埋没少女、火のない所になんとやらその4
「ふむ…ここら辺りでいいかなぁ」
「……」
さて、菜々美が友人の行く末を案じていた頃。
深洋は放心状態のゆなをつれて普通校舎の廊下にいた。
各授業の準備室が並ぶここは滅多に人が来ない。
「ゆなさん、そろそろ戻ってきてくれる?」
ひらひらとゆなの眼前で手を振ると、明後日を見ていた視線がはっと時間を現在まで戻した。
「ひぇっ」
「え、ひどい」
「な、ななな」
びったりと壁に張り付く。
気付いたら綺麗なお顔がものすごい至近距離にあったのだ。
不満げな顔が少しでも離れるように壁にめり込むほど体をちぢこませる。
「どうしてこんなに顔を近づけるんですか…!」
「え?…やだ?」
嫌とかそういうものじゃない!
「とりあえず離れてください!」
「それはおねだり?」
「意味が分かりません!!」
くすくすと笑いながら普通に話せる距離まで離れる王子に、やっと肩から力が抜ける。
もちろん壁に張り付くのはやめない。
「昼ぶりだね」
「そうですね」
「…その体勢楽しいの?」
心底不思議そうに聞いてくる王子へなんと言おうか。
当然だが全く楽しくない。
「自己防衛本能からの行動です、お気になさらず」
「まあ、そんなに緊張しなくても」
「緊張させてるって自覚があるなら心臓に悪い事はやめてください!」
「いやあ、つい」
どんなついだ!
「…何の御用件ですか」
「ん?一緒に帰ろうかな、と」
「何故」
「好きな人と帰ることになんの疑問があるのかな」
「まだ言いますか…」
うんざりだと眉間にしわを寄せる。
ああ、今からこうだと顔面崩壊は早いかもしれない。
ぐりぐり指で眉間をほぐしながら目の前の王子を見上げる。
くそう、155センチの私に王子の身長はつらい。
目測だが175くらいか?
一つくらい欠点があってもいいと思うが神様は贔屓屋だ。
「承諾をもらうまでずっと言うよ?」
「勘弁してください」
即答か、と悲しそうに呟く。
美人はどんな顔でも美しいのだな、とどこか他人事でそれを傍観する私は冷血女なのかもしれない。
見れば見るほど釣り合わない別世界の住人だ。
ため息を一つついて、私は王子をまっすぐ見つめた。
「はっきり言いますが、私はあなたの告白を信じられません」
王子も私を見る。
私自身、あの昼の断りは少し押しが弱かったかと懸念していたのだ。
こういう、人生ほっといても上手くいくタイプの人間は意に沿わない事象に意地になる傾向がある。
もちろんそういう人全員がそうだと言い切る気はないが、どうやら今回は予想があたっていたらしい。
流石に、今日すぐに再特攻をかけられるとは思っていなかったが。
予想を見事嫌な方向に裏切ってくれる。
「ですから、この際はっきり言います。私は…ムぐう?!」
あなたとお付き合いするつもりはありません、と。
続くはずの言葉が霧散する。
一瞬、何が起きたか分からなかった。
口を何かが覆っている。
すらりと伸びたそれをたどると今まで少なくとも1メートルは離れていたはずの深洋。
微妙に吊り上った口元。
けれどそれに反比例して目は笑っていない。
「はっきり言わなくてもいいよ、どうせここで返事をもらおうなんて考えてなかったんだから」
とっさに塞がれた口をどうにかしようと手をかけるがびくともしない。
強く押さえつけられている感じはしないのに、筋張った細い指は一本もはがれない。
さらに近づいてくる顔に目を見開いた。
「ね、ゆなさん。別に今すぐどうこうって話じゃないんだ…」
ゆっくりと幼子に言い聞かせるように。
優しく耳に流し込まれる声のなんと美しいことか。
視界から外れた深洋はどうやら肩に顔をのせているらしい。
気付けば口を覆っていた手も外れているというのになにも言えずかちこちに固まってしまった。
どうせ動けても覆い被さるように壁に手をつかれているから逃げられはしないが、文句の一つでも言えばよかったと後で悶絶するのだが。
みるみる真っ赤になるゆなに笑っているのか、首にかかる吐息にぞわぞわ背中が悲鳴を上げる。