良樹の秘密
「先日の身体測定の結果なんだがね、なかなか興味深い結果が出たよ」
日本スポーツ医科学研究所を訪れてから二週間ほど後、良樹は再び凛と学校帰りに研究所へ向かった。
「川島くんは、筋肉には赤筋と白筋と言われる二種類があることを知っているかな?」
「……いや、初めて聞きます」
「簡単に言うと、赤筋は持久力、白筋は瞬発力を担う筋肉でね。一般的にその比率はおおむね半々なんだが、例えばマラソン選手は赤筋の方が六割から七割だったり、短距離走の選手はその逆の傾向があったりするわけだ」
「はぁ。そういうもんなんですね」
「そしてキミの場合だけれど、これが明確に白筋の比率が高い。それも異常ともいえる比率なんだ。まるで鍛え上げたプロスポーツ選手のようにね」
「……それって、偏ってる……ってことですよね?」
「そうだ。高校一年生でこれほど極端な偏り方をしている人間を、少なくとも私は今までに見たことが無い。普通はトレーニングを積むことでこういったバランスになっていくものなんだよ」
実に興味深い、と菅原は繰り返した。
「日本人は若干赤筋の比率が高いのだけれど、基本的には半々なんだ。それがトレーニングを積むことでどちらかの比率が高まっていく。さっき言ったようにマラソン選手なら持久力に優れる赤筋が、短距離走の選手なら瞬発力に優れた白筋が、という具合にね」
「なるほど。それなのに俺は、最初から白筋に偏ってるってわけか」
「参考までに聞くけど、何か特別な施設や器具でトレーニングをしているわけじゃないよね?」
「そんなの、やったことないですよ」
「だとしたら、これはやはり生まれつきということになるね」
――つまり俺は、生まれつき自分だけの武器を持っていたってことか。
脚が速いのは自覚していたが、その理由が筋肉にあっただなんて考えたこともなかった。
「なるほど。でも、これで良樹くんの能力の説明がつきますね」
「そうだね。凛くんから聞いた話では、川島くんはスピードと瞬発力を武器に運動部のテストで大活躍したそうだが、この筋肉バランスを見ただけでそれも納得できるよ。ハッキリ言って今の川島くんの身体は、スピードと瞬発力に特化されていると言って差し支えないだろう」
「特化……ですか……俺の身体が」
「そうだ。これから本格的に鍛え上げたらいったいどうなってしまうのか、想像するだけでワクワクしてくるよ。まったくもって興味深い」
「それって、トレーニングを積めばバランスが逆になったりするもんなんですか?」
「いや、それは難しいな。そもそも赤筋と白筋のバランスというのは、さっきも言ったように持って生まれたものなんだ。そこからトレーニングを積むことでどちらかに偏るわけだが、それを逆転させることは、ましてここまで偏っているとなると、まあ不可能だろう。もちろんトレーニングで赤筋を増やして持久力アップは可能だけれど、当然それにも限界はあるし、何よりそのことによってキミの最大の武器の威力が鈍ってしまって逆効果だ、と私は思うね」
「ってことは、俺はこれからもスピードと瞬発力を武器にしていった方が良いってことですか」
「そうだね。欠点を潰して総合力を高めるというのは当然ひとつの方法だけれど、これほど優れた天賦の才を持っているのだから、それを生かすべきだと個人的には思うよ」
「そうですね。話を聞いていて、俺もそう思いました」
「しかし、キミのお兄さんもキミほどではないが白筋に偏ったバランスだったっけ。やはり遺伝的要素も大きいというのは確かなんだな」
「えっ!? ちょっと待って!? 兄貴もここで検査受けたんですか!?」
「……もしかして、聞いてなかったのかい?」
「あら、言わなかったかしら?」
「聞いたことないよ。初耳ですよ」
菅原は、明らかに戸惑いの表情を浮かべた。おそらく言う必要のないことを不用意に漏らしてしまったからだ。
しかし凛の方は涼しい顔をしている。この違いはいったいどういうことなのだろう。
「兄貴はいつ、なんでここに来たんですか?」
「それは……こちらにも守秘義務というものがあってだね……」
「教えてもらえないんですか?」
「……まあ、そういうこと、だね」
菅原の視線はチラチラと明らかに凛へ向けられている。
良樹もチラリと凛へ視線を向けた。
それに気づいた凛が答える。
「私に聞いてもムダよ。私が知っているわけないでしょう?」
