまりの気迫に、見ているわたくしまで冷や汗をかいたのを覚えています。
「嬢ちゃんは知らないだろうが、一昨年も去年も決勝は俺とあいつだったんだ。一応俺が3連覇ってことになっちゃいるが、いつだってギリギリの、薄氷の勝利だった。――特に去年のあいつは本当に強かった。あわや負ける寸前まで追い込まれたんだが――どうしても負けられない理由があってな」
「?」
負けられない、理由?
「無我夢中で放ったクロスカウンターが偶然クリーンヒットし、俺は勝った。……だが、その当たりどころが悪くて」
「――!」
「俺の腕の中で冷たくなっていくあいつを見ていたら、戦うのが怖くなっちまったんだ」
「そうだったのですが……」
ベルナルドさんはかつての親友を悼むように、遠い目をします。
「事情はよくわかりました。――ですが、それでも敢えてこう言わせていただきますわ。あなた様は、もう一度立ち上がるべきです」
「――! ……嬢ちゃん」
「わたくしに貴族としての誇りがあるのと同じく、ベルナルドさんにも武闘士としての誇りがおありになるのではなくて? わたくしがその親友の方の立場でしたら、むしろベルナルドさんには武闘士であり続けてほしいと思うはずです。あなた様が戦い続ける限り、あなた様に託したわたくしの誇りも、また失われないのですから」
「……!」
ベルナルドさんの琥珀色の瞳に、確かな光が宿りました。
「それに、本当はベルナルドさんも復帰したいと考えてらっしゃるのではないですか? 引退して1年経った割には、身体がまったく衰えているようには見えません。実は陰で、トレーニングを続けてらっしゃるのでは?」
たったの1ヶ月ですが、トレーニングに心血を注いだ今のわたくしだからわかります。
血管が浮き出た丸太のように太い腕。
彫刻のように六つに割れた腹筋。
そしていくら走っても息が乱れない無尽蔵の体力。
1年間サボっていた人間には、この身体能力は維持できませんわ。
「……フッ、本当におもしれー女だな、嬢ちゃんは」
はて?
今の話のどこに、面白い要素があったのでしょうか?
「ありがとよ、嬢ちゃん」
「っ!」
途端、ベルナルドさんが太陽みたいな笑みを向けてくれます。
きゃーーー!!!!
心臓の鼓動が1兆倍になってますわああああ!!!!
もう死んじゃう死んじゃううううう!!!!
「じゃあ、これが本当に最後のレッスンだ。――受け取ってくれ」
「――え?」
急に真剣な表情になったベルナルドさんに、床に押し倒されました――。
ベルナルドさん???
「ハッ、逃げずにこの場に来たことだけは誉めてやろう、クラウディア」
「それは恐縮ですわ。アレッシオ殿下も、相変わらず頭の中に満開の花々が咲き誇ってらっしゃるようで、見ていて微笑ましいですわ」
「クッ! すぐにその減らず口を塞いでやるからなッ!」
そして迎えた決闘当日。
満員の観客が見守る中、円形闘技場の中央でわたくしと殿下は相対しました。
初めて上半身裸の殿下を目にしましたが、ベルナルドさんの逞しく芸術的な筋肉と比べれば棒切れのようですわ。
フフ、これは勝ったも同然ですわね。
「アレッシオ様ぁ! 絶ッッ対に勝ってくださいねー!」
「ああ、任せておけロレッタ!」
特等席に座るロレッタ嬢の右腕の包帯の量は、1ヶ月前の倍以上になっています。
普通包帯が減ることはあっても、増えることってある?
その割には今日も子犬の尻尾みたいに、ブンブン両手を振ってるし。
「あああああああ、クラウディアアアアアア!!!!! ククククククラウディアアアアアア!!!!!」
うるさいですわよお兄様。
恥ずかしいので、ちょっと黙ってていただけませんか?
