ナスターは不安を胸に面接に向かう
祝福持ちは少ないって聞いてたけど、このサイプレスという僕が住んでいる町の入口を見張っている兵士さんだって手から炎を出して悪人を追い払っているのを見たことがあるし、そこまで珍しいものとは思ってなかった。ここの修道院の大人の中には祝福持ちの人もいるし。
割合的には……そうだなあ。左利きの人よりちょっと少ないくらいの割合かなあ。三十人から四十人に一人って感じ。
「じゃあ早速おうちに帰って準備しなきゃいけませんね」
ホーリーさんがそう言って僕に帰宅を促す。もうすぐに発っちゃうわけ? 善は急げとでも言いたいのかな。
「善は急げ、ですよ!」
言った。
「待ってよ! その前にさ……!」
そばにいた子供が慌てて僕を行かせまいとして服を掴む。
「ナスターの魔法見てみたい!」
「あたしも気になってた! 見たい見たい!」
「俺も俺も!」
期待と憧れの眼差しに囲まれる。僕は本当に魔法が使えるんだけれども、未熟だからかコントロールがうまくできないし、凄く疲れるからあんまり見せたくないんだよなあ。
でも一回ここで証明しておかないと嘘つき呼ばわりされるかもしれない。
「私もナスター君の魔法がいかなるものか、興味はありますね」
僕はあの酔っ払い男に育てられたおかげで人の顔色を窺うスキルが無駄に発達しているんだ。だからわかる。院長さんの瞳に僅かながら疑惑の光が灯っている。
年頃の小さな子供だったら目立ちたくて嘘をつくこともあるけれども、僕はそんなんじゃないんだけどなあ。やっぱり証明しといた方がいいか。
「じゃあここじゃ危ないから外でやろうか」
興味津々の子供達と外に出て、庭にある池のほとりまでやってきた。鯉とか何匹も飼えそうな大きな池だ。いないけど。
全員の注目を浴びてしんと静まり返る中、僕は魔法を使うために精神を集中させる。
一瞬で放つことは僕にはまだ不可能だ。鍛錬すれば可能になるのだろうけど、そんな必要も感じなかったからなあ。
「てえい!」
僕は池に向かって両手を勢いよく突き出した。すると池の水は震えだして、細かく鋭く小さな波がいくつも立つ。
そのまま両手をゆっくりと頭上に持っていくと、池の中の全ての水がごっそり持ち上げられる。「うおおおお」と周囲の歓声が聞こえ、池の底からは蛙が現れて驚いた様子で逃げ出していった。
次に両手をそのままゆっくりと広げていく。すると宙に浮いた水の塊が二分割される。……ああ、しんどい。疲れてきた。
「たあっ!」
伸びきった両手を、今度は素早く胸の前で交差させる。すると二つの水の塊が長く伸びながら宙で激突して、大量の水飛沫と轟音を生む。
破裂した水はそのまま地に落ちて、池の周辺は局地的大雨状態だ。水嵩が結構減ってしまった。
今は水と水を激突させたけれども、これを人に当てたら痛いだろうな。したこともしようと思ったこともないけれど。
僕は両膝に両手を置いて、息を荒げている。凄く疲れた。たったこれだけで僕は三日分くらいの体力を使い果たしてしまったように思えた。
周りの子供や大人が駆けてきて口々に凄いとかカッコいいとか言ってくれているけれど、そんなの関係ないくらいに疲れてしまった僕は、押し寄せた勢いに完敗してその場にへたりこんだ。
今はたまたま近くに池があったからそれを使った魔法にしたけれど、僕は他にも風や火や土の魔法も使える。そのどれもが全くコントロールができなくて、いつも全力魔法になってしまうんだ。
どうして使えるようになったのかはわからない。いつの間にか頭の中にイメージが勝手に出来上がってて、試してみたらできただけ。
指先に火を灯して「ハイ魔法です」なんて言えたら簡単なんだけど、僕がそれをしようと思ったら巨大な火柱が辺り一面を焼き尽くしてしまうんだ。昔一回だけ試したけどメラメラと燃える炎が怖くなったからそれからやってない。
「これは素晴らしい。紛うこと無き神の祝福だ。これなら面接に通ること間違いなしでしょう」
「ええ院長。これからすぐにでもサンバーグに赴いて、同じことをすればきっと面接官も腰を抜かしますわ」
「えっ……魔法見せなきゃダメなんですか……?」
「そうだよ。魔法が本当に使えるかどうかの面接だからね」
「早く……言ってください……」
僕はパタンと倒れ込んでしまった。今日これから遠いところに行ってもう一回やれだって?
