第1章 第3話 ハニートラップ
「お前いつの間に!」
「勇者様が廻廊を渡ってこられる間に、支度は整えておきました」
「……」
マリンによると、この部屋は玉座の間と直結しているらしい。
調度品は必要最低限だが、奥には立派な天蓋付きのベッドが見える。
それにしても、なんて手回しの良さだ。
「では改めまして。勇者様、末永く可愛がってくださいまし」
「何が末永くだ。俺はさっさと帰りたいって言ってるだろ」
「またまたあ。勇者様も素直じゃないですねぇ。さあ、これ以上女に恥をかかせないでください」
「いや、そういうのはいいから」
「え?」
「それより、俺は夕食まだなんだ。今から炊飯器のご飯食べるから邪魔すんなよ」
「は?」
小首をかしげるマリンを尻目に、俺は足元の炊飯器を拾い上げた。この炊飯器は基本的に俺の近くをふわふわと浮遊している。触りに行かない限り体に当たることもないので、意外とすぐに慣れてしまった。
「あの……私の聞き間違いでしょうか?」
「俺の方こそ、何かの見間違いだと思いたいぞ」
「そ、そんな……この私を前にして、手をお出しにならないなんて……」
マリンはきゅっと唇を噛むと、その場でぺたんと女の子座りになり、シクシクと泣き出した。
(あの王様、ひょっとして俺に財政再建だけじゃなく、粗大ごみまで押し付ける気じゃねえだろうな……)
それにしても、なんて拙いハニートラップなんだ。いろんなところがいろんな意味で幼すぎるぞ。
やがてマリンは、指の隙間から俺の呆れた表情を確認すると、バツが悪そうに立ち上がった。
「コ、コホン。一応言っておきますが、これは代々勇者様をお迎えする古式ゆかしい作法ですので、勘違いなさらないでくださいね」
「どんな作法だよ! 勘違いしてるのはお前の方だろうが!」
俺はもそもそとネグリジェに袖を通すマリンに背を向け、炊飯器の蓋を開けた。
ほわぁっ――。
立ち上る湯気と、甘い米の香り。
一粒一粒が立ってつやつやと輝いている。
召喚されてから時間が経っているはずなのに、まるで今炊き上がったばかりのような完璧な仕上がりだ。俺は茶碗にご飯を盛り、箸でそっと端から崩すように口へ運んだ。
「はふっ……はふっ……」
粒がしっかりしているのに、もちもちとした食感。
噛むたびに淡い甘みがじんわり広がる。
確かこの米は東北産の『ひとめぼれ』だったはずだが、ここまで美味いのは間違いなくこの炊飯器のおかげだろう。
おかずも漬物もなしで、茶碗一杯があっという間に空になった。
至福の瞬間を味わっていると――
「じーっ……」
マリンが物欲しそうに指をくわえて、こちらを凝視していた。
俺は小さくため息をつくと、ご飯をよそって差し出してやった。
「ほら、食べていいぞ」
「……ごくり。勇者様にここまでしていただいたのですから、断るわけにはいきません。いただきましょう」
「嫌なら無理して食べなくてもいいんだぞ。俺の夕飯なんだし」
「いいえ! 据え膳食わぬは女の恥。勇者様に対して失礼に当たります」
「お前ら、人を拉致して強制労働させようとしてるくせに、今さら何が失礼だよ」
マリンは俺の言葉など完全に無視して、はむっとご飯を頬張った。
「く~っ! これが……お米……?」
「どうだ?」
「私が知ってるお米と全然違います! 甘いし、ふわふわしてるし……そして、こんな食べ方、初めてです!」
「こっちでは米ってどんなふうに食べてるんだ?」
「一般的にはスープですね。野菜と一緒に煮込んで食べましゅ……はむはむ……」
マリンは俺の箸をグーで握り、小動物のようにモグモグと夢中で頬張っている。その姿を見ていると、なんだか実家のハム太を思い出してしまった。
「そんなことれしたら大丈夫れすよ。帰還すると、必ず召喚したときと同じ場所と時間に戻りましゅから……はむはむ……」
「本当だな?」
「もぐもぐも……ちろんです!」
こいつ一瞬、目を逸らしやがった。
「とにかく、焦ってもしょうがない。詳しいことは明日にしよう。マリンもそれ食べ終わったら、自分の部屋に戻れよ」
すると、それまで満面の笑みでご飯を食べていたマリンが、急に浮かない顔になってお茶碗とお箸を置いた。まつ毛が細かく震えている。
「どうした? 宮廷魔導士で政務官までやってるんだから、自分の部屋くらいあるだろ」
「い、いえ、それが……ごにょごにょごにょ……ですから今更そんな……なのです。はい」
「お、お前って奴は……」
どうやらマリンは、この度の召喚で「自分は勇者と結ばれる運命にある」と、城内で散々吹聴しまくっていたらしい。にもかかわらず、勇者から早々にフラれたとあっては、自称美少女魔導士の沽券に関わるとか。
「だって、占いでこの私もようやく結婚できるって出てましたから」
「ようやくって、お前まだ若いだろ。そもそもあんな占いが当たるわけあるかよ!」
「だって、私の占いはこれまで全部当たってましたのに……」
「それって気のせいだと思うぞ」
マリンの占いでは、召喚された勇者と良縁で結ばれると出ていたらしいが、なぜこいつは「結婚」以外の可能性を一切考えなかったのだろうが。
「それって、仕事上の腐れ縁って可能性もあるんじゃないのか?」
「ま、まさか私の占いにそんな罠が隠されていたなんて……」
「仕方ない。毛布をやるから、部屋の隅で寝てもいいぞ」
「ううう……」
マリンはしばらく恨めしそうな目で俺を見つめていたが、やがて毛布を抱えると、壁際に丸まって大人しくくるまった様だ。
それにしても、俺はこれからどうすりゃいいんだよ。
俺はベッドに潜り込みながら、これからのことを考えているうちに、深い眠りに落ちていった。
夜中に何か動いたような気配がしたが……気のせいだろう。




