朝比奈大輝の場合
僕は勉強もしたい。スポーツも頑張りたい。でもバイトも積極的にしたい。
だから僕の生活はかなりハードだ。でもひと晩寝ればすっかり元気になってしまう僕だから、全然つらいと思わない。僕の夢の実現のためには欠かせないことだから。
僕には夢が二つある。
一つは、僕が幼い頃に他所に女を作って家族を捨てた父親を見返してやるため、また、そんな環境の中でも愛情を込めて育ててくれた母さんに報いるために、立派な大人になること。
もう一つは、忙しい母さんに代わって僕の面倒をよく見てくれていた、近所に住むお姉ちゃん代わりの「あの人」を幸せにすることだ。
そのために僕は弛まぬ努力を続けてきた。勉強も頑張って県内屈指の偏差値を誇る高校に合格したし、スポーツだって万能と言われている。立派に成長して偉人となれば母さんも安心するし、父親も見返せる。そしてあの人に相応しい人間となれる。
「愛美さん……また変えたの?」
「うん。やっぱり火よね」
突然の呼び出しに応じてくれたのは、近所に住んでいる真里谷愛美さん。長い黒髪が綺麗でスタイルも抜群で大きな瞳にくっきりした二重瞼。芸能人でもおかしくない容姿なのだけれど、聖火ランナーみたいに燃え盛る松明片手にやってきたんだ。何かと思った。
警察に捕まる前になんとか説得して消火してもらうことにした。引火しても大変だしね。
この前会った時は風の神様がどうのこうの言って、頭に羽飾りをわんさかつけていたし、その前は水の神様がどうのこうので全身にペットボトルのミネラルウォーターをくくりつけていた。何か間違っていると思った。多分そのうち土の神様がどうこう言って泥まみれになってくると思う。それが今日じゃなくてよかった。
その他にもうどんの神様とかカーテンの神様とかストップウォッチの神様とか、色々な神様を信仰しては変更しているんだ。ストップウォッチの神様ってなんなのさ。
愛美さんは人間的には一分の隙もない完璧超人なのだけれど、大変な宗教マニアなんだ。女の人って占いが好きだったり神様に頼ることが多かったりするみたいだけれど、愛美さんはそれをこじらせてしまったみたい。
神様を崇拝するのが悪いとは思わないけれど、金目当ての胡散臭い宗教に引っかからないかだけが心配だ。まだ大丈夫……だよね?
「それで、お話ってなあに?」
「ん……えっとね……」
僕はズボンのポケットにあったそれを強く握り締めて、愛美さんの前に差し出した。小さな正方形の箱にリボンが付いたものだ。
「これを渡したくて」
「えっ……安全ピンの神への貢ぎ物かしら」
「違います……愛美さんへのプレゼントですよ」
「あたしの?」
愛美さんはそれを受け取ると、うやうやしく箱を開けて中身を取り出した。するすると伸びていく銀の鎖。愛美さんの誕生石であるペリドットをあしらったネックレスだ。そんなに高いのは買えなかったから、凄く小さな石だけれど。
もちろん僕の都合で母さんの負担になるようなことはしない。これは僕の初給料で買ったものだ。
人生初のバイトの給料が、つい最近手に入ったんだ。初めて自分の力で給金を得たことによって、僕は社会人として一歩進んだような気になった。
僕は十五歳だから職種も限られている。そんな中選んだのはコンビニのレジ打ちだった。初めてのバイトで緊張もしたけれど、覚えが早いって店長も褒めてくれて嬉しかった。
バイト先の締め日の関係で丸一ヶ月分でもないけれど、極力シフトに入れるようにしたから結構あった。
うちは貧乏だからバイト代はなるべく家に納めたかったのだけれど、母さんも「何か自分の好きなものを買いなさい」と言ってくれたからそれに甘えることにした。
「綺麗……あたしがもらっちゃっていいの?」
「もちろん。そのために買ったんですから」
「……ありがと」
愛美さんはその場で身につけてくれた。ほんの小さなペリドットが胸元で輝く。嬉しそうに頬を染める彼女を見て、一人の大人として、男として僕は決心した。
「真里谷愛美さん。僕はあなたを愛しています。僕と付き合ってください」
「どうしたの? 急に改まっちゃって。昨日そんなドラマでもやってたかしら」
朝比奈大輝十五歳。僕の一世一代の大告白……のつもりだったんだ。
でも愛美さんはクスリと笑って、真に受けていないようだった。ドラマの真似事と思ったみたい。
僕らは十も年の差があるから、愛美さんからすれば僕は弟のような扱いだろうし、僕もお姉ちゃんみたいな存在だと思っていた。これが恋だと気付くまでは。
