46*彼女と彼の過去の話⑤
side.姫魚翠 後日
つゆきが目を覚ましてから2週間後、僕は会社が所有するアパートへ引っ越すことになった。
もちろん、つゆきの記憶上に、一生僕が思い出されないようにするためだ。
2週間は、部屋のカーテンを1日中閉めっぱなしにして、家を出るのは確実につゆきが家にいる時間帯を狙った。
正直、精神的にも身体的にも苦しくなっていた僕を見かねた父親が、独り暮らしを提案してきた。
僕は金銭面で断ろうとしたが、これから一生この暮らしをすることを考えて、提案にのることになった。
そして、今日は引越しの日。
もちろん、朝の5時に必要最低限のものだけ持っての、静かな引越し。
「体に気をつけなさいよ、寝る時はちゃんと布団かぶること」
「母さん、僕もう社会人だよ。大丈夫」
「母親はね、いつまでも子どものことが心配なのよ〜。ねえ?お父さん」
「まぁそうだな。親なんかそんなもんだ。俺は子離れができるいい機会だとおもってるよ」
「とか言って1番言って欲しくないくせに」
「いらないことを言うんじゃないよ」
目の前で楽しそうに言い合う両親だけど、僕は知っている。
昨日の夜、父も母も、静かに泣いていた。声を押し殺して、僕との写真を抱きしめて。
その光景を見た瞬間、自分は親不孝だと思った。本当に馬鹿な息子だと、後悔しかけた。
だけど、後悔したらまた父さんたちは傷つく。だった、僕は何も知らず、ありがとうだけ言ってこの場所を去ればいい。
「そろそろ時間じゃない?」
「ほんとだ。…それじゃあ、行くね。2人とも体に気をつけて」
そう言うと、2人とも少しだけ顔を歪めた。けれど、すぐに笑顔になって、僕の手を握った。
「翠、…頑張んなさいよ、仕事。また写真、待ってるわね」
「うん、また送るね」
「…気をつけてな、翠」
「うん。…ありがとう」
2人の手をそっと降ろして、僕は駅へと歩き出す。
…もう振り向けない、戻れない。
でも、後悔はしない。
これからは仕事に没頭しよう。そうしたら、いつかは全部過去の悲しい話になって、消滅していくはずだ。
__さよなら、つゆき。




