ナスターの面接は困難を極めた
この世界の馬車ってね、幌がついてて個室みたいになる雨が降っても大丈夫なタイプと、それがないタイプがあるんだ。
愛美さんの面影があるホーリーさんとそんな個室で二人きりになったら僕は爆発するしかないので幌のないタイプを選んだ。
御者さんの肩に手が届きそうな小型のものだ。馬車代まで負担してくれているのだから、最低限で十分だと思う。別に濡れて困るような高尚な人間でもないし。
「え……学校って全寮制なんですか?」
「そうなの。ナスター君が合格したらわたくし達は嬉しいのですけれど、同時に寂しくもあるのです。でもナスター君の境遇ならば、合格した方がナスター君のためになるでしょう」
「それはー……そうかもしれませんけど……」
寮に入るのなら、僕はあの男の呪縛から逃れられるわけだ。じゃあまたあの男とそれについて話し合わなきゃいけないじゃないか。ぶん殴られるだろうなあ。うるさいだろうなあ。
まあ寮にさえ入ってしまえばこっちのものなんだから、それこそ家出同然で飛び出していっても構わないんだけど。
そして、良くしてくれた近隣の人達や修道院のみんなともお別れになるわけかあ……。ホーリーさんは寂しいって言ってくれたけど、僕だって寂しいなあ。でも今のところ僕には勉強する場が修道院しかなくて、そこの面倒も十二歳までだから、それ以降も勉強したければサンバーグの学校を逃すわけにはいかないし、立派な大人になるには面接に合格するしかないんだよなあ。
そういえば学費とかってかかるのかな。僕は貧しいからまともな学校に通えなくて修道院にお世話になっているわけだけど、サンバーグの学校も費用がかかるなら合格したとしても辞退しなくちゃならない。
その点は院長さんも熟知してるはずだから、奨学金制度とかがあるのかなあ。うーん、飛び出してきたはいいけれど、僕はこれから行く学校のことを何も知らないぞ。
片道六時間もかかる道のりで、僕はたっぷりとホーリーさんに質問する時間があった。なのだけど、ホーリーさんが難しい話をしていると僕はボーッとしてしてしまって眠くなり、なかなか話が耳に入ってこない。この頭は大丈夫なんだろうか。ひどいポンコツに思えてきたぞ。前世で学習したことまでわすれてしまっているわけじゃないけれども、ここじゃあ役に立たないし。
それでも何とか大体把握できるくらいまで話し続けて六時間。この世界で一般的な水筒として重宝されているドンゴの実で喉の渇きを潤し、持参したパンで空腹を満たしながら僕らは夕方頃サンバーグへ到着した。
ゆっくりホーリーさんとランチでもできたら良かったんだけど、僕らにはそんな余裕なかった。
「ひゃあ大きいですねー」
「ええ、まるでお城ですね」
お子様ランチじゃあるまいし旗の立っているお城みたいなここが学校なんだって。人だかりでごった返してたからすぐにわかっちゃったよ。ブレヴァリィ・フォレストというみたい。
本当にごった返してたんだ。千人以上はいる。これは同伴者も含めてだけど。祝福持ちの人って少ない気もしていたけれど、集めてみたらこんなにもいるんだね。
善は急げで来たのに、これじゃあ今日中に終わらないんじゃないかな。今日中に終わらなかったらどこかに宿でも取るのかなあ。それでなくても往復十二時間だから一泊は必然だよね。……二部屋取る余裕なんてあるのか? ないよね。ないよね僕八歳だし。じゃあ一部屋取るしかないじゃないか。すると僕はホーリーさんと共に夜を過ごすわけだ。
「今日中には終わらないでしょうから、早めに宿でも探しますか?」
僕は動揺を極力隠しながら言ったつもりなんだけど。
「それは無理ですね」
と返されてしまった。僕の邪な胸中を嗅ぎつけたのかな。と思ったんだけど理由が他のところにあった。
「すぐに終わりそうなら宿に泊まっても良かったのですが、この様子だと明日必ず終われる保証がないでしょう? 二泊はさすがに予算が足りません」
「え……じゃあどうするつもりで」
「並んで夜を明かしましょう」
徹夜で順番待ちを提案するホーリーさんは満面の笑顔で言うものだから、僕は反論の余地を見いだせなかったんだ。
いい身なりをした人達が学校を後にして歩いていく背中を恨めしく思いながら、列の隙間を詰めていく。
段々と、アーチになっている石垣の門に近付いていって、それを越えて中に入る。そして更に進んでいくと、白い彫刻から水が流れている噴水のある中庭が目の前に広がる。
辺りがすっかり暗くなる頃に、僕らは中庭をだいぶ進んで前方は百人くらいで後ろは五十人くらいかなってところで腰を下ろした。