「違います! 僕は真剣なんです!」
「大輝君がもう少し早く生まれてくれていたら良かったんだけど……」
それを言われたらどうしようもない。僕がちゃんとした大人になるまで待っていたら、愛美さんは結婚適齢期を過ぎてしまう。そう思って、時期尚早とは感じつつも意を決したというのに。そこに愛があればいいじゃないか。愛美さんは綺麗な人だから、うかうかしていると他の誰かに取られてしまう、という危機感もあった。
「年の差なんて関係ないでしょう!」
「いや、私もうすぐ結婚するの。ごめんね」
既に遅かったみたい。
「ねえ……ごめんってば。大輝君の気持ちはずっごく嬉しいんだよ? でもね、タイミングって言うか……」
「いえ、もういいんです。幸せになってください」
僕の初給料のプレゼントは愛の告白を飾ることなく、弟的存在からの結婚祝いになってしまった。その場にいてもたってもいられなくて、僕はくるりと背を向けて歩き出した。そしたら愛美さんも後ろをついてきた。
「いや本当だよ。大輝君があと五年でも早く生まれていれば、あたしヤバかったと思うし」
「どうしようもないじゃないですか。それを言われたら僕がヤバいですよ」
「なんで大輝君がヤバいのよ」
「どうしようもないからです」
取り繕うように僕に話しかけてくる愛美さんに顔を向けられない。今、顔を見たら涙がポロリと溢れ出てきそうだったから。ほんとに泣きそう。
そのまま歩き続け、赤信号で止まっている間も愛美さんは話しかけてきて、青信号に変わったから歩き出した後も話しかけてきた。
もう少し歩けば家について、僕は枕に顔をうずめてどうにもならない悔しさを、泣いて誤魔化す夜を過ごすはずだったんだ。あの時の時間が一分でもズレていれば、あんなことにはならなかった。
僕らは青信号を渡っていただけなんだ。まさかそこにトラックが突っ込んでくるなんて夢にも思わないよね。でも突っ込んできたんだ。こっちに向かって走っているのは遠目で分かった。でも絶対横断歩道で止まると思うよ誰だって。だけど止まらなかった。横断歩道まで結構な距離があったにも関わらず、そのまま突っ込んできたんだ。
ああいう時って体が硬直しちゃうんだね。素早く走り抜ければ良かったのかもしれないけれど、足が固まってしまったんだ。
それでも僕は、愛美さんだけは助けたいと思った。だから視線を泳がせて愛美さんを見た。そしたら何故か奇妙な舞いを始めている。
「何してるんだよ愛美さん!」
「カルボナーラの神の力で乗り切るのよ!」
「ああもうダメだ!」
何を言っているのかもわからない愛美さんは混乱しつつも観念しているようだった。だから僕はトラックの前に仁王立ちするしかなかった。……あの運転手、どこかで見たような……。
「愛の力で止めてやる!」
2tトラックには敵わなかった。
「と、いうわけで僕は死んだと思っていいのですね」
「そうねー。君みたいな若い子がねー。残念よねー。かわいい顔してるのにねー」
「顔の造りは関係ないでしょう」
モワモワとした白いものが風にそよぐように揺れながらも決してその場を離れず均衡を保っている。雲の中にプライベートルームをこさえたような場所だった。
僕の目の前にいるのは、用があって現れたという自称神様。怪しいけれど、神様だと信じでもしないと現在置かれている状況は説明できないので、取り敢えず信じておくことにする。
絶対無傷では済まないと思ったけれど、どうやら即死だったみたい。痛みを感じる間もなかったようだから、それが不幸中の幸いかなあ。
「それでねー。転生ってわかる? 輪廻転生。生まれ変わり。してもらうんだけどー」
金髪の長い髪にクネクネとウェーブがかかっていて美しい顔立ちで、華奢な体によく似合う純白の服は天使が着ているようなものだった。天使じゃなくて女神なんだけど。女神様にしては軽い喋り方だけどいいのかなあ。
「僕のことはどうだっていいんです! それよりも愛美さんはどうなったんですか!」
「同じく即死よねー。君、頑張って助けようとしてたみたいだけどさ……あ、あ、……プッ……愛の……愛の力て……」
愛美さんだけでも生きていて欲しかったのだけど、願いは通じなかったらしい。でも永久に植物人間とかになっても嫌だから、こっちの方が良かった……のかな? 母さんごめんなさい。僕はもっと親孝行したかったよ。
そして女神様がさっきからわかりやすすぎるくらいに笑いをこらえているのが凄く気になる。ふざけているのか?
