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昼行燈

 バスケ部のテストから中二日を空け、次の実技テストは野球部だった。


「あぁ、月島くんと、キミが川島くんか。どうも」


 野球部顧問の坂井は、なんとなく怠惰というか、やる気の見えない人だなぁと良樹は思った。野球に興味がないのか顧問が面倒くさいのか、とにかく昼行燈みたいな人物なのだ。


「顧問だから私も一応見てはいるけど、まあ部員たちと好きに始めてくれ」


 坂井はそう言うと、バックネット裏のベンチにどっかと腰を下ろした。どうやら本当に見ているだけのようだ。


「なんか他の部と比べて、あんまりやる気のない顧問だね」

「ああ、あの先生は部活の時は、いつもあんな感じなのよ。熱心な良い先生なのだけれど、授業中とは全然別人なの」

「ふうん。いろんな先生がいるんだな」


 言われたように二人は、部員たちと話し合ってテストの準備を始める。

 まず最初に行うのはベースランニングのタイム計測、つまり野球のダイヤモンドを一周するタイムの計測だ。

 そしてやはり、良樹はまずここで部員たちの度肝を抜いた。


「お、おい。このタイム、見ろよ!」


 計測係の部員が、血相を変えて他の部員たちの元へと駆け寄った。各々思い思いの練習をしていた部員たちが、なにごとかと彼に歩み寄ってくる。


「えっ……」

「ウソだろ!?」


 ストップウォッチは、驚くべき数字を示していた。

 

「16秒フラット? こんな数字、見たことないぞ」

「あんなムダだらけのベーランで、このタイムって……」


 良樹はベースランニングの基本的な走り方など知らない。ただ全力でダイヤモンド一周を駆け抜けただけだ。もちろん普通の運動靴なので当然バランスは悪いし、ミスによるタイムロスもある。


「ウチの部員で一番速いヤツが18秒台なのに……」

「これ、基本を覚えてスパイク履いて走らせたら、プロレベルのタイム出るだろ」

「……次元が違うじゃん……」


 部員たちの誰もが、その驚異的なタイムに言葉を失ってしまった。

 

 

 ベースランニングの次は守備のテストのために、まずショートの守備位置に就いた。

 ノックを行うのはキャプテンだ。そして当然と言えば当然だが、良樹はポロポロとエラーを連発する。


 ――あー、ちくしょう! 上手くいかねぇ!


 内心で自分の不甲斐なさに舌打ちをした。打球に追いついているのに上手く捕れない。自分の下手さに苛立ちを覚えた。


「いくら足が速くても、しょせん素人は素人だな。さっきからミスばっかじゃん」

「まあなぁ、グラブ捌きと足の速さは関係ないからなぁ」

「でも代走としてなら即戦力じゃね?」


 部員たちから笑いが起こる。そんな中で一人の部員が口を開いた。


「オマエら笑ってるけどさ、キャプテンが相当厳しいところへノックしてることに気づいてないのか?」

「えっ!?」

「確かにポロポロ落としてるけど、アイツあの厳しい打球に全部追いついてるんだぜ? オマエら、同じことできるか?」

 

 部員たちが黙り込んだ。



 良樹の守備テストを見て、もう一人驚いている人物がいた。バックネット裏からテスト風景を見ていた顧問の坂井だ。

 この昼行灯の顧問は笑っておらず、それどころか彼のその眠そうな目は、目の前の出来事のおかげでカッと大きく見開かれていた。


(あのコ……ノッカーが打つ瞬間にもう動いてないか……?)


 坂井の目には、良樹は打球が飛んでくるコースを、打つ前に一瞬で予測しているように映っていた。何度見てもそう見える。


「あのコは……打つ前に打球の飛んでくるコースを読んでいるのか?」

 

 もちろんそれは頭で考えているのではなく、いわば本能的な嗅覚によるものだろう。


 ――そもそも頭で考えて出来ることじゃない。


 確かに足は速い。瞬発力も素晴らしい。だが坂井は、良樹の動きに全く異質なものを感じていた。

 一般的な野手たちが打球音を聞いてから走り出すところを、良樹は打った瞬間にはもう打球の落下地点へと走り出している。もしかしたら打つ前に動き出しているかもしれない。

 それはわずかな差だが、そのコンマ何秒かの動き出しの速さと持ち前の瞬発力で、普通なら絶対間に合わない打球に追いついてしまう。

 だが彼はまだ素人だからグラブ捌きが追いつかず、ボールを弾いてしまう。硬球に慣れていないのも原因だろう。それを見て部員たちは笑っていたのだ。

 

