夏の日の約束
「ねえ紗耶香、今度の日曜日予定ある?」
放課後。部活に行く直前にヒナに声をかけられた。
「……ないけど、何かあるの?」
「どこかに出かけよ!」
そんなところだとは思っていたけれど、ざっくりとしすぎではないだろうか。
「……どこかってどこよ」
「前は私の行きたいところに行ったから、今回は紗耶香の行きたいところ」
二人でゲームセンターに行った時のことだろう。
「……あの時はお世話になったわね」
「いいってことよ」
皮肉を込めて言うが、そんなことは気にも留めずに笑顔で応える。
「……まあいいわ」
「やった! それじゃ一時に校門の前に集合で」
「……ええ。それじゃあ」
約束を交わし、それぞれの部活へと向かう。その途中ですみれが興味深そうに尋ねてくる。
「ねえさやか、さっきヒナちゃんと何話してたの?」
「……今度の日曜日にどこかに出かけようって話よ。行き先は全く決まってないのだけれど」
それを聞くとすみれは目を丸くした。
「さやかがお出かけって珍しいわね……! いいなぁ、私も行きたい……」
「……失礼ね。ヒナに言えば快諾してくれると思うわよ?」
すみれにしては珍しく消極的で、少しばかり不思議に思う。これがもし心春さん絡みだったら嫌と言われてもついて来るだろうに。
「うーん、それはそうなんだろうけど、二人の邪魔はしたくないのよね。私もヒナちゃんとは吹部の時からある程度の付き合いはあるけど、さやかと居る時の方が楽しそうなのよ。妬けちゃうわぁ」
最後は冗談めかして言ったものの、すみれがそんなことを思っていたなんて初めて知った。
「……邪魔なんてことはないけど、そういう風に言って貰えるのは嬉しいわね。ありがとう」
「それじゃあ、私はこはるちゃんをデートに誘ってみるわ!」
「……そう。頑張って」
結果は見えているが、一応そう言っておく。こんな風に気兼ねなく話せる幼馴染が居ることが自分は恵まれている、と時々思う。誰にも言うつもりはないけれど。
そして約束の時間ちょうどにヒナはやって来た。
「おっす」
「……ええ」
梅雨が明けたばかりで太陽がじりじりと照り付ける。ヒナはうっすらと汗を浮かばせている。かくいう私も五分程この晴天の中でじっとしていたため、体が熱を持ってしまっている。
「……本当に今日は私の行きたい場所でいいのかしら?」
「いいよいいよ。どこへでもお供しまっせ」
相変わらずの軽い調子でヒナは言う。私は頷いて歩き出す。
「……わかったわ」
「さーて、どこに連れて行ってくれるのか楽しみだなぁ」
ヒナはそう言って隣に並ぶ。その顔は本当に楽しそうで、見ているだけでこちらまで少し浮かれてしまいそうなくらいで。
十分程歩き、目的の場所付近に辿り着いた。
「……見えてきたわよ」
「どこでもとは言ったけど、ハロワは流石にどうなのさ?」
左前方に見える職業安定所を指差してヒナは言う。
「……目的地はその先よ。わざとでしょ?」
「あはは、バレたか」
職業安定所を通り越し、本当の目的地に到着した。
「甑葉プラザか。ということは……」
「……ええ、図書館よ」
甑葉プラザは総合文化複合施設で、イベントや講演会に使うホールや屋外広場、会議室や研修室、調理実習室の他、図書館やカフェ、親子交流広場、共同事務所などが併設されている。おまけに、最上階である三階にはこの施設の名前の由来となっている甑岳と葉山を見渡せるテラスがある。
施設の利用目的や私の趣味から考えれば、図書館が目的地だと推測するのは難しくないだろうと思う。
「図書館なんて何年ぶりだろ」
私は隔週くらいで足を運んでいるが、やはり図書館に来る高校生はそう多くないのだろう。
「ふぅー、生き返る……」
自動ドアを通ると、程よく冷やされた空気が出迎えてくれた。
「……そうね」
噴き出した汗が引いていくのを感じる。図書館の中に入ると、いつもより少し人が多いように感じた。暑さをしのぐ目的で来ている人が多いのかもしれない。
ひとまず以前借りていた本を返却し、お気に入りの作家の本がある棚へと移動する。まだ読んだことのない作品がないか物色し、二冊手に取る。
「……ヒナもどれか読んでみる?」
隣に向かって小声で尋ねかける。
「うーん、私でも楽しめるようなら……」
