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祈願成就  作者: 霜月透子
四、刈谷徹
18/22

4−4

   *


 そして、決行の日。

 クラスが違うはずなのに郁美以外の全員が昇降口でばったり会った。こんなことは初めてだった。四人で通学路を歩くのは不思議な感じがした。考えてみれば今までこんな機会が一度もなかったことの方が不思議なのかもしれない。


「みんな、例のもの持ってきた?」


 周りにほかの生徒がいなくなったところで、絵里が緊張気味に尋ねた。


「うん。これ」


 健二が握り締めていたのは驚いたことに歯だった。


「え? 乳歯? 自分の?」


「そう。集めてるんだ。その中から一本持ってきた。髪の毛より効果ありそうじゃない?」


 徹の家では下の歯は屋根の上に、上の歯は縁の下に投げていたから、集めている人がいるとは思いもしなかった。返事に困っていると、絵里が手のひらを広げた。飾りのついたヘアピンのようなものが乗っている。でも女の子が身につけるにしてはおじさんくさい柄だった。


「ネクタイピン。知ってる?」


 三人とも首を振る。


「みんなのお父さんはネクタイピンは使わないの?」


 そう言うからには絵里は父親のことを願うのだろう。なんだろう。出世とか? 給料アップとか?


「ねえ、徹くん」


 実希子が遠慮がちに服の裾を引っ張っている。


「あれ、持ってきてくれた?」


「ああ、うん。今、渡しておくよ」


 徹は、ランドセルを胸の方に回して、中から折りたたんだノートの切れ端を取り出した。中には修の枕についていた髪の毛が一本入っている。実希子は丁寧に受け取って「ありがとう」と大切そうに胸にあてた。


「徹くん、自分の分は?」


「俺のはこれ」


 ズボンのポケットから消しゴムを取り出した。


「なにそれ。自分の?」


「まあ、そんなとこ」


 自分のことを願うなら自分のものを用意したが、これは修の消しゴムだ。昨日のうちにこっそり机から盗んでおいた。


 修に貸した金はまだ返ってこない。大金だからすぐには返してもらえそうもないと覚悟はしていたが、昨日の態度には頭にきた。

 夕食のときに母と夏休みの話になり、祖母にもらったお小遣いをどうしたかと聞かれたのだ。修は貯金箱に入っていると澄まして言った。自分も同じように答えればよかったのだろうが、しらじらしく嘘をつく修の態度に驚いたせいで言葉に詰まった。

 すると、不審に思った母が「二人とも今すぐ貯金箱を持ってきなさい」と強い口調で言った。自分のせいで修まで窮地に立たせてしまい、申し訳ない気持ちと情けなさでずっとうつむいていた。

 母のもとで同時に貯金箱代わりの空き缶を開けると――修の方には五千円札が一枚入っていた。


「徹はなんで空なの?」


 とっさに兄を見上げると、出来の悪い弟に同情するかのような顔があった。


「徹! あんな大金、なにに使ったの!」

「……使ってない」

「使ってないのになくなるはずがないでしょ!」


 散々叱責された後、修が母に言った。


「徹のことだからきっと大事にどこかにしまい込んで忘れているんじゃないの?」

「……そうなの? 徹」


 しゃべれないくらいに泣かされた徹は、しゃくり上げながら頷くのが精いっぱいだった。

 部屋に戻ってから修は「ばかだなあ」と笑った。


「おまえも俺みたいにすっとぼけて『貯金箱にある』って言えばわざわざ確かめたりされなかったのに。明日、この五千円札を貸してやるから『机の引き出しにしまってあった』って見せて来いよ。で、見せたらちゃんと返せよ?」


 その瞬間、徹は兄を呪うことを決めたのだった。



      *



 雑木林に足を踏み入れると、蝉しぐれで聴覚が麻痺しそうになる。時おりツクツクホウシの声が混じり、夏の終わりを感じて少し寂しくなる。風向きで盆踊りのテスト放送が聞こえる。今週末の祭りの準備をしているのだろう。


