それぞれの楽しさ
次の打席が回ってきた。
良樹はバッターボックスに入りながら、頭の中を整理する。
(ストレートとカーブの見分け方は、グローブの角度。でもさっきはそれを読まれて、読んでると知った上でストレートを投げてきた。つまり次は……)
「考えすぎると打てないぞ」
キャッチャーが、まるでからかうような口調でマスク越しにそう言った。
「うるさいな」
良樹は短く返して、ピッチャーを見据える。
(へへ、裏の裏の裏を読みあうってか。面白いじゃん、野球)
以前凛が、自分の武器は頭脳だと言っていた。
その時は具体的にどんなことを指しているのか教えてもらえなかったが、意外とこういうことなのかもしれないな、と思った。
(少なくとも、こうやって相手の思考を読みあうのは面白えや)
一球目、ストレート。見逃してボール。外角低め、手が出ない球だった。
二球目、カーブ。ファール。今度はバットに当てた。でも力負けした。
三球目、ストレート。ファール。タイミングは合っていた。だが芯を外した。
(当たってる。でも上手く芯で捉えられないんだよなぁ。硬球ってこんなに難しいのか。それとも俺の打ち方がヘタなだけか。どっちだ)
カウントは1ボール2ストライク。追い込まれた。
四球目。ピッチャーのグローブが、ほんの少しだけ傾いた。
(カーブだ)
良樹は踏み込んだ。タイミングを遅らせて、来い、と思った瞬間、ボールが鋭く曲がった。バットが走る。金属音が響いた。
打球は三遊間を鋭く破った。
一瞬の静寂。そしてどよめき。
「……抜けたぞ」
「カーブを、引っ張りやがった」
「初めて見た球種だろ、アイツ」
ベンチから声が上がる。
一塁ベース上で良樹は、少しだけ息を整えながら、右手でガッツポーズを作った。派手ではない。ただ、確かめるような小さなポーズだ。
キャッチャーがマスクを上げて、一塁の良樹を見る。何かを言いかけて、やめた。言葉が出てこなかったのだ。
バックネット裏では坂井が、腕を組んだまま動かずにいた。その目は一塁ベース上の良樹を、まるで夢でも見ているかのように見つめている。
試合終了後の片付けが終わり、練習を終えた部員たちが引き上げていく中、坂井は凛のところへゆっくりと歩いてきた。
「月島くん」
「お疲れ様でした、坂井先生。いかがでしたか」
「……参ったよ」
坂井はそれだけ言って、グラウンドの端に視線を向けた。良樹が部員たちと笑いながら話している。
「初めて見たカーブを2打席目で打つなんて、しかも引っ張って打つなんて、実際にはそんな簡単なことじゃないハズなんだ。まずタイミングの取り方がわからないし、変化に目がついていかない。プロだって初見の変化球をいきなり打つのは難しいんだ。難しいハズなんだが、彼はやってのけた」
「そういうものなんですね」
「最後に打った二本目のヒットにも驚いたよ。当たりこそそれほど良くはなかったが、ランナーを進めたい場面でキッチリとライトに流し打った。それもたまたまじゃない。自分で意識して狙って打っているんだ。状況やカウントをキチンと把握して、配球を読んで狙い球を絞って、最適の答えをちゃんと導き出している。本格的な指導を受けたことがないだなんて、私には到底信じられないね」
坂井の口をついて出る言葉は、どれもこれも良樹を称賛するものばかり。それは、今までテストを重ねてきた部の顧問たちの中で、最も熱を帯びているように凛には思えた。
「月島くん。私からひとつお願いがあるんだが」
「なんでしょう」
「いつか……そう、彼が準備できた時でいい。あのコをキャッチャーとして試させて欲しい」
凛は少しだけ間を置いてから、静かに答えた。
「その時が来たら、ぜひお願いしますわ」
坂井は満足そうに頷いて、踵を返した。その背中は、どこか晴れやかだった。
帰り道。夕暮れの住宅街を歩きながら、良樹がぽつりと言った。
「野球って、初めて真剣にやったんだけどさ、やっぱ面白いな」
「はいはい」
美咲が軽くあしらうように即座に返した。
「なんだよ、その反応」
「だってアンタ、サッカーの時もバスケの時も、他の部の時も全部同じこと言ってるじゃない」
「……言ってるっけ?」
「言ってる言ってる。毎回『面白いな』って言ってるよ。アンタの辞書には『面白くないスポーツ』って存在しないんじゃないの?」
良樹は少し考えてから「まあ、そうかもな」と言ってニカッと笑った。たしかに今までテストをしてきた部の中で、面白いと思えなかったものはひとつもない。
思ったようなパフォーマンスを見せることが出来なかった競技は実際あるが、だからといってつまらなかったわけでは決してない。
「そう考えると、俺は今みたいに色々な競技をやってるのが性に合ってるのかもしんねえな」
「よしくん、今日のヒット、カッコよかったよ」
志保がそう言うと、良樹は少しだけ照れくさそうに頭をかいた。
「でも三振もしたし、エラーもしたからなぁ」
「それでも、最後にまた打てたじゃない」
「まあな……次やる時は、もっと上手くやれる気がするんだ」
良樹はそう言って、夕焼けの空を見上げた。
(サッカーも、バスケも、野球も。全部違う面白さがある。でも全部に共通して言えることがひとつあるな)
それは、仲間がいること。自分一人では絶対に生まれない何かが、チームでプレーする時には必ず生まれる。それが良樹には、どうしようもなく楽しかった。
(確かに江藤が前に言った通り、俺は団体競技の方が向いているのかもな)
陸上や水泳のような個人競技ももちろん楽しい。けれど自分以外の人間たちと力を合わせて勝利を目指すのは、また違った楽しさと充実感がある。
そして良樹は、団体競技の方により魅力を感じ始めていた。
「ねえ、よしくん」
「ん?」
「次はどの部のテストなの?」
「えっと……凛先輩に確認してないけど、テニスじゃなかったっけな」
「テニスかぁ。よしくん、テニスラケット持ったことある?」
「ないな」
「じゃあ、またゼロからかぁ。でもよしくんなら、きっとテニスも大丈夫だね」
「まあ、やってみなきゃわかんないけどな」
良樹はそう言って、少しだけ楽しそうに笑った。
三人の笑い声が、夕暮れの住宅街にゆっくりと溶けていく。