「絶対ウソだ! 知らないわけねえじゃん!」
「あら、信じてくれないの?」
「信じられるわけねーじゃん」
「悲しいわね。自分のマネージャーの言うことを信用できないなんて」
しれっと、全く悪びれもせず凛はそう言う。
良樹は、それ以上深く追求しなかった。明らかに凛が絡んでいると思うのだが、この様子だと喋ってくれるとは思えない。
竜樹がここに来た理由は気になるが、菅原も凛も教えてくれないなら本人に直接聞けばいいだけの話だ。
それよりも今は、自分の身体のことをもっと知りたい。
「わかりました。じゃあ兄貴のことはひとまず置いといて、俺の検査の結果を続けてください」
「わかった。実はもうひとつキミの身体には優れている点があってね」
「もうひとつ? なんですか、それ」
「検査の数値からの推測なんだが、キミはおそらく回復力が非常に優れている。血流の良さと細胞の再生能力の高さを数字が証明しているんだ」
血流の良さは、栄養や酸素が細胞に届きやすくなって疲労物質の除去が速くなる。細胞の再生能力の高さは、細胞分裂や修復がスムーズに行われることで、競技で受けた筋組織のダメージ回復に繋がる。
それらの数値が高いということは、すなわち回復力が優れているということなのだ、と菅原は説明してくれた。
「これは……スポーツ選手としては、まさに天賦の才ね。まるでスポーツをするために生まれてきたようだわ」
「つくづく川島くんは恵まれた身体を持って生まれたんだね。神に愛された子供なんじゃないか? なんて、そんな非科学的なことをつい考えてしまうよ。科学者のくせにね」
菅原は自嘲気味にそう言った。
「……川島くん。ひとつ提案があるんだが、聞いてもらえるかい?」
「提案? なんですか?」
「キミという存在は、我々にとって非常に魅力的な存在なんだよ」
「はぁ」
「そこでだね、キミの今後の活動を我々はバックアップしたいんだ」
「はあ」
「具体的に言うと、キミがこれから各部で活動していく際には、やはり自分専用の道具が必要になるだろう? 野球ならグローブとバット、サッカーならスパイク、テニスならラケットといった具合にね」
「それはまあ、確かに自分専用の方が身体に馴染んでやりやすいですもんね」
「そういった道具の一切をこちらで用意しようじゃないか。その代わりに毎週キミのデータを取らせてもらいたい。どうかな?]
菅原の提案は、良樹にとっても不都合なことは何もなかった。やはり自分専用の道具であった方が身体に馴染むし愛着も湧くというものだ。
「そのデータは、キミが今後活動する上で有益だと思うよ。例えばトレーニングメニューに反映させたり、身体のメンテナンス面で生かすことも可能だろう。決して悪い話ではないと思うけど」
「ただ毎週データを取るだけでいいんですか?」
「ああ。それで充分だよ。我々はキミから得たデータを研究に生かしたいんだ。キミのような身体の持ち主が稀有である以上、こんな貴重なデータは二度と取れないかもしれないからね。そのために是非協力をお願いしたい」
「そういうことなら、俺はかまいませんよ」
「そうかい? それはありがとう。それなら日を改めてご両親とお話しさせてもらうよ。その上でキチンと契約を結ぼう」
菅原は満足そうだった。
「これも先輩の仕込み?」
良樹は隣りにいる凛の耳元で、小さくそう尋ねた。
「まさか。私は何も言っていないし何もしてないわよ。菅原所長が、研究者として純粋に興味を持ったのよ。そこは誇っていいと思うわ」
「そんなもんかね」
「言ったでしょう? こちらから助力をお願いしなくても、向こうから申し出てくるって。私からすればその通りになっただけよ。至極当然の結果だわ」
凛もまた、すこぶる満足そうだった。
「ところで良樹くん。今日は志保ちゃんは一緒じゃないのね」
「ああ。志保は今日も文化部の見学だって」
「あら、まだやっていたのね。好みの部が見つからないのかしら?」
「そうみたいだね。本人はけっこう本気で部活探してるみたいだけど、どこもピンとこないみたい」
「まあ、そうでしょうね」
「えっ? どゆこと?」
「独り言よ。気にしないで」
「それ、絶対気になるヤツだからね」
良樹が食い下がっても、凛はそれ以上何も言わない。彼女はただ、やはりすこぶる満足そうに笑うだけだった。




