7*不思議な人
「おつかれさまでした」
「おつかれ、気をつけてね」
18時を少し過ぎたところで、タイムカードを切り、お店を出る。
と、勝手口のすぐ横に、カメラをいじる姫魚さんが、壁に持たれて待っていた。
「すみません!おそくなりました…。こんなところ、冷えちゃいましたよね。どこかお店にはいりましょうかっ」
改めて2人になり、緊張で声が裏返る。
姫魚さんはくすくす笑って、「そうだね、白雪さんが冷えたら大変だ」と、壁から背中をはずした。
「私はそんな」
「女性は体を冷やしちゃいけないんだよ」
そう言って、表の通りへと歩き出す。
私も慌てて、姫魚さんの隣に並んだ。
「…今日は、いい写真撮れましたか?」
「んー…、あんまりかな。昨日な素敵な写真が撮れたんだけどね。…後で見てみる?」
素敵な提案に、もちろん!!と勢いよく返事する。
姫魚さんには、今までにも、何度か写真を見せてもらっていた。
その中には、little ordinaryの風景写真や、店長をはじめとした従業員の働く姿が写されているものもあった。
私達従業員は、ただ普通に働いているだけなのに、姫魚さんが撮る写真の中では、皆生き生きとした表情をしているのだ。
姫魚さんが撮る写真は、不思議な力を持っているんだと思う。
今日の店の様子や、最近の学校の様子を話しながら大通りを少し歩く。
とりあえず、全国展開の某チェーン店に入ることにした。
「いらっしゃいませ〜、何名様ですか?」
「2人です」
「禁煙席でよろしいですか?」
「はい、喫煙席から一番遠いところで」
「かしこまりました〜、こちらどうぞ」
店員さんに案内され、店内の一番端の席に向かう。
前には姫魚さんの、細身なのにしっかりとした背中があって、妙に緊張する。
「ご注文お決まりになりましたら、お呼びください」
一礼して、店員さんは奥へと引く。
店内は、平日だからかあまり人がおらず、穏やかな空気が流れていた。
…が。私だけはガチガチに緊張していた。
「白雪さん」
「は、はははい!?」
「先に夜ご飯、食べようか」
「は、はい!」
はいしか言ってないよ私。
自分に切実なツッコミを入れるも、緊張が解けない。
「緊張してる?」
「へ?!」
「じゃあ…thatって10回言ってみて」
「ざ、ざっと?」
「うん」
にこにこしながら言われ、よく分からないが口にする。
「that that that that that that that that that that?」
「じゃあ、「これはペンです」って言ってみて」
「えと、This is a pen」
「ぶぶー!不正解だよ、白雪さん」
「ええ?!」
これはペンです、って…こうじゃなかった?!
中学1年に戻ろうかと一瞬困惑顔をすると、姫魚さんは堪えるように笑いはじめる。
「な、なんなんですか?!」
「白雪さん、「これはペンです」って言うんだよ。日本語でね?」
してやったり、な顔をして言う姫魚さん。
私はと言うと、「うわぁ!!!」と声を上げて頬を隠す。恥ずかしくて、多分顔が真っ赤だ。
「うそーー?!ひどい!!そんなの引っかかっちゃいますよ!!!」
「10回ゲームはそれが狙いだからね」
あはは!と、いつになく楽しげに笑う姫魚さん。
そしてふと、気がつく。
…緊張、ほぐしてくれたんだ。
「私みたいな単純な人間を騙しちゃいけませんよ」
「それが楽しいんだよ」
「姫魚さん実は性格黒いタイプですね?!」
男版アリスだ!!!
姫魚さんはまだニコニコとしながら、メニュー表を見ている。
…私も決めなきゃ。
「…姫魚さん、何食べますか?」
「んー、昨日は麺だったし、グラタンとか食べようかな」
「いいですね!じゃあ…私は雑炊にします」
「了解、ドリバ付けて大丈夫?」
「はい、お願いします」
注文が決まり、姫魚さんが呼び鈴を鳴らして店員さんを呼ぶ。
手際よく注文してもらい、店員さんがまた一礼して奥へと引いた。
「さて、写真見ようか」
「あ、はい!」
首から下げていたカメラは操作されてから、テーブルの端に置かれた。
それからパソコンを取り出し、また何か操作した後、ぐるんっと画面をひっくり返して、タブレット端末の形に変える。
「これが昨日の写真」
そう言って表示されたのは、夕焼けが綺麗に店内に降り注ぎ、カウンタに置かれている飲み物__おそらくトマトジュース__がキラキラと輝き、夕焼けの色で朱色の液体となっていた。
「わぁ…!!すごい綺麗です!夕焼けっていいなぁ」
「そうだね、こう、夕焼けが混ざるだけで周りが趣深くなって、写真にも深みが出るんだ」
嬉しそうに話す姫魚さん。
そんな姫魚さんを見ていると、自分まで嬉しくなってしまう。
「店内の写真はこれとこれ」
「あ、私だ…」
1枚は、私が振り返っている写真だった。
おそらく、テーブルを拭いている最中にお客さんに呼ばれたんだろう。
振り向いて直後に撮られた写真だけあって、躍動感というのがすごい。
「テーブルを拭いてる写真にしようと思ったんだけど、こっちのが綺麗だなって思ってね」
「はー…。綺麗?」
「うん、白雪さんは振り向く姿がすごく綺麗なんだよ」
「そ、そうなんですか…」
妙に恥ずかしくなる。
振り向く姿を意識したことがないから、あまり理解できないというのもある。
「こっちは厨房から出てくる店長さんの姿」
その写真に写されていたのは、お盆に2つのマグカップとシュガーのセットを乗せて、爽やかに微笑みながら厨房から出てくる店長だった。
…本当に執事みたいだなぁ。
「そういえば、店長さんは3年前、海外のお屋敷で使用人頭をしていたみたいだね」
「ええ?!そうなんですか?!」
本当に執事だったんだ!!?
あ、でも、だからああいうカフェを起業したのかもしれないなぁ。
「あぁ、ドリンク取りに行かなきゃね。白雪さん、先に行っておいで」
「あ、はい!いってきます」
姫魚さんに促され、席を立ちドリンクバーへ向かう。
歩きながら、ふと、最近よく見る<夢>を思い出す。
その夢の中で、私は幼い子どもだった。そしてもう1人、私より年上の、柔らかい雰囲気をもった男の子が出てくる。
この「男の子」は、よく笑う。けれど、その笑った表情の中に、どこか悲しげな色が写る。
そんな夢の中の男の子は、非常にとある人に似ている。
「姫魚さんの小さい頃…?」
…姫魚翠さんに、非常に似ているのだ。柔らかい雰囲気や、悲しげな影をたまに見せる笑い方、声音。
すべてが姫魚さんを連想させていた。
けれど、どうしてもその子が姫魚さんだとは思えない自分がいる。
…もしかしたら、信じたくないだけなのかもしれないけれど。
「すみません、お待たせしました」
「いいよ、じゃあ僕も行ってくるね」
私と交代で、姫魚さんもドリンクバーに向かう。
その後ろ姿を眺めながら、なんとなく思う。
…姫魚さんは、一体何者なんだろう?
今回は店長のお話を。
店長はなぜ執事をやめたのでしょう?
…実は。
実のは。
やめたわけではありません。
お屋敷の主から日本で店を出さないかともちかけられ、とりあえずやめているだけ。
だから今はもばりばりの執事ですお。
店長イケメン。