表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

必然

人間ってどこから出てきたのかなぁ、といった、素朴な疑問を以前から持っていて、それを解決出来るほどの科学的根拠はないので、つじつまがあうようにするための仮説をあてはめてみました。

人はなぜ、生まれたのか。

望んでもいないのに。


人はなぜ、生きていくのか。

訳も分からないのに。


人は最初は、同じ場所から訪れ、

最期には、同じ場所へ逝く。


このように、少しでも、生きることに疑問を抱いた人は多いのではないでしょうか。

むろん、そんなこと、考えもしない人もいることでしょう。


しかし、そんなことをいくら考えても、真の答えは見つかりません。

我々人間は、生まれた瞬間から、生かされているからです。


今、私が、ここで文章を打っているという事実は、ここに私が「生」を授かっているからであり、紛れもなく、これは、奇跡なのでしょう。

と、同時に、残念ながら、これは、必然でもあるのです。


あなた自信の始まりは、母親から生まれた瞬間からです。

そして、終わりは、いつか、どこかで死ぬ瞬間です。


この事実は、あなたの周りの人だけが知ることになりますが、肝心なあなたは、生まれた瞬間を知らなければ、死んだ以降もわかりません。


そのように、当然ながら、人は、いや、生命は、始まりと終わりを決して知ることはないのです。

このことを踏まえて、人類全体で考えてみましょう。


自分の始まりや終わりすら知らないわけですから、もちろん、人類の始まりを知らなければ、人類の終わりも知らないわけです。

しかし、もし、仮に、人類が現れる以前から、生命体がいたと仮定するならば、その生命体に聞く手段があれば、答えは自ずと出ます。(※不毛だが、人類が滅亡する以降のことも然り。)


これを地球全体で考えてみましょう

もちろん、同じことですが、地球以外の星の生命体に確認せざるを得ません。

もし、「いたら」の話ですが・・・。


そのように、事実を確認するためには、常に、「第三者」が必要になることがわかります。

では、すべての始まり、すなわち、宇宙の始まりはどうなっているのでしょうか。


それを解明するためには、第三者がいないため、「確認不可能」ということになってしまい、この理論は成り立たないことになります。

宇宙の終わりについても、同様です。


残念ながら、原点までいくと、答えのつじつまがあわなくなってしまう様です。

そこで、つじつまを合わせるための仮説を用意することにしました。


始まりと終わりがわからないなら、それは、「無い」とするのが、最も自然。

という、仮説です。


冒頭にもお伝えした通り、「始まり」や「終わり」を知っている人は、誰一人としていません。

むしろ、残念なことに、自分の始まりすら知らない人ばかりなのです。


にも関わらず、なぜ、「始まりと終わりは無い」という仮説には、胡散臭ささえ感じてしまうのでしょう。

ご存知の通り、昔から、人は、思い込みで生きてきて、ことごとく、それを覆してきました。


100年前の人が、今の技術を見たら、どのようなコメントをするのでしょうか。

電化製品、自動車、電話など、信じられない光景が広がっていることと思います。


この中の大半は、固定概念を打ち破ったものであるにもかかからず、今となっては、当たり前のものばかりです。

このように、一度、当たり前になると、信じられないことであっても、それが常識になるのが、人類です。


自らの星である、地球でさえ、今まで、永遠に続く大地と思われていたのが、「地球は丸く、太陽の周りを回っている。」という事実を知らない人はいないほどに、常識となっています。


ただ、この事実も、果たして、本当なのでしょうか。

オカルティックな意味ではなく、宇宙から見たからといって、本当に地球は丸いのだろうか、という意味です。


確かに、我々の思い込みでは、空に向かっていけば、広い場所があり、そこを宇宙と考えてしまいます。

近代の天文学でも、遥か彼方まで銀河は広がっており、宇宙の果ては計り知れないとされています。


ただ、それも、始まりと終わりがある発想からくる考え方で、外の方が広い、という固定概念であり、偉い人たちが、公に発表すれば、それを鵜呑みにしてしまいます。

しかし、ここで、先ほどの仮説「始まりと終わりがない」を代入してみると、外も内もないことになり、もしかすると、宇宙と呼んでいるのは、地球の内側なのかもしれないことになります。


地球を頭に思い描くときは、常に、地球儀のイメージが浮かび、北極の地面をひたすら掘っていくと、南極に辿り着くのだろう、といった思い込みをしている人が大半ではないでしょうか。


理論上では、北極の地面を掘っていくと、地球の中心には核があるとされています。

しかし、その核を超えて、南極まで見える穴があったとしたら、南と北の境目はどこなのでしょうか。


いや、南や北はおろか、西も東もわかりません。

すなわち、地球内部にいたっては、方角どころか、床と天井の区別もつかないため、始まりと終わりが見つからないことがわかります。


にもかかわらず、地球の表面では、日本を出発して、海外に行く場合、永久に旅立つのではなく、いずれは、日本に戻る、ということは、既に、周知の事実です。


このように、地上では、「始まりも終わりも無い」ことが周知の事実にもかかからず、なぜ、人類は、「始まりと終わりが無い」ことを認めるのに抵抗があるのでしょうか。


それを証明するためには、またも、仮説を立てなくてはなりません。

人は、自分で行動していると思いがちですが、「すべて決められた中で生きている」と仮定します。


「始まりと終わりは無い」という仮説と、「すべて決められた中で生きている」という仮説を合わせると、大半の人は、異論を唱えます。


「私は、生まれてから、色々な経験を積んで、ここまできました。そして、失敗や成功を重ね、これからも、成長していき、それらを後世に伝え、死んでいくのです。」

などと発言されると思います。


しかしながら、そういう人にこそ、是非、次の質問へ回答して頂きたい。


「今、目の前にあるモノを手に取ってください。そして、それを自分の意志で好きなようにして下さい。」

という問いに対し、今、どの手を動かし、どのようにしましたか。

そして、その動かした手は、「誰の」指令ですか。


答えは、大半が、「自分自信が」というものではないでしょうか。

しかしながら、その「自分自身」はどこにあるのでしょう。


また、「脳」という人や、胸に手を当てて「ここ」という人もいると思います。

しかし、いずれにせよ「命令がないと動かないはずの手」であることも分かっていると思います。


なんとなく違和感を感じたでしょうか。

皆さんは、自分で行動しているようですが、所詮、「脳からの指令」なのです。


あそこの道の角を曲がらなかったら、事故にならなかったのに・・・。

もし、いつもより一本遅い電車に乗っていれば、渋滞に巻き込まれなかったのに・・・。


など、俗にいう「たられば」は、その前の事象が欠けているために起こります。

そこの角を曲がったのは、ナビに入れたからで、ナビに入れたのは遅刻しないためで、遅刻しないためには・・・と、これを巻き戻し続けると、あなたが生まれる時代まで遡り、あなたの親、先祖、人類、地球、宇宙、というように、最終的には原点にまでいってしまいます。


このように、必ず、原因があって結果がある、因果関係による世界にいており、必然に物事が進んでいることがわかります。

こう考えれば、占いや予言も成立していることが証明出来ます。
































評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