日本スポーツ医科学研究所
「スッゲえな、ここ。なんだこの施設」
良樹が目を丸くしながらそう言った。志保も全く同じ気持ちだった。
『日本スポーツ医科学研究所』
凛に連れてこられるまで、そんな場所が存在することすら知らなかった。
広大な敷地に立ち並ぶ白い建物。ガラス張りのエントランスから見える廊下を、白衣姿の研究者たちが足早に行き来している。
「ここは今現在、スポーツの最先端を研究している場所なのよ」
「はぁ……あっけにとられちゃうね」
良樹の隣で志保は、ただ黙って辺りを見渡していた。
(よしくんって、こんな場所に連れてこられるような人になったんだ)
中学の頃、同じ図書館で並んで数学の問題を解いていた。「なんでこのXがこっちに来んだよ」と唸っていた。そのよしくんと、今隣に立っているよしくんが、同じ人間だとは思えない。
「はじめまして。キミが川島良樹くんだね? ここの所長をしている菅原です。よろしく」
そう言うと菅原と名乗ったその男は、良樹に向かってスッと右手を差し出した。
「あ、どうも。川島良樹です。よろしくお願いします」
「キミの話は凛くんからよーく聞いているよ。なかなか興味深いことをしているようだね」
「ええっと、考えたのは凛先輩で、俺は先輩の話に乗っただけですけど」
「いやいや。全ての運動部に所属するなんてことを考えた凛くんもスゴいけれど、私はそれを可能にしているキミの身体能力が興味深いんだよ」
「はぁ」
「そこでだね、キミのことをより詳しく調べたいんだけれど、時間は大丈夫かな?」
「はい。大丈夫です」
「そうかい。それはありがたい。なにしろ凛くんの話を聞いた限りでは、キミは稀有な研究素材なのでね」
――またそれかよ。
素材というワードは凛も時々使うが、この菅原も同じだった。それが良樹を少々イラつかせる。自分はモノじゃないのだと。
「俺自身も興味があるから協力はしますけど、その素材ってのヤメてもらっていいですか? 俺はモノじゃないんで」
少しばかりの不機嫌さを滲ませたそのセリフに、菅原はすぐ気づき「それは申し訳ない」と謝罪した。
「研究者の悪いクセだな。不快にさせたなら、すまなかったね」
「私も、つい言ってしまうから気をつけるわ」
「いや、分かってもらえればいいんで……」
「それではあらためてお願いするよ。キミの身体に隠された秘密を是非解明したいので、協力してもらえるかな?」
「わかりました。やりますよ」
「そうか。よかった。では凛くんの案内で一時間ほど施設内を見学してくれたまえ。それからキミのことを色々調べさせてもらうよ」
「それでは良樹くん、志保ちゃん。行きましょうか」
凛の案内で施設内を見学した良樹と志保は、まさに驚きの連続だった。
最先端のトレーニング機器が並ぶ広い部屋。数値やグラフが映し出されたモニターの前で真剣な顔をする研究者たち。何に使うのかもわからない測定器械。
「スッゲえな。なにやってるのかサッパリわかんねーけど、なんか難しそうな研究してるのだけはわかったぜ」
「アナタね……」
凛はため息まじりに、呆れ顔で呟くようにそう言った。
「トレーニング施設も、まるでジムみたいでしたね。あれでトレーニングの効果を調べたりするんですか?」
「そうね。もちろん他にもいろいろやっているわよ。とにかくここは日本のスポーツ科学の最先端なんだから。それこそ関係のあることなら何でも研究していると言っていいわ」
「こんなとこにツテがあるなんてさぁ、マジで先輩って何者なの?」
「ご想像に任せるって言わなかったかしら? まあ大したことないわよ。私も昔お世話になってたってだけ」
「えっ? 先輩もなんかスポーツやってたの? 何やってたのさ」
「さぁて、なんでしょうね」
「なんだよ。秘密かよ。教えてくれてもいいじゃん」
「ふふ。そのうちね」
そう言うと凛は、悪戯っぽい表情を見せた。
廊下を歩きながら、志保はチラリと凛の横顔を見た。
この場所を歩く凛は、学校にいる時とは少し違う顔をしている。ここが凛にとって「慣れた場所」であることが、その歩き方だけでわかった。
(月島先輩って、ホントにいったい何者なんだろう)
入学式の日から、この先輩には掴みどころがない。
良樹を振り回して、竜樹をタジタジにさせて、大人たちを自在に動かす。
各クラブの部長たちも、彼女の言うことにはなぜか信頼感を持っているように思える。
それでいて時々、ほんの一瞬だけ、良樹を見る目が柔らかくなる。
(でも、あの目は……悪い人の目じゃないよね)
それだけはわかった。
凛は良樹のことを、本気で考えている。計算や打算だけではない何かが、あの目の奥にある。
「さあ、そろそろ戻るわよ」
凛の声で、志保は我に返った。
「あ、はい」
歩き出した凛の背中を見ながら、志保は小さく深呼吸をした。
(私も、ちゃんとよしくんの力になりたいな……)
この場所に来て、その思いが初めて言葉になった気がした。漠然と感じていた彼女の焦りが、少しだけ輪郭を持ち始めていた。