「愛の力て! プキャキャキャキャ!」
「ふざけていますね」
僕は大真面目で言ったのに全くけしからん女神様だ。こんな神は許されるのか。
「馬鹿にする為に現れたんですか」
「……プ……フフ……ん……ゴホン! そうじゃなくってー。君の転生についてちょっと説明しに来たというかー」
「端的にお願いします」
転生は理解してるけれども、本人にわざわざ言いに来ずとも勝手に処理してくれればいいのに、女神様は何か伝えることがあるみたい。その内容は、来世も人間として生まれ変わり、記憶を引き継げるってことだった。これは幼くして死んだ魂への哀れみによる処置らしい。
別にどうでもいいかなあ。記憶があっても、転生とやらをする場所は異世界ってやつみたいで、地球での常識も役に立たないだろうし、別世界の記憶があったらかえって成長の邪魔になるような気さえする。
「あと一緒にいた愛美さんも同じ世界に行くみたいー」
それならどうでもよくないな。愛美さんは大人だから記憶を引き継がないみたいだけれど、僕の方にだけ記憶があるなら……探せと言われているようなものだ。
それから、転生ってのはかかる時間に個人差があるんだって。過ごした人生の精算をする処理に個人差があるってことみたい。
だから十五歳の僕は全然時間がかからないけれど、愛美さんは二十五歳だから僕よりも遅く生まれてくることになるんだって。単純に十歳差ということにはならないみたいだけど、年下になるのは間違いなさそうなんだ。容姿も名前も当然別物になっているだろうけど、一生かかっても探し出してみせる。そして次の人生こそ……一緒になるんだ。
「それと……小林耕助も同じ世界に行くんだけど……どこかでばったり出くわしても喧嘩しないでね」
「誰ですか」
「君達を轢いたトラックの運転手よ」
「殺し合いになると思いますけど」
僕は愛美さんも大事だけれど、母さんだって大事なんだ。だから偉い人になって安心させたかった。夢だった。
それなのに悲しませることになって、母さんが悲しんでいるのだろうと思うと切なくて切なくて、それは憎しみに変換される。僕の夢が途中で頓挫したのはあいつのせいに他ならない。今目の前にいたら絶対首を絞めにかかってると思う。
「……恨んでるとか?」
「あんなことされたら恨みを持つのは当然でしょう」
「そうだけどさー。憎しみに駆られてもいいことないわよー。君には来世もいい子でいて欲しいわけよー。神としてはね?」
「じゃあ別の世界に送ればいいでしょう」
「均衡ってのがあるのよー。地球は魂の数が多いから、少ないとこに回さないといけないわけ」
そんなこと言って僕があいつと出くわしたら、その少ないとこの魂がまた一つ減ることになるんだよ。
あいつの暗そうでキモい顔は目に焼きついてもう離れないけれど、転生するなら全く違う顔になるのだろうから、判別つかないのが悔しい。
「それなら来世に記憶を持っていくのをやめればいいでしょう。そうすれば僕は恨みの持ちようもない」
「ああ、それならできるけど……いいの? 愛美さんのこと忘れちゃうわよ」
「やっぱり取り消します」
愛美さんのことを忘れてしまったら探しようもないじゃないか。やっぱり記憶は持っていくとして、それだと強い恨みも引きずることになる。都合よく愛美さんのことだけを覚えていればいいのだけれども、神様はそういう部分的な操作をできないみたいで、死ぬ間際のあの強烈な記憶を消すには僕が培った全ての記憶を消さないといけないみたいだった。
僕の生前の行いは神様も感心するほど良いものだったみたいで、そういう汚れなき魂が下界に多ければ神様としては凄く助かるんだって。それって利己的な考えじゃないの?
