朝比奈大輝の転生
「酒や、酒こうてこい!」
「父さんそんなに飲み過ぎたら体に良くないよ」
「うるせえ!」
濃い紫の髪を角刈りにしたごついおっさんが高々と上げた手を激しく振りおろす。
バシーンと高い音を出して僕は平手打ちをくらい、床に倒れこむ。親だから割と本気で心配して言っているのに、その返事がこれだよ。
ジンジンと痛む頬を押さえながら父親を見ると、僕をぶったのが何でもないような顔をしている。そんなことよりも目の前にある酒の方が余程大切なんだろうね。
「……あ? 何ジロジロ見てやがんだガキのくせによ。酒買ってこいっつってんだろ! まだぶたれ足りねえか!」
そう言ってまた振りかぶるものだから、僕は逃げるようにして自宅である荒ら屋を出た。
僕はあの時誓ったさ。ああ確かに誓ったとも。けれどこの境遇でどうやって偉い人になって親に喜んでもらうことができるのさ。僕が偉い人になったところであの男は決して喜ばない。そんなものよりも酒の詰まった樽の一つでもくれてやった方が遥かに喜ぶ。
多額の金銭を稼ぐようになったら喜びはするんだろうけど、それの対象は息子にではなく金貨にだと思う。
あの男に対して親孝行しようと思ったら、ひたすら酒を貢ぐということになって、お金が足りなくなったら窃盗を犯してでも貢げばあの男は満足するだろうし、本当に体が壊れてもアルコールの依存から抜け出せるとは思えないから、自らの父親を廃人に追い込むことになるよね。もう遅いかもしれないけれど。
それは物凄く非道徳的な行動だと思う。全然笑えない。
僕は女神様の言う通り異世界に転生した。ナスター・シャムというのが今の名前。ナスターが名でシャムが姓。貴族や王族になるともっと長い名前になるらしいけれど、今の僕には関係ないや。
今年で八歳になったから、前世で死んだ時の七歳下だね。顔立ちは……まあ端正な方だと思うけど、育ちは察しのとおり悪すぎるし、例によって貧乏臭い格好をしているからあんまり意味がないね。
生まれついての真っ赤な髪をしているけれど、僕の感覚だと不良になったみたいで嫌な感じはする。手入れなんてできるはずもないから割とボサボサなのが余計に。伸びっぱなしだから、後ろで一つにくくっているのが僕の髪型なんだ。趣味じゃないんだけどね。
転生した世界は……なんだか幻想的な西洋ファンタジーの世界だなあ。友達が熱心にやってた流行りのゲーム画面みたい。僕はゲームの類は一切やらなかったから見てただけなんだけど。
そしてゲームみたいに剣を振り回したり魔法を使うのが一般的な光景なんだ。これにはびっくりした。
魔法は選ばれた人しか使えないみたいで、使える人は結構少ないみたいだし、悪用されることは少ないみたい。おっかないけれど、その魔法を駆使して国の騎士団とかが遠方のモンスターなんかを退治してくれているみたいだから感謝しとかないと。
そう、モンスターなんかが出没するんだこの世界は。ほんとにゲームの中みたい。遠くの方にしか出没しなくて、そこで騎士団が食い止めてくれているらしいから僕は見たことがないけれど。
そんな世界に生まれ落ちた僕は、生まれた瞬間から前世の記憶があって、今世も親孝行をしようと思っていたのに、乳離れした一歳くらいの時に捨てられてしまったんだ。そしてそれを拾ったのが呑んだくれのさっきの男。つまり血は繋がっていないわけだ。この時点で完全にアル中でした。