そんなお兄様を、横に座るお父様はやれやれといった表情で嘆息しています。
お兄様のような人が跡取りで、お父様は本当に大変ですね。
――ふと最前列に座るベルナルドさんに目線を向けると、ベルナルドさんは自信に満ちた表情で、コクリと一つ頷いてくださいました。
たったそれだけのことで、わたくしの中から無限に勇気が湧いてきます。
そこで見ていてくださいベルナルドさん。
この勝利を、あなた様に捧げますわ――。
「ではこれより決闘を執り行う。双方恥のない戦いを私に見せてみろ」
1ヶ月前の宣言通り、御自ら立会人として闘技場に立たれた陛下がそう仰います。
言わずもがなですわ。
「もちろんです父上! この痴れ者がボクに平伏す様を、しっかりと目に焼き付けてください!」
「わたくしは恥のない戦いをお見せするつもりですが、その代わり殿下のお恥ずかしいお姿を晒すことになってしまうことを、あらかじめ陛下に謝罪申し上げますわ」
「何だとぉ!?」
「ククク、では『参った』と言うか、私が決闘続行不可能と判断した方の負けとする。それ以外は基本的に何をしても構わん。――いざ尋常に――勝負!」
「セイッ!」
「がはっ!?」
決闘開始早々、わたくしの右ローキックが殿下の左ふとももを抉ります。
殿下の無駄にお美しいお顔が苦痛に歪みました。
フフ、わたくしがベルナルドさんから教わったのは、何もクロスカウンターだけではないのですよ?
「セイッ! セイッ! セエェイッ!!」
「こ、この、クソアマがぁッ!!」
続いて左、右、左と、ローキックの嵐を浴びせます。
早くも殿下の両ふとももは、内出血で真っ赤に染まっています。
それではもう、足腰に力が入らないことでしょう。
「あまり調子に乗るなよ、女の分際でえええええッッ!!!」
怒髪衝天の殿下は、闇雲に左のストレートパンチを放ってきました。
――勝った!
「セエェイッ!!」
「ぶべらッ!?」
ベルナルドさん直伝のクロスカウンターが、殿下の顔面にクリーンヒットしました。
これにて終幕ですわ!
「ごっ、ああああ……!! 一度ならず二度までも、この高貴なるボクの美しい顔をををッ!!! 絶対に許さんぞおおおッッ!!!!」
アラ!?
鼻血ブーでフラフラになりながらも、殿下の意識を刈り取るまでには至りませんでした。
いったい何故!?
慌ててベルナルドさんに目線を向けると、ベルナルドさんは苦虫を噛み潰したような表情でこちらを睨んでいました。
――しまった。
おそらくあまりに気分が昂っていたために、タイミングがほんの僅か早まってしまったのですわ。
そのため拳に体重が乗りきらず、ダメージが軽減されてしまった……。
何てことでしょう!
クラウディア・ヴィヴィアーニ、一生の不覚!!
「オラァッ!!」
「キャアッ!?」
今度は殿下の鋭いローキックが、わたくしのふとももを削ります。
ベルナルドさんには遠く及ばないものの、殿下もなかなかいいものをお持ちではないですか……。
あまりの苦痛に、足元がふらつきます。
「ハッ、もらったぁ!」
「クッ!」
そのまま殿下に押し倒されて、馬乗りになられてしまいました。
こ、これは……!?
「さあ、これでもう逃げられないぞ。大人しく降参しろ。さもなくば、その自慢の顔を原型がなくなるまでグッチャグチャに潰すぞッ!」
「フフ……、絶対にイヤですわ」
「なっ!?」
貴族の誇りに懸けて、死んでも降参などするものですか。
「――お、お前が悪いんだからなああああああッッ!!!」
「クゥッ!」
殿下の叩きつけるような左ストレートを、何とか両腕でガードします。
ですが、次から次にスコールの如く振り注ぐ拳の雨が、徐々にわたくしの気力と体力を奪います……。
嗚呼、段々意識が遠くなってきましたわ……。
「FOOOOOO!! アレッシオ様ぁ! さっさとトドメを刺しちゃってくださぁい!」
「あああああああ、クラウディアアアアアア!!!!! あァァァんまりだァァアァ!!!!!」
「――クラウディア!!」
――!!