普段から読書をする習慣がない人にいきなりミステリー系はハードルが高いだろうか。それなら。
「……こっちの棚にあるのなら、多分」
SFやショートショートで有名な作家の本を薦めてみる。
「どういう感じ?」
「……ショートショートというジャンルで、短い話が一冊の中に何本も載っているわ。それぞれ話の内容や登場人物が違ったりするから、好みの話はきっと見つかると思う。それに、長時間集中して読む必要がないから、読書に馴染みのないヒナでも読めると思うわ」
「そっか、ありがとう」
ヒナは棚の中の本の背表紙を眺め、一冊を手に取った。そして、これにする、と言って私に頷きかけた。
「……それじゃあ行きましょ」
カウンターで本を借りる手続きを済ませ、図書館の外に出る。普段であれば借りた本を閲覧スペースで読んだりするのだが、今日はヒナを連れているため、それをするのは憚られた。
「次はどこに行くの?」
目を輝かせて尋ねるヒナ。しかし、私はその期待に応えることはできない。
「……家よ」
若干の間の後で私は答えた。
「え?」
「……家よ」
聴こえていたとは思うが、一応繰り返し伝える。
「まあ紗耶香ならそんなとこだよねー。お邪魔してもいい?」
「……いいわよ。特に面白いことはないと思うけれど」
「いや、紗耶香の家に行くの初めてだから、それで十分だよ」
思い返してみれば、確かにお互いの家に行ったことはなかった。
歩いてきた道を引き返し、家へと向かう。その間に、最近の部活の様子や共通の知り合いのことを話したりした。
「……着いたわよ」
「ここが紗耶香の家かー。思ってたより普通の家だね」
「……どんなのを想像してたのよ」
私の問いかけに、ヒナは隣の家を指差す。
「あんな感じ」
「……まあ、そうだと思ったわ。そっちがすみれの家よ」
予想通りの答えに苦笑が漏れる。
「えっ、近っ! ああ……どおりであんなに仲良い訳だよ」
私たちが幼馴染だということは、私たちと交流のある人であればだいたいの人が知っているが、家がここまで近いということはほぼ知らないであろう。
「……お察しの通りね」
立ち尽くすヒナの背を軽く押し、家の中へと促す。
「……ただいま」
「お邪魔します」
先にヒナを部屋に案内し、飲み物を取って部屋へと戻る。
「……ヒナ、飲み物持って来たわよ……って、優香、どうしたの?」
部屋の中では妹の優香がヒナと何かを話していた。
「別に……」
ほんの少し頬を赤くしてそっぽを向く優香。優香とはあまり仲が良いとは言えず、小言を言われるのは珍しいことではない。もしかすると、私が帰って来たことに気づき、何かを言おうとしたところでヒナと遭遇したのだろうか。
「紗耶香のことについてちょっとねー」
私と優香を交互に見ながらニコニコと楽しそうに笑みを浮かべるヒナ。
「お姉ちゃん、あんまりヒナさんに迷惑かけないようにね」
優香はそう言い残して部屋を出て行ってしまった。
「……一体何だったのかしら」
「気にしない気にしない」
ヒナにうやむやにされ、これ以上追及しても何も聞き出せないだろうと思い、諦めた。
「……まあいいわ。それより、数学の小テストの勉強してるの?」
この前の授業で予告されていたことを思い出し、話題を変える目的も含めて尋ねる。
「そんなのあったっけ?」
「……あるわよ。あの先生結構厳しいから、そこそこの結果出さないとうるさいわよ」
ぐえーと唸るヒナがおかしくて、思わず吹き出してしまった。
「教えてください紗耶香先生!」
両手を頭の上で合わせ、拝むようなポーズでヒナが言う。
「……全く、調子良いんだから……」
グラスの氷がすっかり融けるまで勉強は続いた。
「今日はこれくらいで勘弁してください……」
「……家でもしっかりやるのよ」
気のない返事をしてヒナはこう続ける。
「また今度遊ぼうね。次は菫も一緒に」
「……ええ、きっと」
ヒナを玄関先で見送った後、自室のベッドに倒れかかる。
「……また今度、ね――」
こうして何気なく約束を交わせる相手が私にどれだけ居るだろうか、なんてことがふと頭をよぎった。きっとそう多くない。だから、この繋がりはできるだけ大事にしたい。
瞼を閉じると、ヒナと菫の顔が浮かんだ。自然と頬が緩み、心が温かくなってくる。
エアコンの風が頬を撫で、私は眠りについた。
その日はとても夕焼けが綺麗だったらしい。