その時の会話は今でも覚えている。
「ちょっと作りすぎてしまったの。良かったら貰ってくれないかしら」
「うちは間に合っているから……」
「ウイーヒック。じゃああっしが貰っておきましょうかねえ。ウイー」
なんだこの会話。作りすぎた夕飯のおかずじゃあるまいし。
この時点で僕は人が何を話しているかは頑張って学習していたからわかったものの、いかんせん発声がままならない。
「ちょ、ちょっとまって! いい子にするから! すんげー親孝行とかしちゃうから!」
と叫びたくてもホギャアホギャアとしか言えず、フラフラと通りかかった酔っ払いに引き取られてしまったんだ。
この男、ひょっとしなくても僕を使いっぱしりにするために引き取ったんだ。適当に育てて取り敢えず成長すれば今のように酒を買ってこさせることができるし、炊事洗濯掃除は既に僕の仕事になっているし、あと四年もすれば働きに出されると思う。この世界では十二歳になったら稼ぎに出れるみたいだからね。それより前は国が禁止してる。
でも十二歳で働く子供はごく僅かで、ほとんどは進学する。訳あり家庭だから働きに出るんだろう。そして僕もそれに混ざるわけで、その給金は酒代になるわけだ。
今はその男のお金で生活しているけれど、適当に働いたり働かなかったりするものだから生活はいつもギリギリ。着ているものは一応洗濯しているホームレスみたいなもんだし、住処だってその辺の木材を取って付けたような荒ら屋だ。
僕を捨てた人が結構いいとこの人だったみたいで、引き取らせる時に大きな金貨袋を渡しているのを見た。口止め料とかも含んでいるのかな。あの男もそっちが目的だったのかも。
つまりお金持ちが無計画に子作りして、いらなくなったからバイバイしたくて売買したんだ。そのお金があったはずなのに、贅沢をした記憶がないのはどういうわけ?
荒ら屋に不釣り合いな金貨袋は確かに置いてあったんだ。でも数日も経たないうちに忽然と消えてしまった。博打でも打ったのかなあ。これって僕のお金じゃないの?
生まれた時は貴族っぽかったんだ。でもあっという間に捨てられたんだ。子供は他に十人くらいいたっぽいから。計画的に子作りしてくれよ!
なんでこうなるの? 親孝行? なにそれおいしいの?
時刻は早朝。眩しい朝日が涙を照らす。異世界に転生した僕の一日はいつもこうやって始まるんだ。ちなみに一日の終わりは巨大な酒瓶に押しつぶされる悪夢をみてうなされること。
ああ恨めしい。これも全部あいつのせいだ。あの運転手。恨みを持つなとか無理。これじゃ無理だよ。
「おはようナスター君。いつも大変だね」
「いえ、お気遣い感謝します」
八歳にして顔馴染みとなった酒屋の店主のおじさんからいつもの酒を買う。酒は一升瓶の日本酒にしか見えないもので、匂いも多分完全に日本酒。小さな樽に入ったウイスキーっぽいのも扱っているけどあいつはこっちを好む。でかいし重いんだけど。
これ一本じゃ一日持たないんだけれど、僕の身体能力では一回に一本が限界だ。切れる頃にまた買いに行かされる。
そしてラベルが貼ってある。この世界の文字なのだから日本語ではなくて、この世界の文字で「おいしいお酒」的な意味合いの文字が書いてあるんだけども、僕から見たら日本語の平仮名で「ざまあ」とも書いてあるように見えてしまう。
僕は毎朝あの男にぶん殴られながら一本の「ざまあ」を頂きに足繁く酒屋に通っているんだ。ふざけているのか?