それは無理だ。なぜならコントロールができない僕の魔法は、一回使ったら回復するまで凄く時間がかかる。そう、三日くらいは……。
「院長さん、いつまで面接可能なのでしょうか」
「始まるのは今日からだが、終了は特に決まっていないのだよ。もう希望者がいないなと思われたらそこで打ち切りになるのだ」
「それは困りましたね……」
面接希望者がどの程度いるのかわからないけれど、ここで僕の回復を待っていたら誰もいなくなってしまって、面接が受けれなくなってしまうかもしれないってこと。
もっと早く言って欲しかった。むしろ何日も前に予告していて欲しかったのだけれど、院長さんだって今回の募集を昨日の夜遅くに聞きつけたばかりなんだって。
面接開始前日の夜に聞いて院長さんなりに焦っていたのかな。国からのお触れ書きが張り出されたらしいんだけど、それを我先にと囲むのはいつだって裕福な人達ばかりだからね。
僕はそんなお触れ書きなんてどこに張り出されていたのかも知らないし、ここの子供達もそうだろうし、親代わりである修道院の人達も基本的には無欲な人ばかりだから、伝達が遅れたんだろうね。
「取り敢えずは面接へ向かうことにした方がいいでしょう。面接官に事情を話せば、ナスター君が回復するまで待ってくれるかもしれませんし」
「シスター・ホーリー。あなたの言う通りです。ナスター君。親御さんに話をつけてきたまえ」
つまり許可がいるってことかな? 許可……? あの男に……? うわー。面接に行くよりもずっとハードだなあ。まともに会話できるのかが問題だよ。「おめえが出かけてる間誰が酒買ってくるんだ!」とか言って怒鳴られそうだ……。でも許可は必ず必要だよなあ。
まだ朝だけれど、さっさと許可をとってこないと六時間もかかるのだから、今日中に出発できなくなるかもしれないぞ。
もしも許可が取れたとしたらすぐに発たないと、あの男は気分屋だからすぐにコロッと意見を変えるかもしれない。
凄く嫌だけど行くしかないよな、自分の家に。五、六発くらい殴られる覚悟はしていこう。
「おめえが出かけてる間誰が酒買ってくるんだよ!」
ほら言った。見事に言ったよこの人。言ってしかも殴った。八歳にして遠方へ赴く自分の息子の心配なんてしやしないんだ。
「でもサンバーグの学校に入学できたら勇者になれるかもしれないんだよ」
「勇者だとお!? おめえみてえなヒヨッコが十年早いってんだよ! 無駄なことしに行く暇があったら酒の一本でも買ってこいやあ!」
そしてまた殴られた。今ので四発目かな。痛いんだけど。
十年早いとか言ってるけど、僕が十八歳だったら入学条件を満たしていないことになるんだけど。そんな反論してたらまた殴られるよね。でも許可は取らなきゃ。
家出同然で飛び出して行ってもいいのだけれど、まだ合格するかも決まっていないから、決断には早いと思う。そういえば馬車で六時間もかかるところに合格したら、僕はここから通学することになるのかな。それは無理があるから引越しになるのかな。えー嫌だなー。引越しに同意してくれるとは思えないんだけど。
「聞いてんのかあ! このガキが!」
またしても振りかぶってきたのだけれど、今度は頭を庇うことも逃げることもせずに、歯を食いしばって睨みつけてやった。振りかぶった手をパシッと止めれたらカッコいいと思うけれど、僕の身長では無理だ。
「ッ……! な、なんだってんだ……!」
僕の行動が意外だったのか、この男は一瞬ビクッと体を震わせると腕を下ろした。そしてくるりと振り返って僕に背を向けて二歩ほど歩き、左手を支えにして床に寝転んだ。
「バカヤロウが。好きにしろ!」
そっぽを向いたまま言うものだから、どんな表情をしているのかはわからない。でもこれで許可が取れた。僕は口の中の血の味を噛み締めながら深く息を吐いた。
