2話『コーヒー好きな少女?』
七月二十五日、十五時過ぎ。三日前に学校が夏休みに入り、俺は親が自営業でやっている喫茶店を本格的に手伝っていた。
最近は近くにできた大型ショッピングモールに客を取られがちだが、それでもなんとか家族二人がやっていけるぐらいには稼げている。
今はちょうど人がいない時間で、カウンターに肘を突いてぼうっと喫茶店入口の扉を眺めていた。
「正伍、暇ならボクにコーヒーの一杯でも入れてくれよ。ずっとキッチンにいると喉が渇いて仕方ないんだ」
「……勤務中だってこと分かって言ってんだろうな? 睦花。まあいいけどよ」
キッチンから俺の隣までやってきたウェイトレス服の彼女は、俺の幼馴染である乙女野睦花。
長めの黒髪を後ろで一つにまとめたポニーテール、スポーティーな褐色肌、一切の凹凸がないボディと、まさにスポーツマンといった風貌。
凹凸がない方がスポーツはしやすそうだし。実際中学の頃は掛け持ちで色々やってたしな。一年前ぐらいから身体の調子が優れなくなってからはやってないみたいだが。
はぁと溜め息を零しながらもとりあえずコーヒーだけは注ぎ、何故か俺の目の前のカウンター席に座った睦花の前に置く。
そのコーヒーをゆっくりと口に運び、褐色の喉をごくりと一度鳴らしてカップをカウンターに戻した。とても慣れた動作に感心しながらも、こいつバイト中に何やってんだろうという考えがその感心を打ち消す。
「ん? なんだい正伍。あまり口に物を含む姿をジロジロ見られたくはないんだけど。それともボクの唇に何か用かい?」
そう言って、からかうように自身の唇に人差し指を当てる睦花。
もう十数年の付き合いで慣れているので、適当に流して別の話にシフトさせる。
「お前の唇に用はない。それよりなんでわざわざ俺の前に座るんだよ、いつもいつも。せめてこっち側で飲め。客が来たらどうす────、って、ほら来たじゃねぇか」
俺の言葉の最中に、ちりんちりんと扉に付いた鐘を鳴らしながら、一人の少女が店の中に入ってくる。
「まあまあ、いいじゃないか」
薄く笑って誤魔化す睦花に呆れつつもとりあえず客の対応をせねばと思い直し、少女の方を向いた。
「いらっしゃいませ、お好きな席にどうぞ」
「じゃあ失礼しますねー。注文はコーヒーで。この店自慢の奴!」
まっすぐ歩いてきて睦花の隣のカウンター席に座ったかと思えば、今度はメニュー表すら見ずにアバウトな注文をしてきた。
「はぁ……? まあならオリジナルブレンドを入れますが、よろしいですか?」
「美味しいなら!」
なんだこいつ。およそ客に抱くような感想ではないと理解しつつも、思わずにはいれられない。喫茶店に慣れてるのか慣れてないのか……。そもそも見た目的にはかっこつけて初めて喫茶店に入ってきたお嬢さんなんだよな。
紫紺色の肩に掛かるぐらいの短髪と、俺と十数センチは差がありそうな身長。笑顔の幼さ等も含めると、中学二、三年生だろうか?
