無くしてしまった日
秋晴れに思うことがある。
小学校六年生の時だった。
二学期になって、
ぼくは学校に行かなかった。
いや、行けなかった。
毎朝、いつも通り学校に
行くふりをして、
鞄を空き地の草むらに隠し、
歩いて一時間はかかる山に
毎日、行っていた。
昼間の山の中は、
誰にも出会わず、身を隠すには、
ちょうどよかった。
谷間の湧き水で喉を潤し、
松の木陰で寝転んでいた。
松葉の隙間から空を見ていた。
眠たくなったらそのまま眠り、
目覚めればまた空を見ていた。
ぼくの心はずっと現実に怯え、
空っぽになりたがっていた。
運動会の練習は一度もしなかった。
だから、運動会など、
ぼくには関係がなかった。
運動会の当日も、
ぼくは何の迷いも無く山に行った。
家の者は弁当を持って、
学校に行き、場所を取り、
我が子、我が孫の姿を探す
ことになった。
当然、見つかる筈もない。
我が子、我が孫は、
学校からもよく見える山の中に
いたのだから。
秋晴れの空の下、その日の山は、
さぞかし、はっきり見えていただろう。
学校に行っていないことがわかって、
ぼくはひどく叱られた。
何をどう叱られたのか、
もう覚えていないし、
その後のことも覚えていない。
学校に行かなかった。
いや、行けなかったのは、
実に、情けない理由だった。
それは、自分の勇気の無さに
よるものだった。
叱られたときも、
ぼくは病気のせいにして、
本当の理由は言わなかった。
クラス委員のバッジを失くして、
二学期の委員に渡せないなんて
ぼくの小学校六年生に、
運動会は消えて無くなった。
だからぼくには、騎馬戦をした
記憶も、障害物競争の記憶も無い。
ぼんやりと、秋晴れの空たけがある。