「ありがとう」
そう言って僕は家を出ようとした。振り返る間際まであの男はこっちを見ずに寝転んでいるだけだった。
「……気をつけてな」
そんな言葉が飛び出てくるなんて思わなかったものだから、僕は慌てて首を回したのだけれど、そこにはやっぱり背中を向けたまま横たわる姿しかなかった。
「シスター・ホーリー! 院長さん! 許可が取れました!」
僕は家を出たその足で修道院までとんぼ返りして、笑顔で報告をする。すると二人は嬉しそうにしながらも首をかしげた。
「……はい。それで親御さんは何処に?」
「え? 家にいますけど」
「では質問を変えましょう。いつ頃こちらに参られるのですか?」
「いやあ……来ないと思いますけど」
「……ナスター君。君は一人で馬車に乗ってサンバーグまで行くつもりだったのですか?」
「えっ?」
話をつけるってのは同伴願いにいってらっしゃいってことだったわけ。そりゃあ子供が一人でそんな遠くに行けるはずがないさ。でも僕から言わせてもらえばあの男と一緒に遠くに旅立ったら、そっちの方が危険だと思う。
「僕は一人でも行きますよ。許可は得れたのだから行くことに問題はありません」
「そういうわけにもいかないでしょう……仕方ありませんね。院長、わたくしが同伴致します」
「ううむ……実の親の方がいいのでしょうが、ナスター君の家は複雑ですからねえ……はいわかりました。シスター・ホーリー。よろしく頼みましたよ」
「お任せ下さい。神のご加護があらんことを」
「ええ。神のご加護があらんことを」
僕は特に持っていくものがないから、ホーリーさんの着替えを待つことになった。修道服のままってわけにもいかないんだって。
僕は外の庭で待っていたんだけど、しばらくして出てきたホーリーさんの姿をみて固まってしまった。時間が止まったみたいだった。
出てきたホーリーさんはタートルネックの薄い服を着て下はスリムなパンツ姿だった。それで修道服ではわからなかったホーリーさんのスタイルがあらわになったのだけれど、抜群のプロポーションだったんだ。
それよりも髪。腰のあたりまである長い黒髪がそれはそれは艶やかで、僕の古い記憶を呼び覚ましたんだ。
「い……」
「ん? どうしたのですかナスター君」
僕が固まったままなので、後ろに誰かいるのかなとでも思ったんだろうか。ホーリーさんがくるりと振り返った。その後ろ姿は、僕は焦がれた人……真里谷愛美のそれと完全に一致していた。
「イッツミー!」
僕の理性は吹っ飛んで、そのままホーリーさんに突進して抱きついてしまった。抱きつかれたホーリーさんは何が起こったかわからずにオタオタしているみたいだった。
「僕もうダメですもうね、アレ。ダメ。だってホンリーさんったらイッツミーみたいなんだもん。これダメね。うん、反則。ああもう僕はここで死んでもいい。死んでも構わない。イッツミーマーリヤ! ヒャッフーウ!」
ホーリーさんの腰のあたりにしがみついた僕はもう何を言っているのか自分でもわからなかった。この事態を後で説明しろと言われても、僕自信が何を言っているのかわからないのだから無理だ。無理無理。
ああ八歳で良かった。子供だから許されるよね。ホーリーさんが愛美さんの生まれ変わりじゃないかと思ったこともあるけれど、ホーリーさんは僕よりもよっぽど年上だから多分違うと思う。ペリドットのネックレスも見たことないし。
「ちょっと……どうし……あ、ナスター君初めて町の外に行くから怖くなっちゃったのですね? それとも寂しいのかしら?」
「じゃあそれで」
「じゃあ!?」
こうして“炎の国”フレイグラントは首都オーリブよりサイプレスという小さな町を、僕はシスター・ホーリーと共に発ったんだ。馬車の費用まで負担してもらって。