その時でした。
今まで一度もわたくしの名前を呼んでくださらなかった人が、わたくしの名を――!
この瞬間、昨日ベルナルドさんに押し倒された直後の光景が、わたくしの脳裏をよぎりました――。
「あ、あのあのあのベルナルドさん!? や、やはりこういったことは、然るべき順序を経てからでないと……!?」
わたくしは今、ベルナルドさんに馬乗りになられています。
「……何か勘違いしてねーか嬢ちゃん? 最後のレッスンだって言ったろ。まあ、この技を使うような状況にならないに越したことはねーがな」
「へ?」
あ、ああ、最後のレッスンって、そのままの意味でしたのね……。
アラ?
何故わたくしはちょっと残念な気持ちになっているのでしょう??
「1ヶ月研鑽を積んだとはいえ、やはり男女の体格差はそう簡単には埋まらねえ。嬢ちゃんが王子さんに無理矢理押し倒されて、このマウントポジションになっちまう可能性もゼロじゃねえだろう」
「マウントポジション……」
確かにこの体勢では、こちらだけが一方的に殴られてしまいますわね。
「だが、一つだけこの状況を覆せるかもしれない方法がある」
「――!」
まあ!
そんな魔法みたいな技が!?
「それはな――」
「セエェイッ!!」
「なにィ!?」
わたくしは腰を思い切り浮かせ、ブリッジのような体勢になりました。
意表を突かれたアレッシオ殿下は、大きく姿勢を崩します。
フフ、伊達にこの1ヶ月、腹筋と背筋を鍛えてませんわよ!
「セイッ!!」
「ファッ!?」
そのまま両足を上げ、足の裏でペンチみたいに殿下の頭を挟み込みます。
うんうん、これも毎日欠かさず柔軟をしてきた成果ですね。
「セエエエェェェイッッ!!!!!」
「ごべらっぱああああああッッ!?!?!?」
そして殿下の後頭部を、思い切り地面に叩きつけました。
「あ、あば、あばばばば……」
殿下は泡を吹いて痙攣していますが、まだギリギリ意識は残っているようです。
フム、こうなると、やはりトドメはアレですかね。
わたくしはおもむろに立ち上がると、無防備な殿下の股間目掛けて、右足を振り上げます。
「そ、それだけは待ってくれクラウディア!? わかったッ! もう言うから! まいっ――」
「セエェイッ!!」
「ぎゃあああああああああああ!!!!!!」
グシャリという鈍い音と共に、殿下の断末魔の叫びが会場を包んだのでした。
「そこまで。勝負あり。勝者はクラウディア・ヴィヴィアーニ!」
「イヤアアアアアア!!!! そんな、アレッシオ様ああああああ!!!!」
「あああああああ、クラウディアアアアアア!!!!! ククククククラウディアアアアアア!!!!!」
……フウ、何とかギリギリの勝利というところでしたわね。
いの一番にベルナルドさんのほうを向くと、ベルナルドさんはあの時の太陽みたいな笑みで、サムズアップを返してくださいました!
はううううううう!!!
「見事な戦いであったぞクラウディア嬢。それでこそ、我が国の女に相応しい」
「陛下……、ですが、わたくしのせいで高貴な王族の血が途絶えてしまったかもしれません」
白目を剥いて痙攣している殿下の股間を一瞥しながらそう言います。
「なあに、我が国の王に、弱い男の血は不要だ。この愚息からは王位継承権を剝奪し、より優秀な次男に王位は継がせる故心配するな」
「まあ」
ひょっとして陛下は、始めからそのおつもりで?
「因みにあの女狐が愚息をたぶらかしておったことも調べはついておる。後日然るべき処分が下るであろう。楽しみにしているがいい」
「ヒィッ!?」
陛下は女狐さんのほうを一睨みして、そう呟かれます。
ドンマイですわ、女狐さん。
それはそれとして、後で殿下と二人でわたくしに誠心誠意謝罪はしていただきますからね?