模試の前には徹夜で勉強することも珍しくなかったけれど、今は八歳の体を持つ僕なのだから徹夜なんて到底無理だった。だけれど柔らかなホーリーさんの膝枕で僕は夜を明かすことになって、下手に宿を取るよりも幸せな気分で朝を迎えたんだ。
ホーリーさんからドンゴの実を受け取って、乾いた口内を潤す。見れば後ろは最後尾が見えないほど長蛇の列だ。前後の人達は寝る前に見た顔ぶれだった。前の列の人数もそのまま百人くらい。
「今日はすぐに終わりそうですね」
「そうですね。徹夜した甲斐がありました」
ホーリーさんは寝入ってしまった僕のために徹夜の番をしてくれたみたいで、その顔色は心なしか優れないように見えた。それなのに柔和な笑みを浮かべているものだから、シスターという職業の彼女に感心したんだ。
列が動き出して、僕は面接が再開したことを悟った。トントン拍子で列が進んでいくと、突き当たりの建物にある赤い扉の前に、真っ黒のタキシードみたいな服を着た男の人が二人で案内をしてるのが見えた。
扉に入れるのは一組ずつみたいで、一組出てくれば一組入っていく。大体みんな嬉しそうな顔をしていたけど。
まあ祝福持ちで十二歳未満の子なら誰でも大歓迎なんだから、嬉しそうな顔をして出てこないと偽物ですって言い回っているようなもんだ。実際僕は危ういところなんだけど。大丈夫かなあ。
で、いくらも経たないうちに僕らの番になった。二人いた案内役の内一人が付き添いになって面接会場の教室まで案内される。
内部は映画とかで見たような、スタイリッシュな神殿みたいでカッコよかったけれど、構造は僕の知っている日本の学校と大祭ないみたいだった。
まあ効率を考えるとそうなるよね。真っ直ぐの廊下に教室を並べるのは空間を無駄なく利用するためだし、扉がスライドドアなのは激突を避けるためだ。
面接会場の部屋には僕一人で入ることになった。不正を防ぐためなんだって。同伴者が祝福持ちで、さも子供の方が使ったように見せる場合もあると予測したみたい。
だからホーリーさんは部屋の外で待機してもらい、僕は扉を開けた。
広い部屋の中に、手前側は一つ椅子が置いてあって、奥側はペンを持った面接官がいる。案内人と同じ黒い服を着た、白髪交じりの緑の髪の毛を横分けにしたおじさんだった。面接官の前には紙束が置いてあるテーブルがある。合格者のリストでも作っているのかな。
でも入るやいなや。
「じゃあ魔法使ってみて。どうぞ」
なんて言うものだから、手前側の椅子は何のために用意してあったのかわからなくなった。投げやりすぎると思う。きっと同じことの繰り返しで飽きてしまったんだろうね。
さて困った。僕は未だに魔法のイメージが全く湧かない状態なんだ。こういう時はどうやっても使えないんだよね。取り敢えず打ち合わせ通り事情を説明してみよう。
「あのう……僕の魔法は自分ではコントロールできなくて……なんというか……凄いことになっちゃうんです」
「ん? ああ、多感な時期にはそういう子もいるよ。部屋のダメージの心配をしているんだね? それには及ばないよ。この部屋には結界を張っているからね。思う存分放ってくれて構わない。じゃあどうぞ」
そう言って相変わらず投げやりな態度で手を振って合図をする。結界がどうとかいう問題じゃないんだけど。
「あ、あの! 実は僕、今は疲れてしまって魔法が使えない状態なんです。でも本当に使えるんです」
「……はい、じゃあ帰っていいですよ」
それで打ち切られてしまった。面接官は興味もなさそうに視線を落として紙束にペンを走らせている。ナスター・シャムは不合格、とか書いているんじゃなくて、僕は名前も何も聞かれていないのだから完全に他の仕事に移っているんだ。つまり蚊帳の外に放り出されてしまったってこと。
「いえ……三日もあれば回復して、魔法が使えるようになるはずなんです。それまで待ってもらうわけにはいかないでしょうか」
僕はすがりついてみたけど、面接官のおじさんは片眉を上げてちらりと僕を見たあと、テーブルをペンでトントンと叩きながらうんざりしたような口調になった。
「あのねえ。そういう手口でくるのはこっちだって予測してるんだよ。じゃあ三日待ってみて、やっぱりもう一週間くらい必要だって言われればこっちが待つと思っているのかね? それを何回も繰り返して、今にいいトリックを思い付いてみせるぞっていう魂胆が丸見えなんだよ」
「そ、そんなつもりじゃ」
まるっきり詐欺師扱いだ。僕の話を聞いてくれるような素振りは見せない。
「じゃあ面接の一番最後まで待ちます。そしたら回復しているかもしれません。その時までに回復していなかったら諦めますから」
「一体何人でグルになっているのかね。そうやって何人もがグルグルと輪になって回り続け、延々とこの面接の抜け道を探っていないと言い切れるのかね?」