いい子にして欲しいから恨みは忘れろと言う。恨みを取り去って欲しくば愛美さんのことも忘れろと言う。僕にとっては究極の選択だ。
「捨てなさいと言われて捨てられるような単純なものではないと思いますけど」
「それはそうだけど、君のはものすんごく深そうだから問題っていうかー。……ま、仕方ないわよね。どうせあの運転手の生まれ変わりと出くわしても、お互い気付かないだろうから問題ないわよねー。そのうち忘れていくことを祈っているわー」
女神様はそう言って、神様に祈るような仕草をした。あなたが神様でしょうが。
簡単に忘れられるならそれでもいいかもしれないけれど。言われてよくよく考えてみると、顔もわからないような奴を探して人生を終えるなんて、バカらしくも思えてきた。
僕は幼いから記憶が引き継げるってのはわかったけれど、その理屈でいくと、あいつはトラックの運転をしているくらいだから大人だし、それなら記憶は引き継がないと思われるから、そうすると僕がいくら強い恨みを持っていても当の本人はすっかり忘れているわけだ。
だから何かの偶然で僕があいつを見つけられたとしても、僕は復讐したつもりでもあいつからしたら何のいわれもないのに突然襲われたことになるから、それだと僕はただの狂人として扱われる羽目になる。これって僕が損じゃない?
「そうですよね……わかりました」
僕はなんだか気が重くなって、肩を落とした。愛美さんを探すのには都合が良くても要らない恨みまでついてくるんだから、次の人生では夜な夜なうなされる毎日を過ごすことになりそうだ。
「まあまあ。そう落ち込まないでよ。あ、そうだ。何か欲しいものはない?」
「欲しいもの?」
「そう。かわいそうな君に、女神様からプレゼントしちゃうんだから!」
プレゼント……か。お金持ちになりたいって言ったり権力が欲しいって言ったら叶えてくれるのかな。普通の人ならここで大喜びして欲望をあらわにするのだろうけれど、今僕が思い浮かんだものはそんな卑しいものじゃあなかったんだ。
「なんでもいいんですね?」
「そうよ。なあに? チートとかスキルとか? 難しくないものならいいわよ」
「チートだのスキルだの、僕には何を言っているのかわかりませんが、僕が望むものはただ一つです」
女神様はニコニコ笑っていいものをくれようとしているみたいだけれど、チートとかスキルなんてのは僕には正直よくわからない。クラスメイトがそんな単語を使って会話しているのを聞いたこともあるけれど、ゲームの話みたいで僕には理解できなかった。
「僕が今日彼女に渡したネックレスは、とても意味のあるものだったんです。どうかそれだけは消してしまわないでください」
「うん? 何もしなくても消えるものじゃないでしょ。捨てられないようにってこと?」
「そうじゃなくて。生まれ変わる愛美さんに持たせておいてほしいのです」
「えーなにそれ。そんなんでいいの? ま、いっか。はいわかりました! 君のお願い聞いてあげちゃうから!」
そう言って女神様は胸を力強くドンと叩いてケホケホむせていた。強く叩きすぎたみたい。
僕が望んだのは、愛美さんを見つけること。その目印。愛美さんを好きだったという証拠を具現化することだ。
恨みは捨てきれそうにないけれど、あいつに復讐するのは絶望的だと思うから、そんなことよりも僕は来世こそ夢を叶える道を選ぶことにした。
来世でも僕は勉強にスポーツに、変わらず励んで人としての完成度を高めていこう。立派な大人になって新たな親に喜んでもらうと同時に、生まれ変わった愛美さんにも恥じない男になろう。転生しても忘れないように、今、心に誓っておこう。
「はーいじゃあ始めるわよー」
女神様はなにやらゴニョゴニョと唱え始めた。そうすると、僕の意識は段々と薄らいでいって、自分を保っていられなくなる。
こうして僕は転生することになった。