第九章 裏切り者
目が覚めたのは、昼ごろだった。
太陽の光と、小鳥のさえずり、ではなく、おいしそうなスープの匂いで目が覚めた、わけでもなく、もさもさふわふわした物体が顔に乗ってきたことで、目が覚めた。
「ぶっ、わっ!」
ぼくはいそいでその物体を払い除けようとしたが、「エミリオさま、私です!」という声で、払い除けるのをやめた。
「ソフィンじゃないか!」
ぼくがガバッと起き上がると、ソフィンはベッドから急いで下りた。
「えぇ、ソフィンです! ほかの猫たちはキッチンでノーラさまのお手伝いをしております」
「えっ、でも、君たち……」
ぼくが戸惑っていると、ソフィンはすっとお辞儀をして、言った。
「あの時私どもは、こっそりとエミリオさまたちのことを追っていたのですよ」
「なるほどね!」
ぼくは感心して、思わずソフィンの頭を撫でた。
「ノーラとディータとテオドールのことは知ってるの?」
ベッドから出ながら言うと、ソフィンは尻尾を左右に振りながら、頭もぶんぶん左右に振った。
「えぇ、一応。私どもは、エミリオさまが崖から落ちたのを見て、急いで私どもも崖から下りたのです」
そう言ってソフィンはウィンクした。
「……あぁ、私どもには特殊な能力がありますから、ご心配なさらず!」
ぼくが驚いた顔をしたので、ソフィンは慌てて付け加えた。
「そうなんだね……」
ぼくらはキッチンへ向かいながら話していた。
「エミリオ、おはよう! 元気? よく眠れた?」
ディータが抱き着いてきたので、ぼくは急いでディータを抱き、おはよう、と返した。
「うん、よく眠れたよ。でもね、寝起きにソフィンが顔にのしかかってきたのには、ほんとびっくりしたよ」
ぼくがにやっとしながら言うと、ふたりもにやっとした。
「ぼくね、ソフィンたちと知り合いだったんだよ!」
ディータが、聞いて聞いて、という風に話しかけてきた。
「昨日は言い忘れていたけれど、ソフィンたちもエミリオのことを助けてくれたんだよ。ソフィンたちが、『男の子が落ちて来る! お願いだから、ベッドを貸して!』って頼んできたんだ。ほんとびっくりだったんだよ、猫がしゃべるなんて」
「きっと、昨日はパニックで私どものことを忘れていたのですね」
と、ソフィンがさりげなくフォローした。
キッチンに着くとそこには、猫たちとノーラがいた。
猫たちはぼくらの方に向かってお辞儀をして「エミリオさま、ご機嫌はいかがですか?」 と聞いてくれて、ノーラはにこっと微笑みながら、話しかけてきた。
「おはよう、エミリオ。調子はどう? もうお昼の十二時ごろだけれど、気にしなくていいわ。そのおかげで、エミリオを空腹のまま待たせることがなくなったもの。あのね、今日のランチはパンケーキよ。いつもはあたし一人でつくるの。けれども今日は、ソフィンたちが手伝ってくれたおかげで、いつも以上においしいふわふわ熱々のパンケーキができたわ」
ノーラに促され、ぼくらはダイニングルームの席に着いた。
「おかわりはいくらでもあるわ。なくなっても、またつくればいいのよ。さ、好きなだけ食べて! テオドールも早く席に着いて!」
ノーラに呼ばれて頭をぽりぽりかいてぼーっとしていたテオドールも席へ着いた。
ノーラがパンケーキをテーブルへ運び始めたので、ディータも椅子からぴょんと下り、手伝い始めた。
パンケーキとかかっているはちみつシロップの匂いが、部屋いっぱいに広がった。ぼくはその匂いを胸いっぱいに吸い込み、息を吐いた。
そして、パンケーキを一口、口に入れてみる。
「おいしい!」
ぼくは思ったことをそのまま口に出した。
ノーラと猫たちがうれしそうに、にっこりと笑った。
熱々ふわふわのスポンジの甘い味が、口いっぱいに広がる。はちみつシロップは、ノーラたちの手作りだろうか? 工場でつくられるような味とは、少し違うような感じがする。甘さと微妙な苦さが混ざって、絶妙なハーモニーを作り出している、とでも言えようか(はちみつシロップに苦味があるかどうかはさだかではないが)。
その時、外で何人かの人が動くような、バタバタという音がした。
その場にいるみんなが、さっと動きを止めた。
「誰だ? 誰なんだ?」
ソフィンがうなるような声でその音の主たちにたずねた。
答えるような気配は全くない。
そこでソフィンは、一度外に出てみることにした。
再び、バタバタという動く音。そして、ソフィンの「ナァーゴ」という、まさに猫の鳴き声が聞こえた。
「ソフィン!」
「ソフィン、どうした?」
ぼくらは急いで窓から外に出た。
外には、数人の男と、アルスフォンヌがいた。
「やはりここだったか、エミリオ」
アルスフォンヌがにっこりといわくありげな笑顔をつくる。
「アルスフォンヌ、これは、一体……?」
ぼくがこの状況を指してたずねると、アルスフォンヌは前のアルスフォンヌとは思えないような、冷たい声で、ぼくらを嘲笑った。
「教えてやろう。お前たちの中に一人、裏切り者がいる」
そしてアルスフォンヌは、自分の手下たちに、ここにいる全員を捕えよと命じ、次々に縄で縛られていく様子を、楽しむかのようにして、眺めていた。
「アルスフォンヌ、冗談はよしてよ! アルスフォンヌ、ウィリアムズはどこ? パパやママは? ウンベルトたちはどこなの?」
「うるさいやつだ……!」
ぼくが必至になって聞くと、アルスフォンヌはハエを払うようにして、手をひらひらと振った。
「連れていけ」
アルスフォンヌは、手下たちにそれだけ言うと、ブラウンの毛並の良い馬に乗り、行ってしまった。
ぼくらは抵抗を試みた。しかし、手下たちは思ったより力強く、すぐに抑え込まれてしまう。
――あぁ、また捕まってしまうのか!
ぼくは思ったより冷静だった。
「乗れ」
ぼくらは馬車に乗せられた。昨日の、アルスフォンヌの馬車と同じだ。しかし、中にウィリアムズたちはいない。当たり前か。そんなことを考えていると、馬車が走り出した。
何十分か走ったころ、ディータが泣き出してしまった。こんな状況だから、無理もない。ぼくは縄が絡まないようにして、ディータをこちらに引き寄せ、慰めてやった。でも、「大丈夫だよ」なんて言わない。なぜなら、この先「大丈夫」なことなんて、一つもありそうにないから……。
しかし、アルスフォンヌの言っていた、「裏切り者」とは誰のことだろう? ぼくらの中に、裏切りそうな人なんて、一人もいない。では一体、「裏切り者」とは、誰のことなんだろう……?
ぼくは、ディータを抱きしめながら、「裏切り者」になりうる人物を考えた。