ただ……、胸だけは中学生レベルどころか高校生レベルでもない。本当はメロンを詰めてますと言われた方がまだ信じられるぐらいだ。服装も白シャツの上に薄手のパーカーを羽織っていて、より中学生に見える。
胸以外はどこを取っても中学生な少女に、注いだコーヒーを差し出しながら眺めていると、何故か睦花の方から苦言が飛んできた。
「正伍、キミはこの子のどこを見てるんだ、厭らしい」
「おい、客の前で人聞きの悪いこと言うなよ」
客の前じゃなくても言ってほしくはないが。
俺が睦花を諌めている間にコーヒーを飲んでいた少女が、心底うっとりと一言。
「はぁ……、美味しいですね。これで仕事疲れも吹き飛びます」
「ふふん、正伍のコーヒーだからね。ボクも大好きだよ」
二人のべた褒めに肩を竦める。それよりも少女から気になる単語が出たような。
「仕事疲れ? お客さん、中学生じゃないのか?」
「中学……、あー、いえ私は高校生ですよ。高一です」
「じゃあボク達の一個下か。幼く見えるね」
「よく言われます」
なるほど、高校生か。高校生ならバイトも出来るし仕事疲れって単語もそんなに不自然じゃないな。
いつの間に飲み干したのか、少女からおかわりを要求してきた少女に二杯目のコーヒーを注いでいると、睦花と少女の会話が聞こえてくる。
「それでキミはどんな仕事を?」
「えーと、人探しみたいなものです」
人探し? 探偵の助手とかか? でもそんなバイトあんのかな。
「へぇ、珍しいバイトだね。キツイのかい?」
「そりゃあもう! なんせどこに隠れてるのか見当も付かないですし、見つかったかと思えばもういないんですもん」
本当にどんな仕事だ……? 迷い猫探しとか? でもそんなもんバイトになるわけねぇよなぁ……。
二杯目を少女の前に差し出しても少女と睦花の話は終わらず、気が付けば愚痴談義にシフトしていた。そのままたっぷり数時間も二人の会話は続き、日が沈み出した頃にようやく少女が立ち上がった。
「では、本日二度目のお仕事に行ってきます。また今度来ますね。ごちそうさまでした」
睦花を見送ると同時、睦花が俺に向かって妙な笑みを浮かべて言う。
「ねぇ、正伍」
「断る。お前がその表情をするときは大概厄介な頼みごとをしてくるときだ」
「違う違う。頼みごとなんかじゃないから聞いてよ」
顔の前で手を左右に振って違うと言い張る睦花に嫌な予感を抱きながら、俺は渋々その頼みごとじゃない何かを尋ねた。
「言ってみろ」
「今からあの子の後を追ってみない?」
「ほらみろ、やっぱり厄介事じゃねぇか。頼みごとじゃねぇだけだろ」
嫌な予感的中。下を向き溜め息を漏らす俺の頭に、まあまあと手を伸ばして撫でてくる睦花。
「正伍だって興味あるだろう? あの子がどんな仕事してるかさ」
「そりゃ多少は興味あるけどよ。わざわざ追うほどじゃねぇだろ。それにまだ営業時間中だしな」
「ははぁ、それなら心配いらないんじゃないかなぁ。ほら」
睦花がある一点を指差す。それは喫茶店の窓と窓の間、その上に設置してある壁掛け時計だった。
現在時刻は六時。それを見て、すぐに睦花の言いたいことが分かる。
それは交代時間だ。この喫茶店は開店から午後六時までは俺と睦花の業務時間、六時から閉店までは母さんの業務時間、と分けられている。つまり六時になっているということはもう俺達の役目は終わり。自由時間になるということだった。
睦花が言いたいのは、自由時間なのだからあの子を追っても問題ない、ということだろう。そういう問題じゃねぇんだけどな。それも一理あるとはいえ。
そもそも母さんはまだ来ていない。厳密には母さんと交代してからが自由時間なのだから、追うも何もないだろう。
俺がそれを口にしようとしたそのとき、真後ろから肩を叩かれ耳元で囁かれる。
「行きたいとこがあるなら行ってくればいいじゃない。これからはお母さんの時間よ」
「うお、いつの間にいやがったんだ、母さん」
慌てて振り向けば、ほんの少し茶色掛かった長い黒髪が顔に掛かる。
「ほら、お母さんもこう言ってくれてるんだしいいじゃないか。行こうよ、正伍」
「お前な、…………はぁ。もういいよ、分かったよ」
爛々とした目で俺を見つめる睦花を見て、もう説得を諦める。こうなった睦花に如何なる言葉も届きやしない。好奇心に支配された犬だ。
喜び勇んで控え室に着替えに行く睦花を一瞥して、俺も二階の居住区に戻り着替えて再び一階に戻る。