「おやナスター君おはよう。例によって朝ごはんまだなんだろ? これ持っておいき」
「ああいつもすみません。ありがたく頂きます」
奥から出てきた店主の奥さんに手のひらサイズのパンを貰う。
この辺であの男はちょっとした有名人だ。良くない意味での。だからそんなあの男にこき使われている僕を可哀想に思ってか、ここにいる店主も道行く近所の人も、何かしら気遣うような言葉をかけてくれるし、今みたいにちょっとした手助けをしようとしてくれる。
一般家庭に育ったっぽい近所の子供達には後ろ指差されてるけれど。ああ恨めしい。
以前「一人分くらい増えても変わらないから」とご好意頂いて、一つのパンではなくちゃんとした朝食をご馳走になったことがあったんだけど、あの男にボコボコにされたから遠慮するようになった。酒の到着が遅れたからだ。ご馳走になることに異存はないよ。食費が浮くから。
青アザだらけの僕の顔面を見て酒屋の夫婦も言葉を失ったようで、それ以降は帰りの道で歩きながら食べれるパンをくれるようになった。
これがなければ荒ら屋には朝食になるようなものは用意されていないから、物凄く少ない食材から自分でやりくりする羽目になる。あの男はいつも朝には何も食べないから、僕も巻き添えを食っているわけ。酒の飲みすぎだと思う。
「あらナスター君おはようございます。今日も神のご加護があらんことを」
「おはようございますシスター。後ほど向かいますので」
パンをかじりながら歩いていると、道中で近くの修道院にいるシスターとすれ違った。真っ白な修道服というのを着ていて、髪は頭を覆っている布のおかげで見えないけれど、顔立ちはシスターという名称に相応しい美人のお姉さんで、名前だってホーリーっていういかにもな名前だ。
僕はあの男に酒を届けたら今日も修道院に向かう予定だけれど、別に信仰熱心なわじゃない。別の目的があるんだ。
神様の存在は信じているって言うか実際目の当たりにしたのだから事実だとは思っているけれど、加護なんてものは全く信じられない。あるのなら少しくらいくれても良かっただろうに。
記憶を引き継いでいることが加護なのかもしれないけれど、その為僕は魂に刻んだ決意がものの見事に空回って、かえって虚しくなっている有様なんだ。全然ありがたくない。愛美さんどこだよ。それどころじゃないよ。毎日を暮らすのがハードすぎるよ!
シスターとはどうせこの後すぐにまた会うわけだし挨拶もそこそこにして別れて、僕は荒ら屋に酒瓶を投げ込むと踵を返して修道院へ向かう。
修道院は、基本的にはこの世界の神様を信仰する団体の持ち物なんだけれど、孤児院と同等の役割も担っている。孤児となった小さな子供を引き取って教育と生活の世話をしているんだ。独り立ちできるようになる十二歳まで育てているみたい。
そして僕はここで読み書き等の勉強をさせてもらっている。
同じ年頃の子供は学校みたいな所に通ったりするのが一般的なんだけれど、うちの家庭は一般家庭とは程遠いからね。孤児に向ける哀れみが僕にもあるわけ。
言葉は難なくマスターしたけれど、文字は難しかった。前世の記憶が妨害しているのかな。
英語を覚えるにはアメリカに住んじゃうのが良いってよく言うけれど、それは本当だなって思った。
前世の朝比奈大輝は成績優秀だったはずなのに、ナスター・シャムは八歳になっても読み書きが苦手なんだ。ひょっとしてこの脳みそは出来が悪いんじゃないだろうか。
いつもなら修道院に入ったら年下とか同年代の子供達と挨拶しながら和気あいあいとした雰囲気になるんだけど、今日は違った。
まず入ったらどこかの塾みたいに長いテーブルが祭壇に向かってズラリと並んでいるんだけれど、いつもだったら着席してないでうろうろしながら遊んでるんだ。で、この修道院の院長さんが来たら慌てて着席するわけ。
でも今は、いつもだったら絶対に居ない時間なのに院長さんが既に居て、慎重な面持ちをしている。子供達の方も空気をピンと張り付かせて綺麗に着席しているんだ。
来るのが遅くなったかな? と思ったけれど、今さっきホーリーさんとすれ違ったばっかりだし寄り道なんてしていないから、いつも通りのはず。
僕は一回だけ経験があるんだけど、中学生時代に遅刻してしまって、授業中の教室にガラリと音を立てて入った時みたいだった。
「ナスター君も来たか。そこに座りたまえ」
院長さんが妙に改まって僕に着席を促す。いつもだったらこんなこと言わずに、自然に座るのを待っているんだけどな。
大人しくそれに従って、僕は一番近くにあった空席に座った。何があったのかと思ったけれど、みんなじっと前を見ているだけだし目も合わせてくれないから、何の推測もできない。
院長さんは、どんぐり帽子みたいなのをかぶった賢そうなお爺さんで、毎日ホーリーさんと二人で僕らに勉強を教えてくれているんだ。もっとも院長さんは忙しいみたいで、朝の挨拶が終わったらよく席を外すけど。
だから今、室内にいる大人はこの二人だけ。修道院内にはもっと多くの大人がいるらしいんだけど、奉仕活動とか色々あるみたいで、僕は見たことがない。
「さて……これで全員かね?」
「はい」
祭壇の前に立っている院長さんが、少し離れたところにいるホーリーさんに確認を取った。なんだろう。全員居ないとダメなのかな。
「では、神の祝福があるものは起立しなさい」
おもむろにそんなことを言う院長さん。「神の祝福」というのは、さっき選ばれた人にしか魔法が使えないって言ったけど、選ばれた人は「神の祝福」を受けた人なんだって。魔法が使えるのか使えないのかは、生まれつき「神の祝福」があるかないかということみたい。「祝福持ち」ともよく言うね。
だから魔法が使える人は生まれつき使えるけど、使えなかったら一生使えないってことになる。
しんと静まり返った中、たった一つだけ椅子が動く音が響いた……あれ?