「グルだなんて人聞きが悪いですよ! どう見たらそんな風に見えるんですか!」
僕はこんなにも真正直に話しているのに! と思って僕の人間性を見せ付けるが如く、体を大の字にして胸を張ってみたんだけれども、僕のみすぼらしい格好ではますます怪しさを増していたんじゃないかなと一瞬後に思った。
「ともかく今、この場で魔法が使えなければ不合格にして良いとのお達しなんだ。どうあがいても無駄だと思っていいよ」
「……いや! 僕は実は他の魔法が一切使えなくてもいつでも使えるものが! たった一つだけあったんです!」
面接官はつまらなそうにしてそれを聞いている。この状況で使える魔法なんて、本当は――ない。今思いついたものだけど、これは賭けだ。
「僕は……未来予知の魔法が使えるんです」
「……で?」
だからどうしたのだと言わんばかりの反応を見せている。何を言っても叩き出すつもりなのだろう。でも僕には勝算があった。これなら僕を叩き出すわけにはいかないはず。
「十年後……僕が勇者になっているという未来が見えます!」
「さいなら」
叩き出されてしまった。背後でピシャンという音が無情にも響く。
「ナスター君? うまく説明できたのですか? 待ってくれるって?」
「……追い出された」
「……え?」
ホーリーさんが心配そうに話しかけてくれたのだけど、僕はその顔を直視できなかった。情けなくて。
「全然信じてくれなかったから……十年後僕が勇者になることが決まってるんだって言ったら……追い出された」
案内人の男がプスプスと息をこぼしているのが聞こえたし見えた。笑ってない?
「ま、まだ諦めちゃダメよナスター君! ギリギリまで粘りましょう! また並びましょう! 今日は宿を取ってゆっくり休みましょう? きっと明日でも間に合うし、ナスター君もきっと回復しているわ! ね?」
その可能性は潰されたんだよ……と話す気にもなれないくらい僕は悔しかった。修道院のみんなもあんなに喜んでくれていて、ホーリーさんもこんなに親身になってくれているのに、期待に答えれず何もできなかったのが、悔しかった。
僕の背中を優しく押しながら部屋を後にしようと歩き出すホーリーさんと、青を真っ赤にしてうるさいくらいの咳払いをしている案内人。そんなにみすぼらしい僕が勇者を目指すのがおかしいか。僕らを見送ったら盛大に笑いだすんだろうな。
僕はトボトボと背中を丸めて歩き出した。しばらく歩いて……やっぱり悔しかった。
「あっ! ちょっと! どうしたのです!」
背中にあったホーリーさんの手を振りほどいて僕は走り出した。走ってさっきの部屋まで戻ってくると、勢いよく扉を開けた。
「諦めません!」
「さいなら」
一瞬だけ面接官が見えてすぐに閉まってしまった。椅子から動いていないのに……自動ドアか?
「諦めたらあ……ダメなんですう……ぐぎぎぎぎ」
何度でも扉を開けてやろうと思ったのに、鍵でもかけたのか扉は全くびくともしない。でも僕は手を離すわけにはいかないんだ。
「こらこら、この扉はもう開かないようにされちゃったんだよ。君が諦めるまでは、ね」
案内人が僕の抵抗を中断させようとして肩を叩く。
「ナスター君。残念だけど仕方ないのですよ」
ホーリーさんまで諭すようなことを言ってくる。それでも僕は。
「い……いいい……嫌だあああ!」
叫び終わったところで扉が勢いよく開いたものだから、僕は勢い余って床に転がってしまった。すぐに上体を起こして部屋内を見たのだけれど、中にいた面接官が目を見開いている。
「ど、どうやって開けたのかね?」
「頑張って開けました! さあ事情を聞いてください!」
獣のように息を荒くして部屋にズカズカと入り込む。面接官はまだ目を白黒とさせている。
「冗談じゃない……錠の魔法を私は使ったんだ……暴けるはずがない……余程強い、神の祝福を持っていないと……まさか……」
「え?」
説得する気満々だったのに、なんだか話が違う方向にいっているような。
「君も見たのかね?」
「はい。扉を開けたのはこの少年です」
首を回してみると、案内人も衝撃を受けたような表情をしていた。そんなに凄いことだったのかな。
「これは認めざるを得ないな。疑って悪かった。小さな体に強き祝福を持った少年よ。こちらに来なさい。まずは名前と年齢を聞かなければな」
空気が一気に晴れた気がした。今僕が扉を開けたその行動こそが、祝福持ちの人間だと証明する結果になったんだ。
口元が自然に緩み出して、笑顔を作る。ホーリーさんの方を見ると、同じ表情になっていた。
「やった!」
僕は思わずその場に飛び跳ねてしまった。それくらい嬉しかったんだ。自らの運命の扉をこじ開けたことが。