「それにしても、いくら愚息が脆弱とはいえ、よもやそなたが勝つとは思わなんだ。いったいどんな魔法を使ったのであろうな?」
陛下は顎を撫でながら、ベルナルドさんを横目で見つつニヤリと口角を吊り上げます。
フフ、これは全部お見通しというお顔ですわね。
「――陛下」
――!
その時でした。
おもむろに立ち上がったベルナルドさんは、そのままわたくしたちのところまで颯爽と歩いてまいりました。
ベルナルドさん?
「何だ、『英雄』ベルナルド。そなたの武闘士としての復帰、国王としてこの上なく喜ばしいぞ」
「勿体ないお言葉でございます、陛下」
そうなのです。
今日は『英雄』ベルナルドの、復帰初日なのです。
我が国が誇る『英雄』だけあって、大歓声が会場を包み込んでいます。
本当に凄いお方だったのですね……、わたくしの師は。
「実は此度の大会で俺が優勝した暁には、一つだけいただきたいものがございます」
いただきたいもの?
「ホウ、面白い、申してみよ」
「はい――できるだけ高位の爵位をいただきたく存じます」
「フッ、なるほどな」
爵位を??
ふうん、意外とベルナルドさんにも、俗っぽい願望があったのですね。
「理由を訊いてもよいかな?」
「もちろんです。それは――好きな女性に求婚するために、それに見合う身分が必要だからです」
――!!
そ、それって、ままままままさか……!?
「――クラウディア」
「ひゃ、ひゃいっ!?」
いつになく凛々しいお顔で見つめてくるものですから、わたくしの心臓の鼓動が過去最高に高鳴ります。
「――俺は君が好きだ。俺がこの大会で優勝したら、俺と結婚してほしい」
「――! ……ベルナルドさん」
ベルナルドさんはわたくしの前でうやうやしく片膝をつくと、左手を差し出されます。
「で、ででででででも、本当にわたくしなんかでよろしいのでしょうか?」
わたくしなんてこの1ヶ月稽古をつけていただいただけで、ベルナルドさんに好かれるような要素は何一つありませんでしたのに……。
「……3年前の大会、俺が初めて優勝した時の祝勝会で、君は俺にこう言ってくれたんだ」
「――?」
3年前の、祝勝会で……?
――あっ。
「『素晴らしい戦いでした。わたくしはあなた様の積み上げた研鑽を誇りに思います。ですからあなた様も、今後も武闘士としての誇りを持って戦い続けてください』、とな。その言葉が、ずっと俺の支えだったのさ。クラウディア、むしろ君こそが、俺にとっての太陽だったんだ」
「ベルナルドさん……」
まさか昨日仰っていた、『どうしても負けられない理由』というのは、わたくしのことだったのですか……!?
「で、返事は?」
「っ!」
ベルナルドさんがいつもの意地悪なお顔で、わたくしを見上げます。
……フフ。
「――はい、喜んで。わたくしもあなた様をお慕いしておりますわ、ベルナルド」
わたくしは未来の旦那様の左手に、自らの右手をそっと重ねました。
「あああああああ、クラウディアアアアアア!!!!! ククククククラウディアアアアアア!!!!!」
――そして2年の月日が経ちました。
「むにゃむにゃむにゃ」
「オイ、昼寝するならもっとちゃんとした枕を使え」
「イヤですわ。わたくしはこの枕が好きなのです」
「まったく」
嗚呼、やっぱり旦那様の膝枕は最高ですわ!
この程よいハリ!
極限まで研ぎ澄まされたふともも!
これに勝る枕は、この世にありません!
「あっ、蹴った!」
「ほ、本当か!?」
わたくしの膨らんだお腹を、旦那様が優しく撫でます。
「男の子と女の子、どっちだろうな」
「フフ、どちらでも、あなた様に似た逞しい子に育ちますわ」
「ああ、そして君に似た、誇り高い子にもな」
「ええ、そうですわね」
午後の心地よい陽射しが、わたくしを眠りに誘います。
――嗚呼、わたくし、とっても幸せですわ。
愛する旦那様に見守られながら、わたくしはそっと目を閉じました。
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