「ナスター君だけかね」
「そのようです院長」
あれれ? 僕だけなの? 確かにここにいる二十人くらいの子供達が魔法を使っているのを見たことはないけれど、やすやすと見せるものじゃないからなのかと思ってた。僕がそうだし。使わないんじゃなくて使えなかったんだね。
「ではナスター君。こちらへ」
「は、はい」
院長さんに手招きされて僕は変な視線を感じる中、中央の道を歩く。院長さんの目の前まで着くと院長さんは続きを口にする。
「ナスター君。サンバーグという地を知っているかね?」
「え……と、魔法都市として有名なところですよね。ここからだったら馬車で六時間くらいかかるとか」
「ならば馬車で六時間揺られなさい」
「は?」
サンバーグはここからかなり離れていて、魔法が発展した大都会だ。そんな都会に何の用があるのだろう。何のことだかわからないぞ。
「勇者を育成する為の学校が設立されたそうだ。神の祝福がある十二歳未満の子供は入学する権利がある。今日が面接らしい。行ってきなさい」
「ゆーしゃあ?」
勇者というのは大昔にこの世界を魔王の手から救った、伝説の存在だ。それを育成するとか何とか……うーん。ますますよくわからないぞ。
「ナスター君ならきっと勇者になれる。私達は応援しているよ」
険しかった院長さんの表情が一気に緩んでニコリと優しく笑った。そしてどこからか拍手の音が聞こえ、それは拡散していった。
「すごいじゃないナスター君! ナスター君が勇者になるなら納得だわ!」
ホーリーさんも顔を綻ばせて盛大な拍手を送ってくれている。それをきっかけに周囲がワッと沸く。
「なんだよ祝福持ちだったのにどうして見せてくれなかったのさ!」
「お兄ちゃん頑張って勇者になってね!」
子供達が駆け寄ってきて、それぞれの賛辞を送ってくれる。僕はまだ事態をよく飲み込めていないんだけれども、結構凄いことになってきたというのはわかった。
伝説が現実となってその対象が僕になるということを、誰も否定しない。ここの子供はみんないい子ばかりだ。
どうして僕が勇者になるなら納得できるのか自分ではよくわからなかったけれど、悪い気はしないしとても有り難いことだと思った。
ホーリーさんも院長さんも、みんないい人だ。僕はあの男以外は本当に気の優しいいい人に囲まれている。
それは修道院内だけでなく、近隣の人にまで及んでいるんだ。
近所の人達がみんないい人ばかりだから、僕は何とかやっていけているのかもしれない。これで近所も悪人ばかりだったならば、僕は次なる転生にトライしていたかも。
勇者……勇者、ね。定義がよくわからないんだけれども、伝説とまで言われている立派な存在だ。僕の夢には立派な大人になりたいというのがあった。それで育ての親であるあの男や、僕を捨てた本当の親が喜ぶのかは定かでないけれど、ここにいる修道院のみんなは確実に喜んでくれるだろう。
それだけで、僕はサンバーグに行く価値があると思う。
……よし、勇者になろう。僕にとっては修道院の大人達が親みたいなものだ。勇者になって親孝行してみせようじゃないか。