 秘密基地には今日も郁美が一番乗りだった。木々の開けた空間の中心に佇んでいる。ぴくりとも動かないので、木が生えているみたいだ。「郁美ちゃん?」と実希子か絵里が呼びかける声が聞こえた気がしたが、空耳かもしれないと思う。蝉がうるさすぎて、かえって静寂のようだった。四人で郁美のそばに歩み寄る。うつむいた郁美の視線の辿り、息が止まった。蝉の声か耳鳴りか、頭の中がうわんうわん鳴っている。


 郁美の足元には、黒い塊があった。

 触れずとも硬直しているのがわかった。そこに生気はない。あるのは拳大の黒い物体。

 蝉がうるさい。


「一人ずつ前に出て」


 囁き声なのに郁美の声が蝉の声を割ってしかと耳に届く。


「まずは健二くん」


 健二は言われるままに郁美と並ぶ。郁美の口が動き、健二が頷く。徹のいるところまで声は聞こえない。健二は郁美からなにかを受け取り、しゃがみこんだ。そしてすぐに手にしていたものを郁美に返し、逃げるように雑木林を出て行った。


「次。絵里ちゃん」


 絵里もためらうことなく進み、健二と同じ行動をとった。

 なんだこれは。健二や絵里こそがまじないで操られているみたいだ。


「次。徹くん」


 行くもんか。まじないなんかしなくていい。そう思うのに、足は徹の意思に関係なく交互に前へ出される。

 郁美に並ぶと、折りたたみ小刀が差し出された。三年生か四年生のときの教材で使っていたものだ。彫刻刀の授業に入る前に刃物の扱いに慣れるためのものだったと思う。たしかこれで鉛筆を削る練習をさせられたっけ。


「どこでもいいから小刀で切り裂いて。そこに持ってきたものを埋めて。大きくて入らないようなら傷口に触れるように乗せるだけでもいいわ」


 頭の中が痺れてなにも考えられなかった。言われるままに小刀を手に取り、足元に転がる黒い塊に突き刺した。見た目よりも柔らかく、刃先がぷすりと入る感触は少し気持ちよくすらあった。そのまま右に引くと、滑らかに切り口が広がった。消しゴムを押し込む際に、願う。兄ちゃんに罰が当たりますように。


 立ち上がり、小刀を郁美に返すと、もう一瞬たりともこの場にいたくなかった。雑木林を走った。出口はこんなに遠かっただろうか。走っても走っても辺りは木ばかりだった。もう一生雑木林から出られないんじゃないかと半ば本気で思い始めたころ、ふいに強い日差しのもとに躍り出た。気が抜けてその場に崩れ落ちた。


 人心地ついて、顔を上げると、すぐそばの地べたに、腰を下ろした絵里と健二がいた。手にはなにも持っていなかった。


 こいつらも願ったんだ……


 自分だけではないと思うと、少しだけ気分が落ち着いた。

 そこへ、実希子が飛び出してきた。勢いよくうつ伏せに転んだ。


「みきちゃん! 大丈夫?」


 絵里が走り寄る。徹と健二も実希子が起き上がるのに手を貸した。

 実希子の顔は涙と汗でびしょ濡れで、頬や額には砂がついていた。うえっ、うえっ、と吐きそうな声で泣く。その涙を拭う手に握られているものを見て、徹たちは動きを止めた。実希子の手にはノートの切れ端があった。徹が用意した修の髪が。


 実希子は、願わなかったのか……


 救われた気がした。落ちきらないで済んだような、すんでのところで躱せたような、安心感。


 ははっ……


 笑いがこみ上げる。


 あはははは……!


 徹は仰向けに寝転んで大声で笑った。健二や絵里も続く。アスファルトが焼けるように熱かったが、どうでもよかった。三人の笑い声と実希子の泣き声が、夏の終わりの空に蝉の声より大きく響き渡った。


 その後、なぜか全員で熱を出し、週末の祭りには誰も参加できなかった。

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