 ――だが、これはエラーじゃないぞ。


 なぜなら、ちょっと基本的な守備練習をすれば、良樹はスーパープレイを連発する選手へと一気に変貌を遂げるのだから。


「教わって出来ることじゃない。本能で身体が動いてるようなもんだ」


 坂井は鳥肌が立つのを感じた。高校生のプレーを見て鳥肌が立つなど初めての経験だった。

 それにしても、いったいどうすればそんなことが可能なのか。打った瞬間にもう動いているだなんて、そんなのはもう未来予知の類ではないか。


(ピッチャーの投げる球種やバッターの構えなどから打球位置を推測して守備位置を変えるのは普通にやることだが、それはあくまで打つ前の話だ。彼のように打った瞬間もう打球に向かっているだなんて、見たことも聞いたこともない)


 まるで夢を見ているようだと坂井を舌を巻いた。こんなことはあり得ないのだ。よほどカンが優れているのか、それとも飛び抜けた身体能力のなせる業なのか。あるいは……。


「観察眼……なのか? いや、そんな。まさかな」


 坂井はその想像を自ら打ち消した。バッターの身体の動きを見て打球の方向を予測するだなんて、そんなことが人間に可能なわけがない。あまりにもバカげた想像だ、と。

 

「それに、あのステップはなんだ? ノッカーが打つ瞬間に両足で軽くジャンプしてる。あんなの見たことないぞ? あれは彼のクセなのか?」


 気がつけば、坂井はもう良樹に夢中だった。顧問として仕方なくこの場にいたのに、今はもう一人の少年から目が離せない。


「おーい、キャプテン!」


 坂井はベンチから立ち上がると、ノッカーのキャプテンに駆け寄りながら声をかけた。


「なんですか、先生」

「あのコを、今度はセンターでノック受けさせてくれないか? 見てみたいんだ」

「それはいいんですけど……どうしたんですか?」

「なにがだ?」

「いや、なんかずいぶん熱が入ってません? いつも俺らのことなんかほったらかしなのに」

「あぁ……えっと、それはまあ……とにかく頼むよ。彼の外野守備も見てみたいんだ」


 キャプテンは言われた通り良樹にセンターへの守備位置変更を伝えた。

 坂井はバックネット裏には戻らなかった。

 


 センターというポジションは守備を任される範囲が広い。そもそもが内野手よりも広いスペースを守る外野手だが、センターはその中でも一番広大なスペースを任される。ゆえに俊足の持ち主にとってセンターは、もっとも魅せ場を作れるポジションと言ってもいい。

 

 センターへのノックが始まると、坂井の顔が曇り始めた。


(動きが違うな……どういうことだ?)


 センターでも良樹は、ギリギリの打球に追いつく圧倒的な俊足ぶりを見せつけた。部員たちもさすがに認めざるを得ないほどのパフォーマンスを見せつけた。だが……。


(あれは、ただ単に足の速さで追いついているだけだ。ショートの時みたいに、打つと同時に打球方向へ動き出してるわけじゃない)


「坂井先生、どうかされましたか? ずいぶん険しい顔をしていらっしゃいますけど」


 いつの間にか坂井のところに凛が来ていて、そう声をかけた。


「月島くん、彼はいったい何者なんだい?」

「何者って、あの川島竜樹の弟ですよ。それ以外お答えのしようがありませんわ」

「最初ショートを守っていた時の彼は、まるで打球が来るところを予知しているかのような動きだった。ところがセンターを守らせたらそんな動きは見せやしない。足の速さで厳しい打球に追いついているが、動きは全く違うんだ。それがなぜなのかわからない。単に慣れていないからなのか、それとも何か他の理由があるのか……」


 坂井の話を聞いた凛は、我が意を得たりとばかりにニッコリと笑って「それは、眼、だと思いますよ」と言った。

 

