エレベーター
エレベーターに閉じ込められてからというもの、すでに1時間が経とうとしている。
私はどうしたらいいのだろう?
私は外壁塗装の営業マンだ。
この薄汚れた雑居ビルに、飛び込み営業で来たのは1時間前。
外壁の塗装をした方がよさそうな古ビルを狙って、そのまま営業に入ってしまったのが、運の尽きだった。
エレベーターに乗る前に、妙な胸騒ぎがしたのだが、そのまま乗ってしまった。
案の定、エレベーターはガタンッという大きな音とともに停止。電気が切れて、停電のような状況になっている。
停止してからすぐに、管理会社へ呼びかけを行なっているのだが、一向に通じない。緊急ボタンをしきりに押しているが、全くもって、つながらないのだ。
私はあせってきた。
こんな古ビルに人は来るのだろうか?
来たとしても、エレベーターに乗るだろうか?
エレベーターが止まっていることに気がついて、通報してくれるだろうか?
様々な不安がよぎっていく。真夏ではないから、まだ暑さだけはよかった。
ただ、残暑は厳しい。この狭い場所では暑さがこたえる。
何を言ってる。スマホがあるじゃないか。
スマホで外部に連絡すればいい。簡単な話だ。
ところが、私はスマホを会社に置いてくるという痛恨のミスをおかしていた。よりによって、こんな時に。悪いことは重なるものだ。
1時間もボタンを押し続け、もうダメかと思われた時、一瞬だが声がしたような気がした。
スピーカーからではない。上の方からだ。
私はここぞとばかりに叫んだ。
「助けてください! ここにいます! 助けてください!」
だが、私の空耳だったのか、それ以降、うんともすんとも言わなくなった。
近くの建物の話し声だったのだろうか?
そんな隣のビルでも声が聞こえてくるだろうか?
いろいろ頭の中で考えを巡らせながら、はて、どうしたものかと考えた。
大丈夫、じきに助けが来るさという楽観的な考えと、2〜3日、助けが来ないかもしれないという悲観的な考えとが錯綜していた。
食料を確認する。ガムにマウスウォッシュ。これだけ。
これでは心許ない。しまった。水分がない。ここに寄った後、コンビニでペットボトルを買おうと思っていたのだ。
運が悪いことは続く。飛び込みで入ったものだから、ここへ来ることは誰にも伝えていない。
こりゃ、困った。絶対絶命だ。
「待てよ」
私は思った。
ここから自力で脱出できるのでは?
よく映画などで見たことがある。エレベーターの天井のフタを開けて脱出するところを。
「よっしゃあ!」
即座に上を見る。
「ん?」
脱出口などどこにもない。しかも、ジャンプしても天井に手が届かない!
手すりがあるじゃないか!
手すりに何とか乗って天井から抜け出せないだろうか?
「やって見るべし!」
私は手すりに足を乗せると、ぷるぷる震える足で何とかひざを曲げた体勢で立ち上がった。これなら天井に手が届きそうだ。
天井を押してみる。
「くおっ!」
びくともしない。
誰だ、エレベーターから脱出していたヤツは!
全くびくともしないぞ!
と思ったらバランスを崩した。
「おわあっ!」
エレベーターの床にドシンッと体ごと落ちてしまった。ここでの負傷は命取りになる。気をつけねば。
天井は諦めた。
今度はドアだ。ドアを自力で開けてみる。
「くう~!」
全然開かない。何てかたいんだ! 思わずドアに蹴りを入れた。
ぐわんぐわんとエレベーター全体が揺れ動いた。
「!」
これはいける! いけるぞ!
私にはある思いつきがあった。
ガンガン蹴りを入れることで、エレベーターを1階まで落下させるのだ。
ここに来たとき、私は3階のボタンを押した。
しかも、それほど動かずにエレベーターは停止したはずである。ということはつまり、すぐ下には1階があるということである。
「しめた!」
私はドンドンとエレベーターを揺らしたり、ガンガンとドアに蹴りを入れていった。エレベーターが小刻みに揺れる。
「もう少しだ!」
そうすれば、エレベーターは落下して私はめでたく生還ということになる。
「そりゃっ!」
気合いが入ってきた。先ほどまで何をしていたんだろうと、疑問に思うくらい、活力がみなぎっている。この音を聞いて誰かが来てくれることも想定済みだ。
ガコンッ!
「うおっ、やったか?」
私は構えた。
急にエレベーターが明るくなった。
同時に、スピーカーから声が聞こえてきた。
”ちょっと、大島さん、壊れちゃうから止めてくださいよ”
「ん? 誰だ? やっと緊急ボタンが通じたのか?」
私は用心深く身構えた。
”何やってんですか、大島さん”
「助けてください! 助けてください!」
私は力の限り叫んだ。そして、これで助かったと安心した。
「ダメだ、あの人。完全に催眠にかかってる」
ここは病院である。
閉所恐怖症を治療するため、エレベーターの模型まで作って行われる閉所恐怖症克服病棟である。
まず、催眠術によって、自分は何のためにここに来たのかをインプットさせる。それから、どれだけ閉所に耐えられるかを記録するのだ。
ところが、大島の場合は、耐えるどころか必死に脱出することを考えてしまった。当然、ゲームオーバーなのである。
「大島さんへの催眠術がキツすぎたんじゃないですかね?」
「いや、俺はいつも通りやったんだけどな~」
「大島さん、もういいよ、出て出て。高いんだからね、このセット」
医師たちは呆れた様子だった。
急にドアが開いた。私はついに解放されたのだ。
いや、まだだ。
まだ、営業が残っている。この薄汚れたビルを、うちの会社がきれいにピカピカにしてやらなければ。
私はめでたくエレベーターから降りて、今度は階段で昇っていこうとした。これぞ、プロ、まさにプロ意識の塊だ。ここであきらめてはいけない。
”ちょっと、大島さん! どこ行くの? ここは治療室だよ!”
私は襟を正して言った。
「あのう、こちらの外壁の塗装なんですがね?」
終