「遅いよ正伍」
そこには既に着替えて準備万端の睦花が待っていた。身体の調子が悪いってのに、こういうときだけ早いんだこいつは。
「はいはい。じゃあ母さん、もう出るけどなんか買い足すもんとかあるか? あるならついでに買ってくるけど」
「特にないね。あんまり遅くならないようにするってことだけ覚えて行ってきな」
「はいよ。ほら睦花行くぞ」
「うん。なんだかんだ正伍もノリノリじゃないか」
お前が止めても止まらない暴走列車だからだ。そんな嫌みを言ってもどうせ止まらないことは確定しているので、わざわざ口を開くことはせず外に出る。
はぁ、これストーカーになるんじゃねぇの。
「もう、正伍がぐだぐだやってるから、あの子がどこに行ったか分からないじゃないか」
「俺のせいかよ。だいたいお前、あれだけ話してたんだから、追うつもりだったならもう少し情報聞き出しとけよな」
喫茶店前の大通りに沿って小走りに移動していき、その先にある大きめの公園の前で俺と睦花は立ち止まって口論を交わす。
よし、このまま行けばお開きの流れだ……、とはいかないよな。それにどうせ睦花のことだ。今日お開きになったとしても、次あの子が来たとき追い掛けようとするに決まっている。見つかるまで付き合わされるとか迷惑過ぎる……。
とりあえずその辺を歩いて探そうかという睦花の言葉に従って、大通りを渡り街路樹の生えた路地の方へ入る。
そうして街中をぐるぐると周って三十分少し経った頃。
「見つかんないねー、あの子」
「バイトだってんなら、なんだかんだショッピングモールに行った方が見つけられる可能性は高かったかもな。不思議な職務内容に惑わされて、頭の中から排除してたけど」
スマホを覗けばもう六時三十分過ぎているが成果はまるでなし。今思えば、あの子の仕事が人探しだったとしても、それが街中で歩き回って探す類のものではない可能性だってあるんだよな。
例えばどこか一点に留まって人に尋ねて探したりもできるわけで。その場合はやはり先程言ったように人の多いショッピングモールにいる確率の方が高い。
「ていうか、睦花。お前身体は大丈夫か? 結構歩いてるけど」
道路沿いの坂道を登りながら、睦花に心配の声を掛ける。あれだけ好きだったスポーツをやめるほど最近の睦花は身体の調子が良くないのに、外を長い時間歩き回るのは大丈夫なのだろうか。日が沈みかけているとはいえ、夏場だから体力の消費も早い。
だが、睦花はそんな俺の気遣いを一笑して跳ね退ける。
「正伍は心配性だな。歩くぐらい問題ないさ。長時間の激しい運動がきつくなってきただけだっていつも言ってるだろう? ボクだって自分のことはちゃんと分かってるつもりだし心配ご無用だ」
つもり、じゃ困るんだけどな……。突然倒れられたら冷や冷やするのはこっちなんだ。もっと自分を労わってくれ。
と、気恥ずかしくて口には出さないが視線で訴える。それが伝わったのか伝わっていないのか、睦花は俺から目を逸らして鼻歌交じりに前へと進んでいく。
一度立ち止まって睦花の後ろ姿に溜め息を一つ吐く。
再び歩き出そうと足を持ち上げたその瞬間、少し離れたところから何か金属のぶつかるような音が聞こえてきた。
工事の音だろうと気にせず睦花の隣まで小走りで追い付くと、今度は先程の金属音が複数回連続で聞こえてきた。
二度目の金属音は睦花にも聞こえたようで顔を見合わせる。
「何の音だと思う?」
「工事だと思ったが……、こんな高い音じゃねぇよな」
「とりあえず、この音の元のところまで行ったら帰ろうか。正伍のお母さんも早く帰ってきなさいって言ってたしね」
「へぇ、お前が自分からそう言うのは珍しいじゃねぇか」
「そんなことないさ。ボクが正伍優先なのは昔からだろう?」
「……よく恥ずかしげもなくそんなことが言えるな」
この話を断ち切る意味でもさっさと行くぞ、と音の元へ歩き出すと睦花も慌てて付いてきた。
音までの距離はそんなにないだろう。あっても数十メートルの範囲内。家屋に音が反射して遠く感じてるかもしれないから実際はもっと近いかもしれない。
移動の際にも響く金属音を頼りに、時間にしておよそ二分ほど歩き、ついに金属音がすぐそこというところまで来た。やはり近付けば近付くほど工事の音ではない。
俺は睦花より一足早く三叉路の角を曲がり、そこで、金属音の元凶を見た。
黒衣を纏った長身の男と、あの少女が、鎌で切り結ぶ姿を。