「サッカー部の監督は、彼はピッチを俯瞰する眼を持っているようだ、とおっしゃいました。先日のバスケ部で彼は兄の川島竜樹を完璧に止めてみせたのですが、その時の彼は兄の身体の重心の動きやドリブルのリズム、肩の僅かな揺れやシュートを撃つ瞬間の予備動作を観察して見極めていたそうです。もちろん頭で考えて出来るわけありません。眼から入ってくる情報を脳が一瞬のうちに処理して身体を動かしているのでしょう」

「観察眼……眼か……なるほどな。だとすると外野では動きが違うのは……」

「単純に、さすがに外野からは遠すぎて見えないんじゃないでしょうか」

「よく見えなくて、観察のしようがないか……あり得るな」

「そして、彼にはもうひとつ武器があるんですよ」

「もうひとつの武器?」

「ええ。先ほど話した観察眼に加えて、彼はそこから得られた情報や、今現在自分が陥っている状況などを一瞬で分析して最適解を導き出す。そんな頭脳を持っているんです。学校の勉強で必要なものとは全く異なる頭脳。それこそが彼の最大の武器なんです」

「飛び抜けた身体能力につい目を奪われてしまうが、彼の本領はそこではない……ということだね?」

「おっしゃる通りですわ」

「ははぁ……それが本当なのだとしたら、彼には是非キャッチャーをやらせたいね。キミがいま言った彼の最大の武器というのは、まさにそれこそがキャッチャーに一番求められることなんだ」


 坂井はそう言うとキャプテンにノックを止めさせ、良樹には大声で戻ってくるよう言った。その表情は、少しばかり興奮しているように凛には見えた。 


「川島、良樹くん……だったかな?」

「は、はあ。そうですけど」

「キミ、野球の経験は?」

「経験ですか? 遊びではさんざんやりましたけど、本格的にやったことはないです」

「それでアレか。まったく噂通り、運動センスの塊なんだな」

「ど、どうも。ありがとう、ございます……」

「少し聞きたいことがあるんだが、いいかな?」

「は、はぁ、いいです、けど」

「ショートでノックを受けていた時、キミはノッカーが打つ瞬間に両足で軽くジャンプしていたけど、あれは誰かに教わったのかい? それともキミのクセなのか?」

「えっ? 俺、そんなのやってます?」

「自分で気づいてなかったのか」

「ええ、まあ……今はじめて知りました」

「ノッカーが打つと同時に動いているのは? あれは打球方向を予測して動いてるのかい?」

「えーっと、うまく言葉に出来ないんだけど、ピッチャーやバッターを見てるとなんとなくわかるんですよね。カン、みたいなもんなのかなぁ?」

「あれがカンだって? バカを言っちゃいけない。100発100中のカンなんて、それはもう必然というもんだ」

「そう言われても……」

「……キャッチャーをやったことは?」

「キャッチャー? いや、ないです。遊びでやるときは外野かショートだったかな。あとはピッチャーか」

「そうか。まあ、そうだろうな」

「あの……俺、なんかしました?」

「いや、キミは何もしていないよ。いや、したのかな?」

「なんすか、それ。言ってる意味わかんないですよ」

「ははは。まあ、独り言みたいなもんだから気にしないでくれ。それより、今から紅白戦をやるから、キミも参加しなさい。いいね?」

「は? ああ、はい。わかりました」


 坂井は最初とは打って変わって、積極的に良樹に話しかけた。その変わりぶりが良樹を戸惑わせる。

 

「今から紅白戦をやるから参加しろって」


 良樹は肩をすくめながら凛にそう告げた。

 

「うふふ。実戦形式でさらにテストということね。いいじゃない」

「なんか、最初はやる気のない先生だなって思ったんだけどさ、さっきは人が変わったみたいにあれこれ質問されたんだよ。なんか掴みどころのない、よくわかんない人だよな」

「あら、そうだったのね。なにか興味を惹かれるものがあったのかしら」

「そういえばさ、ノッカーが打つ瞬間に両足で軽くジャンプしてるって言われたんだけど、俺そんなことやってた?」

「ああ、そう言われるとやっていたわね。それがどうかしたの?」

「あれは誰かに教わったのか、それともクセなのかって」

「クセじゃないの? 私はそう思っていたのだけれど」

「俺、自分でそんなことやってるって気づいてなかったんだ。だからクセ……なんだろうなぁ」


 二人がそんな会話をしている間に、急遽行われることになった紅白戦の準備が着々と進んでいった。

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